第2話

 さかのぼること、六時間ほど前。

 ゴールデンウイーク最終日の夜の十二時過ぎ。

 どこか浮かれた空気漂う恵比寿の街を、堂島木乃香はリュックサックを体の前に、そして、背中には四歳の姪を背負い歩いていた。

 前のめりで腰を折り、顎までの髪を顔の両サイドに垂らしながら歩く姿は所帯じみ、どこからどう見ても十九歳には見えないだろう。


 ……四歳児、じわじわと重い。

 ついでに言えば、スカートも重い。

 けれど、そんなことよりも。

 お腹がすいていた。

 ともかく、どこかで、なにかを胃に入れたい。


 そうは思うけれど、なにせ子連れ。

 四歳児でもOKな店って、どこ?

 ファミレス?

 ファストフード?

 そう、わかってはいるけれど、歩いて来た方角が悪かったのか木乃香の目にはそのどちらも入らない。

 ある店といえば、ベテランのサラリーマンさんが集うような赤ちょうちん。

 または、実生活充実組のみなさまが人生を謳歌する、いかにも高くておしゃれな店だけだ。


 このまま、あのうさん臭い伯父から借りたマンションに行く?

 でも、行ったところで食べるものなんてないだろう。

 布団すらあるのか、あやしいものなのだ。

 今は眠っている花奈だって、目を覚ました途端、お腹が空いたとぐずるに違いない。

 あぁ、もう、どうしよう。

 花奈の重さに腕が痺れ始めた木乃香の目に、路地裏にぽつんと照らされた白い暖簾が飛び込んできた。


【ほっこり飯 口福屋】


 !!!

 見つけた!

 神様、ありがとうございます!


 救われたとばかりに、木乃香は渾身の力を振り絞って、その路地を進みだした。

 と、その時。

 店から一人の男性が出てきた。

 背の高い人だ。

 小柄な木乃香がいくら背伸びしたところで、敵いそうにないくらいの高さだった。

 若そうでもある。

 三角巾を被り、腰にはエプロンを巻いていた。

 料理人?

 それとも、店員?

 いずれにせよ顔は、逆光でよく見えない。


「ごちそうさま、また来るよ」

 涼やかな声とともに、店の中から一人の男性客が出てきた。

「いい酒が入ったら、連絡するよ」

 店員の言葉に、客が笑う。

 友達同士?

 いや、そんなことはどうでもいい。

 木乃香は男性客が横を通り過ぎていくのを待ち、再び店に突進した。

 すると、木乃香が店に着いたタイミングで、店員の男性が暖簾を下ろす。


「うそっ……」

「えっ?」

 木乃香の声に、店員が振り返る。

「閉店、ですか?」

「……あぁ、はい」

「そんな……」

 あと三分早ければ。

 最後のあの男性客が出てくる前なら、セーフだったかもしれない。

 木乃香はその大きな瞳に、言葉にならない無念をすべて投入し、逆光店員をじっと見つめた。

 店員はというと、そんな木乃香から一度は顔を逸らしたものの、背中で眠る花奈に気がついたのか、店の戸を大きく開けてくれた。


「よろしければ、テーブル席に――」

「ありがとうございます!」

 店員の低い声に思い切り被せるように礼を言うと、木乃香はそそくさと店に入った。

 店内は明るく、こざっぱりとした清潔感もあり、出汁や焼き魚の匂いも残っている。

 至福……。

 なんて素敵な店だろう。

 木乃香の密かな野望がむくっと首をもたげたが、それを吹き消すほどの大きな音を立て腹がぐぅと鳴った。

「……木乃香ちゃん?」

 背中から声がする。

「あ、花奈ちゃん。起きた? 今からごはん食べようね」

 木乃香は、寝起きでとろんとした花奈を、注意深く椅子へと座らせた。


 小さな手で目をこすっていた花奈だったが、突然、ぱっと大きな目を開けると、木乃香の後ろに向かい指を差す。

「レイモンド王子だ!」


 レイモンド王子?

 レイモンド王子は花奈の好きなアニメに出てくる、文鳥を肩に乗せた金髪に青い瞳のイケメン王子様だけれど?


 そう木乃香が振り返ると――水とメニューを持ってきた件の男性店員と目があった。

 男性の瞳は青かった。

 しかし、それだけで、あのレイモンド王子とは似ても似つかない。

 結んだ長めの髪の色も、金色ではなくアッシュグレイだ。

 それに、レイモンド王子は、見るからに王子様といった上品でややツンとした顔つきだけれど。

 この店員は、いわゆるワイルド系である。

 背中を見せたらガブリと食べられてしまいそうな、そんな野生のガルルル系の王子様だ。

 思わず木乃香は、守るように花奈を抱きしめた。

 店員は、そんな木乃香に一ミリも動じず、テーブルに水を二つ置く。

 そして

「いらっしゃいませ。口福屋へ、ようこそ」

 メニューを渡してきた店員の笑顔の口元から見えた白い歯が、きらりと牙のように光った気がしたのは、木乃香の目の錯覚か。



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☆宣伝と裏話☆


・9/15「代官山あやかし画廊の婚約者~ゆびさき宿りの娘と顔の見えない旦那様」

富士見L文庫様より発売中です。心から、よろしくお願いしたい!!です。

第二話のみ、この作品と世界が重なっています。

また、「文鳥ですが守ります!」もアニメ化して(大出世!)、出てきています。

裏話と宣伝でした。

第三話アップまで少々お待ちくださいませ~

(ゆっくり更新)




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