ペペロンチーノ

planaria

第1話

私がついさっき作ったのは、ペペロンチーノだったはずだ。

なぜ、ニンニクとオリーブオイルのあのいいにおいが消えて、ごま油の香りが部屋中に充満しているのか、一瞬、何が起こっているのかよくわからなかった。


現在戸籍上の配偶者であるはずの男は、今私の目の前で、私が忙しい中なんとかそれでもと思って急いで、でもその中にもこだわりを持って作ったペペロンチーノ、ではもうなくなっているそれ、予定していた約二倍の、しかもイタリアンと中華という全く別の種類の油が混ざってベトベトになった麺を、自分のその「味変」という工夫に酔いしれた様子でおいしそうに口いっぱいに、頬張っている。


目の前で起こっている様子を見て自分が疑問に思っている事がどういう事だったのかを一瞬にして理解し、あぁ気持ち悪い、と思った瞬間、心の底からもくもくと湧き上がる嫌悪感が私の体の隅々までしっかりと充満した。


何度味わっても、この種類の違和感、相手の気持ちを考えるという事が一切できないという感覚の違いを目の当たりにした時の感情の抑え方を身に着ける事は私にはできないようだ。


世間の、料理を他人にふるまう人たちは、こういう無礼な行動をどのように感じるのだろうか。いや、もうそもそも、行動の話ではない。


この行動の根本にあるものは、とてつもなく大きい。このことを理解できない人間と、分かりあい、協力し合い、一生添い遂げることなど不可能だ、と改めてはっきりと認識する。


「自分が整えた味に、さらに調味料をかける事」自体について、否定するのではない。塩味が足りない、醤油の味がもう少し欲しい、それは分かる。

今回も、

「少し味が薄いかな。ちょっと塩をかけてもいい?」

なんて言いながら、味を調整したのならここまでの嫌悪感はなかったはずだ。

あぁそうか、味が薄かったかもしれないな、と思う程度の事だ。

ペペロンチーノにごま油をかける、という、そもそもの料理を完全にぶち壊すという行動、しかもそれを相手に失礼になるかもという考えも何一つなく、黙って嬉々としてやる、というところが私の許せない部分まで刺さったということだ。

私という人間を知っている、気心の知れた友人たちの中で、私が作ったペペロンチーノにごま油をかけるなどというとんでもない行動をする人間など絶対にないという自信がある。

なぜこの男は、もう何年も一緒に住んでいて、その間何度も失敗して同じような事を繰り返し続けているのにもかかわらず、私が心を傷つける事が何なのかを理解しないのか、それが私には全く理解できない。


どう頑張っても、何度同じことを言っても、こちらが頑張ったところで何も変わらず同じことをし続けるという、どこまでも分かり合えない人間というものが存在するんだなぁとしみじみと実感する。

なぜそれを、配偶者という立場の人間によって思い知らされないといけないのだろうか。かわいそうな自分。


ごま油のいい香りでいっぱいの居間にいるのに耐えられなくなって一人で外に出た。

日曜日の昼間の外は、幸せな家族のにおいがする気がした。

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ペペロンチーノ planaria @planaria_01

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