第9話 カカレス




『サルサ領主のご子息様ですって! こんな間近でお目にかかれるなんて……』

『噂だと、国王様と王妃様がぜひエルノ姫様の王配おうはいにと話を進めてるらしいぞ!』

『あの方が王配になってくださったら、魔獣も隣国も怖くないなあ』


『さて、せっかくだから村長とひとつ話をしたいのだが、彼は今お暇かな?』

『ははーっ、私が家までご案内いたします!』


 カカレスとわずか二、三人の護衛らしき兵士が村長の家に向かっていく。


「うーん。広い地域を束ねてる人だったらいろんな話を聞けると思ったけど、家の中に入られたら無理だなあ」


 泉はどこの地域もすぐさま映し出せるが、建物の中など屋内の様子を映すことは出来ない。

 空の下というのが条件なんだろうか。


「そうだ、ミラの家!」


 慌てて広場を越えてミラの家に向かうと、がっしりした骨太そうな男性が戸を開けて中に入るところだった。

 その背中に向かってミラが叫ぶ。


「父さん!」

『みんな、無事か! 魔猪まいは貴族様が倒してくださったぞ!』


 戸を閉められると声は聞き取りにくくなったが、女性の声、少年少女の声が元気そうに返事をしていた。


「ああ、とりあえず皆無事みたいだ。よかったな、ミラ……ミラ?」


 安心できたはずなのに、ミラの表情は暗く、青い眼がうるうると濡れている。今にも泣きそうな顔になっていた。


「バジラウス様、私のせいで申し訳ございません……」

「? なんでミラが謝る?」

「あの魔猪は荒野の主です。いたずらに狩りに来た者には報復をしますが、日照り続きのときでさえ人里を襲うことはありませんでした。これまでにないことが原因で、これまでにないことが起きてる……。原因があるとすれば、きっと私が生け贄にならなかったからです。私が生け贄としての責任を果たさず、バジラウス様のご慈悲に甘えてしまって……」


 俺はもうそれ以上聞いてられなかった。

 翼を思いきり広げると──ミラを潰さないようにふんわりと羽で包み込んだ。


「バッ、バジラウス様!?」

「ミラはえらいな。皆のためにそんなに思い悩むなんて……」

「私は、えらくなんかないです……。今だから言いますが、生け贄に選ばれたときはどうして私が、とさえ思いました。でも過去に生け贄として湖に沈んだ人たちのおかげで、私たちの生活は守られてきました。バジラウス様、どうかこのまま私を飲みこんでください。私一人だけ、神龍の国でこんなに幸せになるなんて、あってはならないんです……」


 ミラが肩を震わせるのが翼越しに伝わる。金の髪が木漏れ日で光るのがまるで涙の代わりだった。


「原因が分からないことで、自分を責めたらダメだ。魔獣が暴れたのが、どこにもミラが俺に食べられなかったせいだなんて証拠はない。そうだろ?」

「でっ、ですが、もしこれから調べて本当に私が生け贄の責任から逃げたことが原因と分かったら……」

「だったら、生け贄なしじゃ魔獣も止められない俺も悪いってことになる。とにかく、ミラが生け贄にならなかったせいだったら必然的に俺のせいってことにもなるんだから、一旦そこから離れて考えよう。俺がミラを食べなくても解決する方法はきっとあるはず」

「は、はい……! 私、混乱して何も見えなくなるところでした……もうこんな弱音は吐きません!」


 それを聞いてミラはハッとした顔で頷いてくれた。

 もし俺がミラたち生け贄を食べなければ事態が解決できないのだとしたら、何が神龍だと思う。

 だがカカレスが魔獣一匹を倒したところで、根本的な解決には程遠いだろう。

 新しく生け贄が送られてくる前に、もっと手がかりを探さないと……。


 それにしても人間を食糧として一方的に送りつけられて、代わりに向こうの問題を解決しろと要求されるこの生け贄システムは実に面倒だ。

 どうせならかわいそうな人間よりも、肉や野菜に振りかける塩やソースのたぐいを送ってほしいものだが。



 村長の家をのぞいてみると、ちょうどカカレスが出てきたところだった。


「よかった。ここからなら会話が聞けるぞ」


『本当に毒蛇どくじゃの山へ向かわれるのですか?』

『既に国王から通行の御許可を頂いている。あそこから邪気がわき出ていると行商人から情報をもらってな。大方おおかた、日照りでイラついた蛇が邪気封印の陣に迷い込んだのだろう。あれを鎮めれば、魔獣たちも元に戻るはずだ』


「おお、すごい! もう原因も突き止めたのか。山に行くって言ってたな。空の下なら俺の指も届くし、可能なら俺がこっそりカカレスを助けても……」

「よかった……バジラウス様のご加護があれば貴族様も安心ですね!」


 希望が見えた俺たちがはしゃいでいると、滝と同じように泉とその下に続く川がまた青く光り始めた。


『なりませぬ……それだけはなりませぬ』


「うわあっ!?」


『あの男は国中を騙そうとしております。ひ……どうか爺の話をお聞きくだされ』


 さっきの水見師とは比べ物にならないほど重々しく威厳のある年老いた男性の声が、まるで俺たちと会話をしているかの如く響き渡った。



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