第2話
鳥の囀りと共に窓から入ってくる明るい朝日が照らすクローゼットには、ご主人様からプレゼントされた様々な服が入っている。
その中でも、仕事着であるクラシカルなメイド服は、全て同じデザインで数着用意されている。
白いサイハイソックスをガーターで留め、黒いワンピースに袖を通し、これまたご主人様に頂いた椿櫛で整えた長い黒髪を襟から出す。
白いエプロンを纏い、腰の後側でリボン結びをし、頭には両端に黒いリボンの付いたホワイトブリムを乗せ、鏡の前でくるりと全身を確認した。
ふわっと広がるスカートが動きを止めると、艶やかな髪が左右に揺れ、磨いた黒いメリージェンシューズでコツリと床を叩く。
「よし」
爽やかな朝の空気に足取りは軽くなるが、バイパー男爵家唯一のメイドとして、背筋を伸ばし、駆け足にならない程度で、ご主人様の寝室へと急いだ。
ご主人様であるミハエル・バイパー男爵は、既に書斎へと仕事に向かったようで、姿はない。
起床時に投げ出したのだろう、掛布はそのままで、ダブルサイズのベッドシーツはクシャクシャだ。
部屋の中央より少し西側に、テーブルとセットで置かれた1人掛けのソファの背もたれには、夜着が放り投げてある。
回収するついでに顔を埋めると、ご主人様の匂いが鼻を通り、頭の奥深くまで沁み渡っていく。
あぁ、良い匂い。
ご主人様の香りを毎朝堪能できるのは、たった1人の使用人である私だけの特権…。
愉悦に浸りつつ、洗濯室へそれらを持って行き、洗濯機の中へ洗剤と共に放り込み、後は機械に任せる。
洗濯済みの物を整理した棚に、きっちりと詰められた中からシーツを抱えた。
ほんのりと、ご主人様お気に入りの柔軟剤の香り。
再びご主人様の寝室へと戻り、ベッドを皺ひとつ無く整えると同時に、玄関からベルの音が聞こえてきた。
昨夜の報告の為に王宮へ向かう準備をしなければと、今日の予定を立てていたのだが、変更になるかもしれない。
頭の中で新たに予定を立て直しながら、客を迎えに、メイド服を翻した。
来客者は、報告に行こうとしていた相手であるライバン王太子殿下で、まさかの事態に私は内心動揺している。
彼の側近であるガイルは、仕事の件でよくこちらへ来るので、彼の来訪だと予想していたのに…。
貴族階級の中でも低級の男爵家に、第一王位継承者である殿下本人が来るなど、頭の隅にも無かった。
それも、護衛はガイル1人だけだ。不用心が過ぎるのではないか。
まぁ、私はそんな事を指摘できるような立場では無いのだけど。
「我が主人は朝食がまだなのですが、殿下はお召し上がりになられますか」
私の手料理を殿下にお出しするなど、失礼だろうか。しかし、ご主人様の朝食を抜く事もしたくはない。
このまま報告会が始まってしまえば、終わるのは昼頃になってしまうだろうし。
殿下は目にかからない程度の、王家の象徴である銀髪を揺らし、小首を傾げる。吊り目がちな蒼瞳をこちらへ流す仕草は上品でいて、どこか艶やかに細められた。
「それは、アリスの手料理かい?」
大きな窓を背にした殿下の、襟足辺りで結い、胸の方へと流した髪が、朝日でキラキラと輝いて見える。
眩しくて直視していられないのを誤魔化すように、私は軽く頭を下げた。
「はい。この屋敷に使用人は私しかいませんので」
やはり、失礼だっただろうか。私のような者が用意する食事をすすめるなんて。
胸中は焦りと緊張でいっぱいだが、私の表情筋は全く動かない。
笑顔くらいは作るべきだろうかと顔と口端を上げると、殿下の後ろに立つガイルの眉間に皺が寄った。
おかげで不出来な笑みになった事が分かったので、すぐに戻した。
その事に殿下は目敏く気づき、口元へ手を当てクスリと笑う。
「君が感情を表現するのが苦手なのは知っている。無理に笑わなくていい。私もミハエルと共に朝食を頂こう」
殿下の言葉に安堵し、準備の為に応接間を出ようとすると、入れ替わるようにご主人様が部屋に入ってきて、ドアを押さえ一礼する。
今日は王宮へ訪問する予定だと、流石に分かっていたようだ。
いつもの気崩したシャツとスラックス姿でない事に、ホッとする。
深い紺のネクタイに、薄いグレーのジレ。スラックスにはきちんとベルトを通していた。
普段は櫛でといただけの金髪も、きっちりと撫で付けられていてる。
オールバックなご主人様は、王家の方々に面会する時くらいにしか見れない。
はあ、かっこいい。
普段は勿論だが、偶にしか見れない姿というのは胸にくる。
余韻に浸りながらも、調理室でトーストとサラダ、コンソメスープを手早く用意し、応接室へと戻った。
ご主人様と王太子殿下が囲むテーブルへと朝食を並べる。
ご主人様は苺ジャムを好んでいるので、いつもならそれしか出さないのだが、殿下の事は分からないので、マーガリンなども別で添えた。
ティータイムが食後に間に合うように、ゆったりと準備をしていると、ウェズリ伯爵の暗殺報告は粗方済んだようで、伯爵子息が後を継ぎ、領地を治めるらしい。
親の二の舞にならないよう、殿下直々に面会をし、圧をかけたそうだ。
信頼が得られるまでは監視は外れないだろうから、悪い事は出来ないでしょうね。
2人の会話からそんな事を思いながら、音を立てず紅茶を注ぎ、食べ終えた食器と交換するように、それぞれの前へと置く。
ご主人様が飲んだのを確認して初めて、殿下はティーカップに口を付けた。
「今回の仕事は書簡でやりとりするわけにはいかなかったのですか? 王宮にて直接会って指示され、無事終えたかと思えば、我が屋敷へ報告を聞きに来られるとは、流石に驚きました」
お互いニコニコし合っているのを、一般の人たちが見れば和やかに見えるだろうが、近くにいる私とガイルの肌には緊張感が刺し、背筋が伸びる。
「大きな領地を治める伯爵の殺し案件は、知っている人数を限定しなければいけなかったんだ。それに、ミハエルが初めて雇ったメイドがどんな者か知りたかった。お前は王宮の中へは彼女を連れて来てくれないからな…ガイルから聞いていた通り、まるで人形のように可愛らしい」
「あげませんよ」
ご主人様の笑みが消え、スッと目が細められる。
ご安心ください。被せるように即答されなくとも、私はご主人様から離れる予定はございません。王太子殿下からのお誘いであっても、全力でお断りいたします。
そんな想いを、ご主人様の頭頂部へ視線で送る。
殿下は素で可笑しそうに喉をクッと鳴らし、ゆっくりとティーカップをソーサーへと置いた。
「ミハエルの仕事は以前から素晴らしかったが、彼女が来てから、より多くの仕事をこなせるようになったんだ。取り上げようなどと思っていないさ。まさかこんな子が、あんな殺し方をするとは想像がつかないけれど」
ご主人様に仕え始めてから1年半、数体の死体周りを血の海にしている情景が脳裏を過ぎる。
それはガイルもだったのか、
「後処理の事も考えていただきたいものです」
と、呆れたように紅瞳を伏せ、口を挟んできたので、彼に視線を移す。
私と同じ無表情な目が合い、火花が散った。
見かねたのか、ご主人様が私の右手を取り、親指で甲をなぞった。
「私が血塗れになるアリスが見たくて、無理を言っているんです。この子は悪くない」
そこへ軽く唇が触れ、心臓がときめきで忙しなくなるのに、私の表情はピクリとも動かない。
私はご主人様の命令優先です。いくらでも血を浴びてご覧にみせます!!
心の中で小躍りしていると、ガイルの赤い髪が視界の隅で揺れ、そちらへ視線を戻す。
彼の眉間の皺は、先程よりも深く刻まれていて、嫌悪感を隠そうともしていない。
仕事相手として紹介された初対面時からずっと、何故か私を敵対視してくる。
会えば毎回、小言と嫌味を投げかけてきて、鬱陶しい。
「ミハエルは昔から好きな物に赤色を付けるのが好きだったけれど、まさか血飛沫が好きなサイコパスになるとは思わなかったな」
そんな事を言う殿下の笑みは先程からほぼ変わらないが、ご主人様は翡翠の瞳をパチリと瞬かせた。
「そのおかげで、貴方のお力になれているのですが」
「お前が敵にならなくて、本当に良かったよ」
肩を竦めながら、殿下が再びティーカップを持ち上げ軽く回すと、ふわりと僅かな紅茶の匂いが鼻腔をくすぐる。
「私は最低限の善悪と情は持ち合わせていますからね。血を浴びるのは好きですが、善人を殺す趣味はありませんよ。…それに、私が生涯仕えるのは貴方だけです」
ご主人様がやれやれといった風に言うと、殿下は一瞬だけ目を瞠って、すぐに笑みに変えた。
「私は良い部下に恵まれているな」
元の表情に戻しただけかと思ったが、貼り付けたものではない、安心したような、本当の笑みに見えた。
緊張感が和らぎ、和やかになった2人の雰囲気に、肩の力を抜いて側に侍る。
ガイルも小さく息を吐いていた。
「そんな素敵な部下に、新たな任務を頼みたい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます