エッセイ:お笑いを殺した張本人はずばり

 今やテレビをつけていて、お笑い芸人を見ない日はありません。スペシャル番組でも昔は俳優さん、アナウンサーが司会を務めていたポジションが今やお笑い芸人に取って代わられています。

 M-1を皮切りに、R-1、キングオブコント、THE Wと多くのお笑い頂上決戦が高い視聴率を獲得しています。

 こんなお笑い芸人たちですが、実は絶滅しかけた氷河期があったことをご存知でしょうか。

 お笑い芸人を根絶やしにする殺戮者が現れたのです。その名も、


「コンプライアンス」


 お笑い界のレジェンド、加藤茶さんがこんなことを言っていました。


「お笑いなんてものはさ、頭叩いて突っ込むのが当たり前なのに、それもやめろっていわれたら、お笑いをやめろって言われてるのと一緒だよ」


 芸能というものはそれぞれの時代を切り開いてきたレジェンドたちによって引き継がれていくものです。

 昔のお笑いといったら、ツッコミで頭を叩く、パイ投げ、水をかける、ズボンを下ろしてパンツ一丁にさせる、今では考えられないたくさんのシーンがありました。これらはレジェンドたちが必死で考え、お笑いを追求し、たどり着いた答えなのです。これを見た次の世代がお笑いをやりたいと思い、引き継いできたのです。

 しかし時は流れ、コンプライアンスという言葉が立ちはだかるようになりました。

 頭を叩くのは暴力だ、パイ投げは食べ物を無駄にしている、子どもが真似するとよくない行為はやめろ、これらの声にお笑いは一気に活躍の幅が狭められ、行き場を無くしてしまいました。


 ではこのコンプライアンスというものは悪者なのでしょうか。

 そもそもその昔、お笑い、という芸能自体そこまで強い力は持っていなかったといえます。一時的な流行りはあっても、今ほどの広がりはなかったと推測されます。そうであればそこまで問題がなかったものが、いずれ一家に一台テレビが普及し、大人のみならず、多くの子どもまで見るようになると、少し事情が変わってきます。

 例えばプロレス。避ければいいのに相手が技をかけるのを待っています。いわゆる他の格闘技ではありえない行為ですが、お互いの共通認識があるので成り立っているわけです。そして受ける側もしっかりと訓練を積んでいますから、成り立つやりとりと言えるでしょう。

 しかし子どもはそんなのわかりません。見ていて面白いものを真似したくなるものです。かっこいい技はかけたくなる、たとえ相手が嫌がっていようとも。嫌がっている相手にかけるプロレス技はれっきとした暴力です。


 私はお笑いはある意味このプロレス技に似ていると思っています。

 お笑いでのツッコミというものも、ボケがその場を面白くするために、ツッこんでもらうために、意図してボケているわけで、それに対しビジュアル的にわかりやすくするために頭を叩いているわけですが、これも上手に実は痛くないように叩いているわけです。しかし、痛くないことがバレると面白くないので、あたかも普通に叩いているように見せているわけです。

 しかし子どもはそんなのわかりません。

 クラスのメンバーが普通に喋っていること、言い間違い、おかしい行動、たとえ本人が一生懸命行ったことでも、「おかしい」と判断し、一方的にツッこむ。こればプロレス技と同じく暴力だと私は考えます。

 ボケるつもりもないおとなしいクラスメートのズボンをおろして、恥ずかしい思いをさせて、笑いをとる、トイレの上から水をかける、こんなことにつながるかもしれないのがお笑いなら、そんなものは今すぐやめるべきです。それを上回るメリットなんてあるわけがありません。

 なので、コンプライアンスは遵守されるべきなのです、理由はメディア、そしてお笑いの力が強くなり過ぎてしまったから。


 というわけで、お笑いは一気に勢力を落とし、生きづらい世の中となりました。影を潜めたレジェンドたち、やめていったお笑い芸人なども多数いたでしょう。

 ではその後、お笑い芸人たちはどうなったか、驚くべき変化が起きたのです。

 

  

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