~如水~最強のもふもふドラゴンに転生したので生け贄の少女とのんびりスローライフを楽しみます!…のはずだったのに

水長テトラ

第1話 始まりの川




 そうだ、ニートになろう。


 そう思ったのは真夏の蒸し暑い夜、川沿いの小さな公園のベンチでだった。

 アルコールから来る吐き気とシャツにべっとり張りつく汗の気持ち悪さが、今日一日の出来事をまざまざと思い起こさせる。


 勤めていたデザイン事務所が給料未払いのまま潰れた。

 掛け金が入ったら払える、と連呼していた社長は掛け金が入ると同時に夜逃げし、給料代わりに昼の郵便で届いたのは社長の代理人と名乗る弁護士からの自己破産につき云々うんぬん支払い能力喪失につき云々~という長ったらしい言い訳文書だった。

 当然同僚たちは激怒して皆で労基に駆けこもうと盛り上がり、段取りを済ませてとりあえず明日の午前中に労基前に集合という流れになった。


「やってられっか! こうなったら皆、景気づけにぱーっと飲もうぜ!」


 皆やけくそ気味に盛り上がり、社長の悪口大会が延々居酒屋の片隅で繰り広げられる中、俺はただただ疲労感でいっぱいだった。

 労基には行きたいし行くべきだと俺も思うのだが、その後に続く皆との食事とハローワークが面倒だった。

 労基への相談と皆でまた社長への罵倒大会とハローワークでの退職と失業手当と求職の手続き……一日でそれだけの用事を済ます行動力や精神力が、今の俺にはもう残っていない。


 最近ずっとそうだ。

 かわいい女の子の写真やイラストを見ても「かわいいなぁ」としか思えない。ぼんやりと思いはするのだが、その後に続くものがない。

 ご飯が美味いと口に入れてるときだけは嬉しいが、特に元気は出ない。食べられれば何でもいいし、味にこだわりもない。

 何もかもが俺をさっさと通り過ぎていき、後には何も残らない。


 仕事から解放されたのは嬉しい。給料がないのはつらい。

 でも嬉しいもつらいも大して実感がなく、感情が全部希薄だった。


 酒の味も分からない。

 夜になりたての空気はじっとりと重く、視野をひたすら狭く暗くしていく。


 もうどうでもいいや。

 労基に行って未払い給料取り返したって、ハローワークで失業手当貰ったって、毎日働いて寝るだけの日々に戻るだけ。

 それなら働かずに寝るだけの毎日の方がまだマシだ。

 よし決めた。明日は労基もハローワークも行かない。少なくとも職場の皆と行くより一人で行きたいが、いつ行けるかは分からない。

 これからどうするかは一切考えずに、ひたすら惰眠をむさぼるぞ。

 そう決意して立ち上がり、土手に上がる階段に向かったはずの俺は──

 思いきり川に足を突っ込んだ。


 え? なんで? 方向見失うほど酔ってた?


 ぞっとするほど深い。腰、胸、喉と即座に水が迫る。

 声を出す暇もなかった。





 〇 〇 〇





「うう……」


 眩しくて目を開けると、最初に視界に飛び込んできたのはピンクとブルーの光景だった。

 葉のすだれ越しに太陽に照らされた青空と、遠くの白と桃色の山脈が見渡せる。

俺が寝転がっている場所も木々や花々が咲き誇り、頭上には艶々した赤い果実がぶら下がっている。

 どこを切り取ってもまるで色彩豊かな絵本のような南国だった。


「ど、どこだここ!?」


 俺が溺れた川は日本の都心だったはずだが……。



 ここは天国か極楽か?

 俺は溺死したのか? 夢でも見てるのか?


 照りつける太陽に目を細めて、右手をかざそうとした俺は仰天した。


「なんだこりゃ!?」


 俺の腕は人間のそれではなく、爬虫類のように鱗まみれのごんぶとに変化していた。さらには翼までついている。一枚一枚の羽根の大きさが、俺の巨体を示している。

 いったい何が起きている?


 慌てて身を起こすと、俺の身体の全身が鱗まみれだった。

 いや、鱗と羽毛が混ざってる。鋭く尖った爪の右手で丸太のような左腕を掴んでみると、外はカチカチでところどころギザギザしているが、中はモッチモチでふんわりと弾力がある。

 そして太くごつごつとした手足に驚いていたが、胴体の幅はさらに規模がでかそうだ。

 近くに流れていた川に、恐る恐る上半身を映してみる。

 角が突き出た刺々しい顔に尖った爪と牙、各パーツはおどろおどろしいが全体のシルエットはふっくら丸くて、尖った部分さえ隠せば太った鳥のゆるキャラのような印象さえ感じる。青い鱗と白い羽、ツキノワグマの首元の白い三日月紋のように、首に赤い三日月模様がある。こんな生き物は、恐竜図鑑でも見たことがない。





「ぐあ、あー……」

 よし、声は出る。超音波とかではなく、俺の知ってる方法で意思疎通いしそつうはかれそうだ。

 試しに「あいうえお」と喋ってみると「$%#*+」と訳の分からない野太い響きが出てくるが、意味はちゃんと分かるから不思議だった。

 頭の中の日本語が、自動的にこの獣の身体の言語に変換されるようだ。

 しかし、俺が喋るべき相手は人なのか獣なのか……。

 この世界に人や人に近い知的生命体がいたとして、俺と彼らの関係性如何によっては大事故になりかねない。

 俺は彼らにとって味方か敵か、それともただの獲物か。

 とりあえず話が通じる奴を探さないと。


「すみませーん! 誰かいませんかー!」

 ぐおおおおお、がるるるるるるる。


 助けを求める俺の声が雄叫おたけびとなって山中に響きわたる。

 ……逆に遠ざける羽目になってないか、これ。

 でも俺の声の意味が分かる生き物は多分どこかにいるはずだ。


「人でも獣でもいい! 誰か聞こえたら返事をくれー!」


 返事はなく、むなしく雄叫びがこだまするだけ。

 少し休憩しよう。


 俺は川に戻って分厚い掌でざっと水をすくう。冷たく澄んでて美味い。混乱してる脳みそにきゅーっと効いてくる。


 ごくごく飲んでいると青い鳥が俺の肩に止まってくる。

 シルクのような光沢を帯びた長い尾の美しさは、楽園の鳥と呼ぶにふさわしい。

「お前は俺が怖くないのか?」

「ちゅん?」

 話は通じないが、そばにいてくれるだけで癒される気がした。


 不安が消えた訳ではないが、ここは本当に美しい場所だ。

 瑞々しい色の林と草むらがそよ風に揺られ、湖と見紛みまがう大河のはるか向こうで葉の色をそのまま映したようなブルーエメラルドの空が遠くの薄桃色の山と交わる。



 そうやってしばしの間景色に見惚みとれていると、川上から大きな箱がどんぶらこどんぶらこ、と流れてきた。


 何あの桃太郎?



 箱はだんだんと岸の方に傾き、俺の正面で岸にぶつかって速度をゆるめた。気になったので俺は箱を川から引っ張り上げてみた。

 箱の材質は木でできているように見える。

 人間か、人間ぐらいの知的生命体がいる証拠だ。


 どうやって水に浮かんでるのかは不思議だが、本当に桃太郎みたいに中に人が入っていたら大変だ。

 中の物を壊さないように、俺は細心の注意を払って爪をなるべくしまって包みを剥がした。


 箱を開けて最初に目に入ったのは、太陽に負けじと輝く金髪だった。

 金髪と同じ金のまつ毛が、横向きに眠っている無表情にどこか憂いを帯びさせる。

 白い顔と細い腕、たわわな膨らみとほっそりとした腰。

 箱の中にいたのは、何一つ身につけていない素っ裸の少女だった。

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