裏稼業男爵に飼われるは元殺し屋の黒メイド

こむらともあさ

第1話



 沢山の星が瞬く夜闇の真ん中に、ぽっかりと穴が空いたように満月が爛々と輝き、広大な屋敷の白壁の美しさを引き立たせている。


 こんなに綺麗な建物の家主が、領民から法外な税を徴収している屑な領主なんて、世も末ね。だからこそ、煌びやかに着飾っていられるのかもしれないけど。


 大きな両開きの木製のドアには、高い位置から紐の伸びた呼鈴が付いており、私は躊躇いなくそれを鳴らす。

 すぐに警戒心を僅かに含んだ男性の声が、中から聞こえてきた。


「このような夜更けに、どちら様でしょうか」


「バイパー男爵家に仕える使用人でございます。我が主人が王太子殿下から承った仕事の件で、ウェズリ伯爵にご用件をお伝えしたく参りました」


 ゆっくりと開いた扉は、男性の恐々とした心情を表すかのように、数センチほどしか隙間がない。

 私は出来る限り口端を吊り上げる。


 息を呑み、青白くなる彼の表情から、私の笑みの完成度が知れた。


 少しは安心させられるかと思ったけど、失敗したみたい。表情を作るのは苦手なのよね。


「主人は就寝中でございます。どうかお引き取りを」


 とうとう震え始めた男性の声色に、私は諦めて表情筋を緩めると、彼は喉を引き攣らせたが、どうでもいい。


「それは好都合です。バイパー男爵家から来たという事がどういう事か、もうお解りでしょう。王太子殿下からの警告を無視した、貴方の主人を恨みなさい」


 閉じられそうになった扉へ、黒いメリージェンシューズの先と、きっちりとアイロンのかけられた黒いワンピースを纏った肘を滑り込ませ、力任せにこじ開ける。


 その勢いで、ウェズリ伯爵家の執事であろう年配の男性は、転がるように後ろへ尻餅をつき、ガクガクと震えながら私を見上げる。


「貴方がた使用人に用はありません。伯爵の元へ案内してください」


 コツ、と、一歩踏み出し近付くと、彼はヒィッと両腕で頭を庇った。その事に、私は深い溜息を吐く。


 用は無いと言っているのに、ここまで怯えられると腹立たしくなってくるわ。

 白いエプロンの腰紐に下げられた小銃を、無意識に撫でてしまう程に。


「に、2階の1番奥の部屋でございます」


 中央の豪奢な階段を指差しながら、哀れなほど全身を震えさせる男性からはさっさと視線を外し、言われた部屋の方向へと足先を向ける。


 広い屋敷は深夜という事も相俟ってか、私の足音だけが響いて、目的の部屋へと辿り着き、止まる。代わりに、ノック音が廊下の窓を微かに震わせた。


 夜明けまではまだ、5、6時間くらいかかるかしら。


 中から返事は無い。どうやら部屋の主は、ぐっすり眠っているようだ。ドアノブを回すが、鍵がかかっているのか、ガタガタと揺れるだけ。


 エプロンのポケットから針金を取り出し、鍵穴へ突き入れ弄ると、カチリと開いた。


 銃で壊すことは簡単だが、物を無駄に破壊するのはご主人様のメイドとして品が失われて、殿下にお叱りを受けてしまう。それは避けなければいけない。


 けれど──


 柔らかな絨毯を踏みしめながら、中央に丸々とした山を作った天蓋付きのベッド横で立ち止まる。


 耳障りな鼾をかきながら涎を垂らす頭を撃ち抜くのは簡単なのに、我がご主人様は、私の真っ直ぐな黒髪や白い肌、クラシックなメイド服が返り血で染まるのをご所望の、とんだ変態趣味なお方。


 羽毛布団を剥ぎ取っても覚醒しない呑気な伯爵には、こんな高級品の数々は豚に真珠だわ。


 腰の小銃をゆったりと構え、脳天に向けた銃口を、ぶくぶくと太った脹脛へと移動させ、バンッと、1発放つ。


 私のエプロンへ赤い飛沫が散って、ようやっとウェズリ伯爵は目を見開き、汚い断末魔をあげた。


「なんだっ、誰だ!?」


 枕の方へ左足を敷布へ擦り付けながらずり上がる太った貴族様が、忌々しい過去の情景と重なり、思わず腹へもう1発撃ち込んでしまった。


 ヒィヒィと腹を押さえうずくまる伯爵が、まだ死んでいない事に安堵する。


 嫌な事を思い出してしまった…。

 そんなことより──


 あと3発。返り血を浴びて、全て使い切らなければならない。そういう命令──本当に、面倒ね。


「こんばんは、ウェズリ伯爵。バイパー男爵家使用人のアリスと申します。法外な税の徴収、その横領、密輸…挙げればキリがありませんね」


 深く沈む柔らかな寝台へ登り、伯爵の腰を跨いで立ち、見下ろした。

 荒い鼻息がかかる距離ではない分マシだが、音と視界だけでも気持ちが悪い。


「諸々の罪によって、王太子殿下から殺せと、ご主人様がご命令を受けまして、私が執行人として遣わされました。安らかにお眠りくださいな」


「バ、バイパーだと!? あの噂は本当だったのか…っ。王太子の汚れ仕事をこなす犬が」


 男の右肩へ引金を引くと、頬へドス黒い液体が飛び散ってきて、私はほんの少し、眉を顰めた。


 のたうち回るブヨブヨした身体を踏み付け固定するが、逃げようと暴れる為、白いシーツが赤黒く染まっていく。


 あぁ、本当に、汚い。そんなに動いたら、狙いが定めづらいじゃない。


「我が主人を侮辱しましたね? 腹立たしくて、あと2発では終わらすことが出来なくなりました」


 右手に持った銃はそのままに、反対の手でスカートの中、太腿へ隠していたナイフを取り出すと、伯爵は白を通り越して、青紫になった唇を震わせた。


 ご主人様は変態だけど、殺そうとしたというのに、私を拾って側に置き、美味しいご飯や広い部屋を与えてくれて、不自由無い生活をさせてくれる素晴らしいお方。


 このような屑貴族を粛清するお仕事を任せられている高貴なお立場を、汚れ仕事などと、よくも。


「貴様のような者が貶すなど、烏滸がましい」


 右腕と左肩に硝煙を上げる穴を開け、心臓を避け、胸にナイフを突き立てる。


「命だけはっ」


 と、叫んでいるような気がしたけど、何度も、何度も刺しているうちに、男は泡を吹いて白目を剥いた。


 私の黒い毛先からポタリと血雫が落ちると同時に、振り上げた左腕を背後から掴まれ、我に返った。

 鉄臭い中、嗅ぎ慣れた香りに包まれ、背中に感じる体温に、力が抜ける。


 また、やりすぎてしまったかしら。


「アリス、こんなに血に塗れて……綺麗だな」


 自らの姿を見下ろすと、白いエプロンは元の色がほとんど見えないほどに染まり、伯爵へ伸し掛かる脚にはいくつも朱が散っていた。


 ここまでするつもりは無かったんだけど…。


「ご主人様にそう言っていただけるのは嬉しいのですが、後処理が大変だと、また殿下に叱られてしまいます」


 血飛沫が床や壁にも飛び散っていて、ベッドの上は赤黒いシーツの海だ。

 私が跨いで乗っかっているウェズリ伯爵は、その真ん中で大口を開け、目をかっ開いて、事切れている。


 ライバン王太子殿下付きの侍従兼護衛騎士であるガイルの、殺し方が汚いという叱責が聞こえてくるようだ。


 背後から抱きしめてくれているご主人様の手が、私の顎を取り、振り向かせる。


「そんな肉塊など、もう見なくていい」


 重ねられる唇から舌が入り込んで、柔らかな感触を受け入れるように、私もそれを絡ませる。


 小銃とナイフをシーツへ落とし、少しずつ身体を向かい合わせの形に変え、ささやかな胸がご主人様に密着し、ふにゃりと押しつぶされると、やっと唇が離れ、伸びた銀糸が切れた。


「この寝台周りしか汚してないんだ。殿下に文句は言わせないさ。そんなことよりも、血で汚れるアリスは本当に可愛いな」


 スカートの裾から太腿を上がっていく筋張った硬い手のひらを感じ、ご主人様の頭を掻き抱くと、臀部をするりと撫で、股の中心で止まる。


 エプロンの腰紐は、いつの間にか解かれていた。


 下着越しに軽く押し込まれるご主人様の指が、敏感な部分をなぞって、私は堪らず、ひとつ息を吐いた。

 クロッチの隙間から直に触れてくるその手とは逆の手は、私の身体のラインを確かめるかのように、服の中でさらに上へと登って、胸の頂を弾いた。


「…んっ」


 溢れ出そうになる声は、まるで自分のものではないような、甘く高い嬌声。

 私はそれが嫌いで、きつく目と口を閉じた。


 水音がしてくると、入り込んでくる指をやわやわと締め付けることを忘れずに、腰を揺らす。

 そうすると、ご主人様は頬を染め、口角を上げて喜んでくれるのだが、私の弱い部分を刺激するのを強めるのは、未だ慣れないので、やめてほしい。


 身体の中心が緩むまで、ご主人様の頬や唇へキスを落としていると、執拗に解され、ぬかるみはじめたそこへ熱く硬いものが当てがわれる。

 つい声が漏れ、唇を噛んだ。


「はぁ…。可愛い私のアリス」


 私の額に張り付いた髪を払ってそう言うご主人様は、耳の奥を嬲るように高揚した低音で呟く。

 その事に胸がきゅうっと締め付けられ、ご主人様の頭をきつく抱き寄せ、また声が漏れ出そうになる唇を、自ら重ねた。


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