第36話 忘れないで
平成十九年五月三十一日木曜日。
璃子が学校から帰宅すると、珍しく璃子の母・鳥町
真珠は結婚する前、当時大人気だったアイドルグループのメンバーで、結婚と同時にアイドルを卒業し、現在は女優として活動している。
璃子が小学生になってからは、日本にいるより海外に撮影で行っていることの方が多くなっていた。
日本人好きなハリウッドの監督に、その高い演技力が気に入られた為だ。
子育てはほぼ美田園に任せきりになっていることに、罪悪感を感じていないわけではない。
ただ、女優としては今が一番大事な時期なのだ。
璃子も、真珠の出ている作品は欠かさず観ているし、忙しいのだから仕方がないと何度も自分に言い聞かせているが、本当はずっとそばにいて欲しいと思っていた。
「ママ、あのね……来週の月曜日、参観日なんだけど」
「来週の月曜日? ああ、ごめんね、ママも璃子のお勉強しているところ見たいんだけど、明日の朝にはまた出なきゃいけないの」
「……そっか。今度は、どこの国に行くの?」
「メキシコよ」
(どこだかわからないけど、すごく遠そう————)
本当は来て欲しい。
仕事なんかより、一緒にいて欲しい。
そんな思いをぐっと堪えて、ただ、久しぶりに会えた母親の隣に座ることしかできなかった。
けれど、また「かわいそう」と思われてしまうかもしれないという不安に対して、聖典が言っていた提案が頭をよぎる。
————しまっちゃえばいいんだよ。
その日の夜、璃子はこっそり真珠の寝室に入る。
「……ん? どうしたの? 璃子?」
「ママ、一緒に寝ていい?」
「うん。もちろんよ。おいで……」
真珠は璃子に気づいて、寝ぼけながらも璃子を抱きしめながら眠った。
そして、朝が来て璃子が目覚めた時には、真珠の姿はそこになくて……
(もう、行っちゃったんだ……)
璃子は一人で目を覚まして、部屋を出た。
聖典と一緒に学校に行って、菜々や知世といつも通り授業を受けて、明日何をして遊ぼうか話をする。
先週は菜々の家に泊まった。
初めて友達の家でお泊まり会をしたのが楽しかったし、嬉しかった。
その時、菜々の母親である聡子には会えなかったが、父親と姉が作ってくれたオムライスがすごく美味しかったことを璃子は忘れていない。
そして、六月二日に菜々の事件が起きる。
そのせいで、ずっと、忘れていた。
気が付いていなかった。
自分が眠っている間に、真珠をしまっていたこと。
容量に限界が来て、全てを吐き出した璃子は、自分の口から出て来た大量の物の中に、真珠だったものがあることに気がつかなかった。
*
『————え? リコピン、引っ越すの? どうして?』
「ごめんね。色々事情があって……でも、こうやって、たまに電話とかメールしてもいい? 友達でいてくれる?」
『あたりまえだよぉ! リコピンは、ともの親友だもん!!』
「ありがとう。ともちん」
璃子は、引っ越すことを前日の夜、知世に電話で伝えた。
どこに引っ越すのかまでは、言えない。
自分自身も、その場所を知らないし、誰かに話してしまえば、聖典に伝わってしまう。
真珠の葬儀の後、父親は璃子を置いて、家を出て行ってしまった。
自分の娘が、母親を死なせてしまったおそろしいい現実を受け入れるのは困難で、「化け物と一緒に暮らせない」と、璃子にはっきりとそう言ってしまった。
なぜ真珠が死んだのか、理解できていなかった璃子は、なぜ父に嫌われたのか最初はわかっていなかった。
しかし、父の態度と、葬儀場でコソコソと話していた母方の親戚達の会話から、自分の吐き出した中にあったアレが、母だったのだと気がつくのに、そう時間はかからなかった。
(私が……ママを……しまったから————)
聖典の提案————あんな提案に耳を傾けなければ、こんな事態は起こらなかったかもしれないと思った。
自分が異能者であることが、怖い。
真日本人教の施設で、璃子の異能は特別で、素晴らしいものだと教わったが、この能力は、簡単に人を殺してしまう。
とても危険なものだと、怖くてたまらなかった。
「璃子ちゃんは何も悪いことしてないのに、どうして? どうして、璃子ちゃんが引っ越すの?」
「聖典、何言ってるの? 私が、私のせいで…………ママが————」
「違うよ。璃子ちゃんのせいじゃない。ママが悪いじゃない。璃子ちゃんが一緒にいて欲しい時に、一緒にいてくれなかった璃子ちゃんのママが悪いんだよ。璃子ちゃんは何も悪くないよ? 僕が言った通りにしただけでしょう? 璃子ちゃんのパパもおかしいよ!! なんで璃子ちゃんを嫌うの? 異能者であることは、他のみんなと違って、すごいことなんだよ? 自慢できることなんだよ!? 素晴らしいことなんだ!! 僕たちは特別な存在なんだよ!? 行かないで! 璃子ちゃん!」
この街を出る前、聖典は璃子を引き止めようと、何度も「行かないで」と言った。
「……もういい。何もすごくなんてないよ。私の気持ちは、言わなくても、わかるんでしょう」
(もう二度と、異能者とは、関わりたくない————)
聖典は璃子の乗った遠ざかる車に向かって、叫んだ。
「忘れないで! 璃子ちゃん! 僕のこと、忘れないで!! 忘れないで」
何度も、何度も……
【Case4 青春小学校女児連続失踪事件 了】
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