サイコパシーについて
先日、普段からお世話になっている作家さんと僕を含めた三人で横浜で遊んだのだが、思った以上に自分たちの内面についての話が進んだので、ここでエッセイの箸休めも兼ねて少し僕の、暗い一面について振り返ってみたいと思う。既に色んなエッセイで擦りに擦ったネタだが、このエッセイが初めましての人もいるかもしれないしまた丁寧にまとめておこう。
何度も言ってるように僕は精神障害を抱えていて、主たるものは双極性障害なのだが、この他に二つほど抱えている。
先に言っておくと、これらと双極性障害とは前後関係が明らかではない。双極性障害になったからこれらが発症したのか、それともこれらがあったから併発的に双極性障害になったのか、分からない。分かる方法がないのだ。精神病はその辺りが難しい。神経上の瑕疵なので解剖や生体的な理解では解明が難しい側面なのだ。
さて、では肝心の「これら」について話そう。
まず一つ目は以前からチラチラ話に出ていた「過眠症」である。読んでの字の如く「寝過ぎる病気」だ。不眠症の真逆。
寝る病気なんてあるの? 以前の職場ではそう病気を揶揄われてひどく傷ついたのだが、ある。存在する。典型的な症例だとナルコレプシーという病気がある。情動脱力発作という、笑ったり泣いたりしたら力が抜けてしまう症状を持っている人はこれに気をつけた方がいい。何の前触れもなくすとんと意識が落ちる。
僕の病気はナルコレプシーではなくさらに面倒臭い「特発性過眠症」というやつである。「特発性」とはアバウトに言うと「原因不明」というニュアンスなので、この「特発性過眠症」とは「何か分からんがよく寝落ちる病気」である。ナルコレプシーと違ってちょっとしたことで意識が落ちることはないが、(僕の場合は)午前中に頻繁に、一時間ほど意識不明に陥る。稀にこの眠気に抵抗できる時があるが、その際は極めて不快な入眠時幻覚(悪夢)を見る。
初めてこの病気について言及されたのは新卒の頃で、ある日いきなり上司に説教されたのだった。「やる気がないなら帰れ!」突然のことで何が何やら。しかし後々話を聞いてみると僕は寝ているらしい。
それからだ。時計を注視するようになった。気づかないうちに時間がスキップしていたら寝ていることになる。僕の課題は、なるべく日中時間を継続させることだ。
すなわち日がな一日時計を見続けるという拷問に等しく、だんだん僕は神経をすり減らしていった。今でこそ僕はこの病気を前以て開示することで仕事上の恩赦を受けているが、そうじゃなければとても生きにくい。真面目にやってるのに、不可抗力の眠気に飲まれるとやる気がない奴という烙印を押される。不真面目に見られる。悲しくて、辛い。
次に、僕は反社会性パーソナリティ障害、平たく言うとサイコパスの「疑い」がある。これも何かのエッセイで触れたが、改めて。
僕は大学では心理学を専攻していて、人間の脳の仕組みやその成果物である心についてを勉強していた。それは「犯罪・健康心理学」という講座でのことだった。
一応説明しておこう。何で「犯罪」と「健康」の並びなのかと言うと、世の中には窃盗症(クレプトマニア)や性依存症による性犯罪などと言った、精神病に起因した犯罪というものが多々ある。この講座ではそれを扱っていたのだ。そして講座の最終回。「サイコパシー」についての講義があった。漠然と、記憶にある内容をまとめると。
・世の中には共感性をほとんど持たない人間がいる。
・この手の人間は「殴ると痛い」が分からない場合がある。
・また、分かっても自身の好奇心や欲求を優先する場合がある。
病的に人を傷つける人間についての講義だった。いや、厳密には「人を傷つけても平然としていられる人」と言うべきか。
その講義をしてくれていたのは少年院での就労実績もある教授で、実際に少年犯罪者に対して医学的なアプローチをする際に使う心理検査を受講生もやってみようという話になった。レベンソン・セルフレポート・サイコパシー(LSRP)という検査である。厚生労働省も使っているくらいなので信頼度は非常に高い。
さて、授業中にこれを受験することになった僕だが、何と見事に引っかかった。僕は統計的に有意に「共感性に乏しく」「冷淡で」「人を利用することに負の感情を持たない」人間だそうだ。
それまでの授業で散々「犯罪に走ってしまう精神病者たち」を見てきた僕はまさか自分がそれに当てはまるとは思わなかった。僕は犯罪者予備軍なのか。そんな失望があった。「人を傷つける」には色んなパターンがあるが最たる例は殺人だ。僕は殺人者予備軍なのか。そんな恐怖があった。
しかも思い当たる節はあった。人生のいくつかのタイミングで人から「お前人の血が通ってるのか?」という趣旨の叱責を受けることが多々あった。
僕はこの検査でひどく落ち込んだ。僕は人を傷つけても平気な人。ということはこれまでの人生で多くの人を傷つけている。いや、多かれ少なかれ人にはそういう過去の一つや二つあるものだろうが僕の場合は……などと悩みに悩んだ。そしてそんな僕のことを、当時の研究室の教授が心配してくれた。
ある講義の後、「ちょっと研究室に来なさい」と言われた僕は先生の部屋に行き、そこで「何か悩んでいるように見受けられる」と声をかけていただいた。僕はそこで、そのサイコパシーの検査に引っかかったことを説明した。
一通り話を聞き終わると、先生は「まず」と前置きし、「この手の検査は普通検査室で、検査員と被験者が一対一で行うものである。大勢人がいる講義室で受けて引っかかったからと言って必ずその症状を持つわけではない。あっても疑い程度だ」と説明してくれた。一応これについては、犯罪・健康心理学の教授からもフォローがあったので頷けた。ただ、どうしても不安は消えないし、それに思い当たる節もあると話した。すると先生はある一冊の、大きくて立派な本を書架から取り出してくれた。
「サイコパスでも向いている職業はある」
先生はそう言ってくれた。その本は心理学に関する研究が網羅的にまとめてあるすごい本で、その中に「サイコパシー」の項目があった。サイコパシーに関するいろいろな情報が載っていて、その中に「サイコパシーの就労例」があった。一つ一つを先生は教えてくれた。
「まず外科医。外科医は患者に対し『お腹切ったら痛そう』などと共感していては仕事ができない」
「次にCEO。経営責任者は時に無情な決断でもしなければならない」
「弁護士。サイコパシーの特性の一つである『口のうまさ』が活かせる」
「警察官も向いている。権力の執行には同情は無用」
そんな感じでもういくつか、向いている仕事というのを教えてくれた。そしてこう締め括った。
「例えサイコパスでも、何になるかは選べる」
「犯罪者になりたくなければそうならなければいい」
「むしろ人にはない特性だと思って人のために活かしなさい」
そう言ってもらえた。
かくして僕は三つもの障害を抱えて生きている。妻もこれらについては認知している。知っていて受け入れてくれている。ありがたい話だ。
何になるかは選べる。選んでいい。だから僕は僕になることにした。僕とはつまり善良な一市民であり小説家であり妻の夫だ。
僕は飯田太朗だ。それは多分、この後もそうだろう。
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