第3話



 王宮の大広間は夜だというのに、真昼のように明るく、招待された貴族たちは煌びやかに着飾り、本音をひた隠すように笑みを貼り付けている。


 なぜ私までもが王太子主催のパーティーに、ご主人様のパートナーとして出席しなくてはならないのか。

 使用人としてあるまじきことでは。


 ガラス扉に映る自分の姿は、普段の私とは別人のようだ。


 猫目を強調するようにアイラインをはっきりと引き、目尻には赤いアイシャドウを乗せ、それに合わせた赤いリップが唇を彩っている。


 黒いドレスは細身のラインにピッタリと沿い、膝下でふわりと広がるマーメイド型で、足の甲から足首を紐で固定された少し高めのヒールサンダル。


 会ったことのある人間でも、私だと気づかないかもしれない。


 頭ひとつ分より少し上にあるご主人様の横顔を盗み見ると、蕩けた赤茶の瞳がこちらへと向けられた。


「ドレスを纏うアリスをエスコートできる日が来るなんて、夢みたいだ」


 ご主人様が最初に持ってきたドレスは露出が多すぎて拒否したのだが、満足そうで良かった。


「ごしゅ…ミハエル様の好みに合わせられず、首元まで隠してしまっていますが、よろしかったのですか」


 危なかった。この場で私はパートナー。

 貴族たちは目敏い。呼び方ひとつで周りに怪しまれてしまう。

 気をつけないと。


「アリスが着るものだ。私の好みなんて関係ない。こんなにも似合っているしな」


 ご主人様が流れるような動作で、彼の腕に絡めていた私の右手の甲へキスをする。

 ウインクまで添えた甘い表情に、周りの女性たちが感嘆の吐息を漏らした。


 パーティー会場へ足を踏み入れてから、他の貴族たちからの視線や、コソコソと何やら話している声が纏わり付き、ご主人様の噂がかなり広がっていることがわかる。


 王太子殿下の命令で悪さをする貴族を粛清するバイパー男爵。要約すればその様な言葉が聞こえてくる。


 まあ、そんなことより──


「殿下はミハエル様お1人での参加で構わないと仰っていたのに…何故私まで」


 扇で口元を隠しながら小さくぼやいたのだが、ご主人様の耳は微かな呟きも聞き逃してくれない。


「パーティーに独りで参加するということは、結婚相手を探していると言っているようなものだ。女性に囲まれるのは煩わしくて仕方ない」


 確かに、ご主人様は変態趣味さえ無ければ見目は整っているし、男爵といえども貴族だ。

 引くて数多だろう。しかし、


「結婚適齢期なのですから、お相手を見つけるいい機会ではありませんか?」


 小首を傾げながら見つめると、ご主人様の笑みが、わずかに引き攣ったように見えた。


 私は何かおかしなことを言っただろうか?


「ミハエル、招待に応じてくれてありがとう。よく来てくれた」


 何とも言えない空気を破るように、王太子殿下が手を振りながら声をかけてきて、見知らぬ男性を連れていた。

 細い狐目は吊り上がっているが、眉尻は戸惑うように垂れていて、気弱そうに見える。


「ラウド・ウェズリ伯爵だ。次の仕事は彼と君に頼もうと思っている。伯爵となって初仕事だから、信頼のおけるミハエルに任せたい」


 紹介されたウェズリ伯爵は、品のある微笑みをたたえる殿下の隣に一歩出て、こちらへと軽く頭を下げた。


「この度、父の後を継ぎ伯爵位を頂戴いたしました、ラウド・ウェズリです。バイパー男爵には、父の件だけでなく、未熟な私のせいでお手を煩わせてしまい、申し訳ありません」


 どうやら伯爵は、実父の死の真相について知っているようだが、その瞳に敵意は欠片もない。

 とんだボンクラ貴族だった父親だ。息子にも見放されていたのか。


「ミハエル・バイパーです。お父上の事はなんと言っていいのか…。引き継ぎ等で大変でしょう。私で力になれることでしたら、何なりとお申し付けください」


 右手を胸に当て軽く頭を下げるご主人様に倣って、会釈をしながら横をチラリと見ると、他の貴族と同じような作り笑顔のご主人様に、様になるなぁと見惚れてしまう。


 ずっと見ていられる。


「ところで、殿下。男爵の私が伯爵様へお教えできる事とは何でしょう」


 顎に軽く手を添え、首を傾げるご主人様の耳元に殿下は口を寄せ、声の大きさをかなり絞って話を続ける。


「公爵か、伯爵か…高位貴族が野盗を集めて小銭稼ぎをしているらしい。正体を突き止めるなら、伯爵位のラウドが居た方が動きやすいだろう」


「…誰か分かれば、その後はいつも通りに?」


「複数で手を組んでいる可能性もある。全員を把握次第、手を下す前に報告をしろ。ラウドには既に簡単な説明はしている。頼んだぞ、ミハエル」


 殿下は、軽くご主人様の肩をポンと叩く。


 これは、ウェズリ伯爵を監視し、信頼できるかどうかも判断しろということだ。


 相変わらず、人使いの荒い方だ。


 小さく息を吐き、周りでコソコソと何やら噂している貴族たちを見回す。


 殿下が招待したこの人々が疑わしいのだろう。中には、目眩しの為にか、全く関わりのない人も呼ばれているようだけど…。


 殿下と懇意にしている、もしくは多少の信頼を得ている貴族がそうだろう。だとしたら、それ以外を徹底的に調べ上げなければ。


 これはまた、羽振の良さそうな貴族ばかりで、胸焼けがする。


 彼らの給金で、あのような華美なドレスや宝石、アクセサリーが買えるとは思えない。誰も彼も、叩けば埃が出そうだ。

 殿下は、悪行を一掃しようとお考えなのだろうか。


 ご主人様が了承すると、殿下は一歩下がり、にっこりと笑みを作った。


「ミハエルが女性を連れてくるとは思わなかった。どなたかな?」


 待ってましたと言わんばかりにご主人様は私の肩を柔く掴み、身体を密着させる。

 突然の動作に驚き、横を見上げると、ゆるゆるに緩んだ表情のご主人様。


 可愛らしい。


「私の恋人、アリスです」


 惚けていたが、その言葉に私はピシリと硬直する。


 今、ご主人様は何と? コイビト…?


 殿下は笑いを堪えるように口端と声をプルプルと震わせている。


「そうか。未だ許婚どころか女気が無いから、心配して招待したのだが、無用だったな」


「ご心配をおかけして、申し訳ありません。この通り、心に決めた女性がおりますので、ご安心ください」


 私を無視して話が進んでいる。


 私は唯の使用人でのはずですが、何がどうしてこんなことに?


 否定しようと口を開こうとすると、殿下が人差し指を唇へ当て、瞳だけを貴族たちの方へと向けた為、私もその視線を追う。


「あのバイパー男爵に恋人が?」


「許婚がいるとは聞いたことがないが」


 思った以上にご主人様は有名人のようだ。恋人ひとりの話題でこんなにも騒つかせるとは…。

 私は余計な事を言わない方が良いという事だろう。


 小さくため息を吐いて、口を噤んだ。


 そんな私へ、殿下はニコリと笑いかける。

 やはり、ただ面白がっているだけなような気もする。


「では、みんな今夜は楽しんでいってくれ。ミハエル、後はよろしく頼む」


 右手を軽く上げ、会場から出て行く殿下に頭を下げる。

 ご主人様は殿下を見送ると、私と向き合った。


「私はウェズリ伯爵と話をしてくる」


 頷くと、伯爵は私へ軽く会釈をし、2人でテラスの方へと姿を消した。

 数秒合った視線からは、何の感情も読めなかった。


 私が父親を殺したこと、聞いてないはずがない。本当に何も思ってないのか…それとも感情を隠しているのか。


 不思議に思いながらも、情報収集をしなければと周りを見回す。

 足を踏み出す前に、女性たちに囲まれ、値踏するように、頭から足先を視線が舐め回してくる。


 はっきり言って、不快。


「ねぇ貴女、どこのご令嬢? バイパー男爵とはどちらでお会いになったの?」


 そもそも私は令嬢では無いし、ご主人様との出会いも人にペラペラと話せるものでは無い。

 はてさて、どう答えるべきか。


「一度も声を聞けていないのだけど、もしかして貴女…喋れないの?」


 真正面で蔑むように口端を上げ、見下ろしてくるこの令嬢は、確か…侯爵家の方で、殿下と懇意にされている家ではない。


 挨拶も自己紹介もせず、取り巻きと一緒に1人を囲んで質問責めとは、礼儀がなっていない。


「申し訳ありません。…リタ・シールズ侯爵令嬢ともあろうお方が、こんなにも無礼なのだと驚いてしまって」


 リタ嬢はじわじわと顔を赤くしていくと同時に、可愛らしい丸い目と綺麗に整えられた眉が吊り上がる。


「なんっですって!? 侯爵令嬢の私に対してその態度、貴女の方が無礼でしょう!? なんで貴女みたいな得体の知れない人が、ミハエル様と一緒にいるのよ!!」


 甲高い声が劈き、私はわざとらしく手のひらで両耳を塞ぐ。

 初対面で私に対しての敵視と、ご主人様への名前呼び。懸想しているようだ。


「お父様にどれだけお願いしても、私はバイパー男爵に近づけないというのに!」


 シールズ侯爵は、ご主人様に近づきたくはないと。


 悪巧みをしている貴族を、殿下の元で粛清しているというご主人様の噂は広まっているようだし、そんなバイパー男爵に娘を近づけたがらないということは、そういうことかもしれない。

 調べてみる価値はある。


「どこの誰だか知らないけれど、リタ様をこんなに怒らせて、タダで済むと思っているの?」


 他人の不幸が楽しくて仕方ないといった風に、ニマニマと不躾な態度でそう言ってのける取り巻きたちひとりひとりの顔を、記憶する。


 伯爵、子爵、男爵…良い所のご令嬢たちは、さぞ両親に甘やかされているのね。

 自分より身分が低いと判断すれば、こんな横柄な態度を取るなんて、殿下が一掃したくなる気持ちもよく分かる。


 この感じだと、自分の家が何をしているのかも知っていなさそうだし、彼女たちからは大した情報は聞き出せないだろう。

 どうこの場を抜けようか。


 金切り声を右から左に聞き流しつつ思案していると、軽く肩を後ろへ引かれる。


「ご令嬢方、アリスの相手をしてくれてありがとうございます。私たちの用は済みましたし、これで失礼いたします」


 ご主人様が笑みを貼り付け、彼女たちから私の姿を隠すように立つ。

 大きく見える背中に、少し、肩の力が抜けた。


 令嬢たちは態度をコロッと変え、リタ嬢を真ん中に、瞳を潤ませ上目遣いでご主人様を見上げている。


「久しぶりにお会いできたというのに、もうお帰りになられるのですか。せめて私と一曲、ダンスを」


「お恥ずかしながら、ダンスは不得手でして。私のような者が、貴女の小さく綺麗な足を傷つけるわけにはいきません」


 リタ嬢が言い切る前に、気づかれない程度の早口で社交辞令を言っているご主人様を冷静に観察すれば、早く帰りたいという雰囲気を簡単に汲み取れる。

 だが、この場のご令嬢たちはご主人様の言葉をそのまま受け取って見惚れている。


「では帰ろうか。アリス」


 ご主人様が左腕と脇に少しの隙間を作り、私がそこへ腕を通すと、リタ嬢に睨みつけられたが、知ったことではない。


 ご主人様の感情の機微を察せない時点で、貴女は婚約者候補にすらならない。


 出口の方へと踵を返し歩き始めると、慌てたように駆ける眼鏡の男性とすれ違う。


「リタ、婚約者の僕を放ってフラフラしないでくれ。少しは自分の立場を──」


 後ろをチラリと見ると、彼はリタ嬢へ何やら言っているが、彼女はツンっとそっぽを向いて、私たちとは反対の方向へ歩き出した。


 リタ嬢の婚約者は、アル・ジェルダム侯爵子息か。様子を見るに、リタ嬢は納得していない、親同士が決めた婚約のようだ。


 シールズ侯爵家とジェルダム侯爵家か…2つの家が組めば、王家の目を掻い潜って悪さをするなんて、簡単だろう。

 探ってみる価値はあるかもしれない。


 ご主人様に手を引かれ馬車へ乗り込み、リタ嬢とのやりとりを全て伝えると、苦労かけたなと、苦笑いされた。

 その労いと表情だけで私の疲れは吹っ飛びます。


「取り囲まれていたので、他の方々の情報はあまり得られなかったのですが、早々に帰って良かったのですか?」


 小首を傾げていると、文字のびっしり書かれた紙切れが渡される。

 そこには、パーティーに招待されていた王太子殿下と懇意にしていない貴族たちの名前が記されていた。


「あの場にいた貴族たちの顔と名前さえ分かっていれば、こちらで調べればいい」


 私は受け取った紙切れに並ぶ名前を記憶しながら、瞬きする。


「殿下はわざわざパーティーなど開かなくとも、名簿を送ってくだされば手間は掛からなかったのでは…」


 ご主人様は肩を落とし、大きくため息をついた。


「本気で私とウェズリ伯爵の伴侶探しも兼ねたかったようだ」


 ウェズリ伯爵はご主人様より少し年下だったはず。未だ、お相手がいらっしゃらないのか。


「ご主人様も良いご年齢ですし、ご結婚を考えなければならないのは確かですね」


 殿下も言っていた通り、ご主人様には女性の影が全く無い。使用人として、婚約者探しも始めるべきかしら。


 口元へ手を当てて思案していると、ご主人様は眉間に深く皺を寄せていた。


「私にはアリスがいればそれでいい。相手を探そうなどと、無駄な事は考えるなよ」


 私がいればいいというのは、私としては最高の褒め言葉でございます。心の中では踊り狂っております、ご主人様。


「しかし、私はあくまで使用人です。バイパー家の存続の為にも」


「殿下が私を気に入り、戴いた名と爵位だ。別に後世に残そうなんて思ってない」


 ご主人様が私の言葉に被せるように、そこまで言うのなら、これ以上進言することはない。この話は、ご主人様にとって地雷なのかもしれない。


 彼のお子様のお世話をしたいなど、我儘な願望は、胸の奥に閉まっておこう。



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