第5話



「ご機嫌よう。今日はよろしくお願いしますね、アリスさん」


 落ち着いたドレスは品があり、姫君のふんわりとした雰囲気にぴったりだ。

 上品な微笑みに、私は深く頭を下げる。


「姫様、この度は調査にご協力感謝します」


「貴女もお兄様からの命令で動いているのでしょう。いつも大変なお仕事ばかりをバイパー男爵にお任せしているようですし…貴女に危険がなければいいのですが」


 姫様が俯くと色素の薄い瞳に影が落ち、悲壮感が漂う。


「私のような者にお心遣い、ありがとうございます。ご安心ください、今回は簡単な仕事ですので」


 安心させようと視線を真っ直ぐに受け止めていると、姫様はふわりと口角を上げ、さらに無言でじっと見つめてくる。

 私が首を傾げると、姫様はごめんなさいと謝った。


「本当に無表情なのですね。たくさんの笑顔の裏を読んできたけど、貴女は全く読めません」


 少し困ったように笑う彼女は、王族であるが故に、多くの悪意や妬みなどの負の感情に晒されてきたのだろう。

 そのことに気づいて、ハッとする。


「す、すみません。表情筋は死んでますが、私は姫様に対して悪意は全くありません。誠心誠意、お仕えいたします」


 言葉で言っても、本心は伝わりにくい。私は感情が表に出ないから余計にだ。

 どうすれば姫様に本音が伝わるか分からず、頭上に汗を飛ばしていると、姫様がクスクスと笑いだした。


「ええ、わかっています。お兄様からバイパー男爵と、そこに仕えるアリスさんは、心から信頼していいと聞いております。貴女の言葉はその通り、受け止めます」


 楽しげに笑っている姫様の言葉にホッとして、礼を言うと、シールズ侯爵家へと向かう馬車へと乗り込んだ。



 侯爵邸は外観だけでも、その爵位相応の広大さで、豪華だ。

 メイドが案内してくれた茶会の会場である中庭も、多くの白薔薇が咲き誇り、隅々まで手入れが行き届いている。


 すでに集まっている女性たちは、姫様の姿を見て立ち上がり、リタ嬢を中心に深く頭を下げる。


「王女殿下、本日は招待に応じていただきありがとうございます。友人同士の談笑を楽しむ集まりですので、気楽に楽しんでいただけると嬉しいですわ」


 パーティーの時に私を見下していた時の表情とは正反対の笑みを浮かべるリタ嬢は、目上の方への礼儀作法はきちんと叩き込まれているようだ。


 それに対して、姫様は上品な微笑みを貼り付けて答える。


「いつも招待してくれているのに、なかなか参加できなくてごめんなさい。今日は私に気負わず、皆さんも楽しんでくださいね」


 リタ嬢にすすめられた席へ姫様が座ると、屋敷の方から視線を感じ、視線だけを向ける。

 ──シールズ侯爵?


 鋭い視線は姫様から私へと移動してきて、目があったのが気づかれたのか、シールズ侯爵は部屋の奥へと姿を消した。


 王太子殿下と仲の良い妹君が、娘の茶会へ参加した。

 聡明な人間なら、探られていると気づくだろう。


 本当の姫様付き侍女に、殿下からの仕事で側を離れることを耳打ちし、話に夢中になっているご令嬢たちや使用人たちの目を盗み、屋敷へと忍び込む。


 メイド服のおかげか不審がられることもなく、広い廊下に人が少なかったこともあり、簡単に書斎の扉前まで辿り着けた。


 扉に耳をつけ、中の動きを探るが、人の気配はない。

 ゆっくりと扉を開ける。


 いつでも逃げられるように窓を開けて、乱雑な机上にある紙類を漁る。

 侯爵の仕事上、必要な書類ばかりだ。盗賊との関わりがわかるものは無い。


 引き出しを開けていくと、鍵のかかった棚があり、ポケットから出した針金でいとも簡単に開けることができて拍子抜けだ。


 汚い文字の報告書は、どれもしわくちゃで汚れもついている。


 燃やしもせずこんな紙を残しているなんて不用心すぎる。それに、この筆跡、どこかで見たことがあるような…。


『露店からのみかじめ料 10,000~』

 これは税金とは別の違法な取り立て。


『ディルス伯爵家への脅迫失敗。すでに使用人もろとも一家惨殺』

 これはこれは…懐かしい、私が捨てた名前。まさかこんな所で見ることになるなんて。

 嫌なことを思い出しそう。


 血まみれの果物ナイフを握り、血の海に足跡を残しながら大きな玄関扉を開けたあの日の夕焼けの眩しさが、昨日のことのように鮮明に浮かぶ。


 振り払うように頭を振ると、足音がこちらに近づいてきていることに気づいて、汚れた紙だけをポケットに突っ込んで、引き出しの鍵を閉め、窓からテラスへと出る。


 2階ほどの高さから軽やかに飛び、地面へと着地すると、微かに書斎の扉が開く音がした。

 スカートを翻し、姫様の元へと足を向けた。


 仕事が終わったことを姫様に耳打ちすると、彼女は軽くパンっと柏手を打つ。

 姫様へ全員の目が向けられる。


「これから公務がありますので、そろそろ帰ります。皆さまのお話、とても楽しかったです、ありがとう」


「では、お見送りしますわ。どうぞこちらへ」


 自らの茶会に王族が来たことで、周りに自慢できたのか、満足げにリタ嬢が姫様の前を表門まで先行する。


「今日はお誘いありがとう」


 姫様のふわりとした笑みを、作ったものだと見抜けないリタ嬢は、楽しんでもらえたのだとおもっているようで、また来てほしいと興奮気味に言っていた。


 馬車に乗り込むと、姫様は肩の力を抜くように小さく息を吐いた。

 表情には僅かな疲労も見える。


「姫様に負担をおかけして申し訳ありません。証拠は手に入れましたので、王太子殿下には後日報告いたします」


「令嬢たちとの会話は言葉を選ぶのが大変で、少し疲れただけです。貴女が無事に戻ってきてくれて安心しました」


 先程まで凛としていた姫様は、心からそう思ってくれているのか、どこか幼く見える。


「それに、今回のことはお兄様への貸しです。きっちり返してもらいますから、アリスさんは気にしないで」


 悪戯っぽく笑いかけてくれることにホッとして、他愛無い話をしながら帰路についた。


 ご主人様に報告する為、自室で証拠の紙を確認する。


「ディルス伯爵家か…」


 父さま、母さま…。


 ディルス家本家だった私の家を、両親が事故死した直後に叔父が乗っ取り、地獄の生活が始まった。

 その事故も偽装された、起こるべくして起こったもので、私もその時死ぬはずだった。


 叔父夫婦にとって邪魔だった私は、使用人以下の扱いを受けて、壊れた。


 そんな叔父も叔母も、この世にはいない。ざまぁみろだ。


 私は無意識に、口角を上げた。


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