第6話 過去



「アリスはまだ幼いからな。今日からは私がこの家を受け継ぐことになった」


 私たち親子が乗った馬車が崖から落ち、私を抱え込むように両親が死んだ。

 守られた私が目を覚ました後には、二度と父さまと母さまに会えることはなかった。


 なんで、わたしだけが生きのこってしまったんだろう。


 父さまがくれたウサギのぬいぐるみは、泥や血で薄汚れてしまった。それをきつく抱きしめながら、ニタニタと笑う叔父から目を逸らす為に、俯いた。


 父さまと母さまが守ってきたディルス伯爵家の屋敷は、叔父夫婦が越してきてから内装や家具が全て入れ替えられ、元の姿は見る影もない。


 落ち着いた雰囲気から、やたらと宝石の多いギラギラとした装飾が増やされ、悪趣味な豪華さへと変わった。使用人さえも、全員知らない人。


 おちつかない。


「この家を継ぐのは私の息子だ。アリス、お前は部屋に引きこもっていろ」


 私が使っていた部屋は叔父の息子が使うようになり、物置を自室としてあてがわれ、埃をかぶっていた床や棚を幼いながらに掃除をしていると、お前は掃除をしている姿が似合うと言われ、使用人のように扱われる日々が始まった。


「先代の子は、両親を亡くしてから塞ぎ込んでしまって、ほとんど部屋から出たがらないんですよ」


 客人など他の貴族たちにそう触れ回っている叔母を横目に、ひたすら床を磨き続ける。

 はたから見れば、私は使用人の1人でしかないだろう。


「まだ掃除が終わってないの? 本当にのろまね」


 廊下を掃除している途中に、夫婦の自室へと呼び出されると、叔母に突き飛ばされた。

 続けて叔父は私の頭へ紅茶をこぼす。


「午前中に全て終わらせろと言っただろ」


 使用人たちも手伝ってくれない状況で、この広い屋敷を1人でなど、無茶だ。嫌がらせでしかない。

 私をいびる為の口実だ。


 黒髪の先からポタポタと雫が落ち、床につけている指先近くにできた水たまりに波紋が広がるのをぼんやりと眺めながら、謝罪を口にする。


 這いつくばる私を、使用人たちさえも嘲笑うように、ただ、見ているだけ。

 重たい視線をなんとか上げると、果物の乗ったカートが扉横にあり、果物ナイフが目に入った。


 脳の血液がスッと下がってくるように、頭が冷えていく。


「こんなにされても表情ひとつ変わらないなんて、気味が悪い」


 叔母は扇で口元を隠しながら、三日月のように歪めた瞳で、私を見下ろしている。


「ああ、まったくだ。掃除くらいはできるかと思って育ててやってるのに」


 ぶくぶくと太った中年男の体重が革靴の底を通して、私の手にじわじわとのしかかる。


 いたい。


「あのケチな兄夫婦と一緒に死んでくれれば、お前の貧乏くさい顔なんて見なくて済んだのに」


 叔母に髪を掴みあげられ、顔を上げさせられる。瞳に映る私の表情は、ひとつも動いていない。

 だけど、痛みがジクジクと心を黒く染めていく感覚。


 あぁ、いたい、いたい、…いたい。

 私だけ、なんて、不公平よね。


「お詫びに、果物を切ってご用意します。叔父様、叔母様」


「は? 何を言って──!?」


 突然の申し出に呆けた叔父は、私の手に乗せた足の力を抜き、その一瞬の隙に私は手を主軸に、低姿勢で叔父へ足払いをする。

 いとも簡単に叔父は尻餅をついた。


 叔母は素早い動きに反応できず、私を掴んでいた手を宙に浮かせたまま、呆然と立ち尽くしていた。


 2人が我に返る頃には、果物ナイフは私の手中。


 目を丸くして青くなっていく叔父夫婦を横目に、リンゴを持ってみる。


 私の行動ひとつで怯えきっている様子はとても良い。こんなにも昂揚したのは初めてかもしれない。


「どうしたのですか。私はお2人に林檎を食べてもらいたいだけですよ?」


 くるくると皮を剥いていた林檎を皿に置き、ゆるりと2人と向き合う。

 私が首を傾げると、どちらかの喉が引き攣る音がした。


「…っ、いいから、ナイフを置け!」


 後退りする叔父に、大きな一歩で近づく。


 私が何をしようとしているのかが、表情からは読めないはずなのに、何故わかるのか。

 恨みを募らせるようなことをしていると、ちゃんと理解した上で、私にあんな仕打ちをしていたということだ。


 どこまでも胸糞が悪い。


「私、痛かったんです。…きっと、父さまも母さまも、すごく痛かったはずなんです。叔父様も、味わってみたらきっとわかりますよ」


 ナイフを握った痣のできた自らの手の甲をさすり、床を蹴った。壁に張り付いて逃げ場のない叔父の首めがけて、切先を振り上げながら。


 勢いよく舞う鮮血は弧を描き、私と叔母の頬へ散る。


 静寂の間があり、複数の金切り声が耳を劈いた。

 叔母と使用人たちの声だ。うるさくてかなわない。


 叔父は数秒痙攣して、動かなくなった。


 なんだ、こんなに簡単だったなんて。もっと早くこうすればよかった。


 腰を抜かしながらも這いつくばり、逃げようとしている叔母のドレスを踏みつける。


「叔父様は、痛みを知れましたかね。ねぇ、叔母様」


「ひ、人殺しぃ!! 離しなさい!!!! イヤァアアアア」


 叫ぶな、鬱陶しい。


「人殺しというのなら、あなた方夫婦もそうでしょう。この家と爵位欲しさにお父様とお母様を殺したのはあなた達なのですから」


 見開いている目を更に大きく開きながら、真っ白を超えて青白くなる叔母に、ナイフを向ける。


「な、なぜそれを」


 今朝、叔父の書斎で2人で話していたでしょう。

 計画通りだったのに、私が生きていたことは誤算だった、大きくなってしまった今、どう処分しようかと。

 政略結婚に使うか、いっそ殺してしまうか…。


 真っ直ぐに叔母の肩へナイフを突き立てると、叫び声がこだまする。


 あー、ほんっとに、うるさい。

 叔父と同じようにひと刺しでやらないと、こんなにも耳障りなのか。


 首をひと突き。


 動かなくなったことを確認して、ゆったりと立ち上がると、使用人の何人かが慌てて出て行ったのか、扉が開け放たれていて、その近くで取り残された者が腰を抜かして震えていた。


 叔父夫婦と一緒になって、私を嘲笑っていた使用人たちのひとり。


 他も、誰1人として、屋敷から出さなかった。


 玄関のそばで最後の1人を血溜まりに落とした時には、髪からも服からも、ポタポタと赤黒い液体が滑り落ちていく。

 衣服に染み込んだ血液は部分的に固まっていて、洗っても落ちなさそうだ。


 ふぅ、と、ひとつ息を吐き、玄関扉に手をかける。


 そういえば、叔母夫婦の息子がいなかった。今日は学園の登校日だったっけ。

 まあ、どうでもいいか。


 オレンジ色の太陽が、暗い屋敷の血溜まりを照らす。


「キレイね、父さま、母さま」


 ほんの少し、口端が上げる。うまく笑えているだろうか。


「こりゃすげぇな。お前ひとりでやったのか」


 ビシャっと何の躊躇いもなく血溜まりを踏みつける音と声に、僅かに身体が跳ねる。

 だがすぐに、後ろの声の主、男の顔目掛けて回し蹴りをするが、彼は一歩下がって避けた。


 男の腰に拳銃が下がっている。


 間髪入れずグッと近付くと、掴もうとしてくる男の身体に沿って私は反転し、背後を取り、拳銃を奪う。

 カチリと安全バーを下げ、銃口を後頭部に突きつけると、男は両手を上げた。


「何モンだ? 少女の動きじゃねぇ」


 男は怯えることなく、死ぬという恐怖も感じていない様子だ。


「あなたこそ誰ですか。…私は痛い思いをしたくないから、そう動いてるだけ」


 ハッと乾いた笑いの後、男はいいねぇと呟いた。

 私の背後からは、様々な銃器を構える音がした。


「嬢ちゃん、カシラから銃を離しな」


 10人程度か。見窄らしい格好のいかつい男たち。


 手の中の銃はそのままに、私はゆっくりと両手を上げ、彼らの方へと向く。


「どっかの殺し屋の女か?」


 ひとりが一歩踏み出したのを合図に、私はグンッと姿勢を下げ、懐に入り込む。

 違う男が慌てて撃った銃弾は、床にめり込んだ。


 片足の脛に抱きつき軽く持ち上げるだけで、後ろへ倒れ込んだ男は、その先にいた2人を巻き込んだ。

 そのまま横に立っていた1人の足首を払うように蹴ると、さらに数人が倒れ込む。


 立っているのは、私とカシラと呼ばれた男だけ。彼の方へと頭からゆるりと振り返る。

 男はニヤケ顔で、パチパチと煽るような拍手をする。


「ホント、すげぇな!! うちで働け。どこのモンか知らねぇが、もっといいカネで雇ってやる」


 男のひと声で、起きあがろうとしていた全員の動きが止まる。


 お金か。確かに行くところもないし…。


「そうですね。これからどうしようか悩んでいたところですし、よろしくお願いします」


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