第2話 視界の異変

 龍助が目を覚まして暫くすると、先ほどの女性が医師だと思われる男性と共に入ってきた。

 医師は到着するやいなや龍助の意識を確認して、ライトを目に当てたりなどしていく。


「意識がきちんと戻っています。ただ、まだ完全に回復はしていませんが、明日になれば今以上に話せると思います」


 希望のある言葉に穂春と高原先生は泣きながら喜んでいた。

 その後、龍助は絶対安静にするように告げられ、ずっと眠って過ごす。

 時々目を開けると、穂春や高原先生が着替えや食事の手伝いなど周りの世話をしてくれていたのが見えた。


「ごめんな……。迷惑かけて」

「兄さん。迷惑だなんて思っていません。それよりもちゃんと寝ててください」


 内心申し訳ないと思っていたが、穂春達は迷惑とは思っておらず、それよりも寝ていないことに怒っていた。

 その様子を見て龍助はどこか安心感を持ち、なんだか苦しいものが徐々に消えていく。

 そのことに不思議さも感じていた。



 ◇◆◇




 次の日になると、龍助はありえない速度で回復しており、喋るだけでなく体を起き上がらせることもできていた。

 診察に来た医師達もそれには驚きを隠せていない。

 診察をその場で受け、一通り見て異常がないと判断した医師は何やら考え込んでいる。


「天地さん。警察の人が少し事情聴取をしたいそうだ。大丈夫かね?」


 そういうのも判断するのは医師の仕事なのではないかと龍助は一瞬疑問に思ったが、そう判断したのだろうと勝手に決めつけることにした。


「俺は大丈夫です」


 龍助の返事に医師は一度頷いて、病室の外にいた刑事達を連れて来る。

 どちらも男性だが、一人は頭の毛が薄く寂しい中年男性で、もう片方は身長の低い若者だった。

 刑事達は警察手帳を見せて挨拶すると龍助のベッドの脇の椅子に座る。


「天地さん、覚えている範囲で襲われた時のことを教えてくれませんか?」


 中年男性の刑事に聞かれた龍助は思い出せるように記憶をさかのぼっていき、事件当日のことと、自分の前に現れた人物の特徴を話した。

 しかし、恐怖の出来事である上に、人物に関してはあまり見ていなかったため、特徴らしい特徴がなかったので、答えられることが非常に少なかった。

 一通り聞いた刑事達が少し困惑した様子で見合っていた。

 そして少し言いづらそうに話し出す。


「実は、こちらも手がかりが全くつかめていないんだよ……」


 若い刑事が悔しそうにそう言った。

 龍助の証言を期待していたようだが、あまりめぼしい情報がなかったからか残念そうにしている。

 その様子を見ていた龍助だが、それよりも気になっている事が彼にはあった。

 昨日は全く気がつかなかったが、先程から龍助の視界の所々に赤い丸印が見えている。

 それは人にだけでなく、病室に置いてある全ての物、更には何もない所や空中にもうっすらと見えるのだ。


「この赤い丸印はなんですか?」


 という龍助の質問に対して誰も答えなかった。

 それどころか、怪訝けげんそうな表情を浮かべている。


「どれのこと?」

「え? あるじゃないですか。ここら辺いっぱいに」


 中年刑事に聞き返された龍助は戸惑いを隠せなかった。

 赤い丸印がある方に指を指し、その方向に皆向いたが誰も見えていた訳でもなく、穂春と高原先生、刑事達は首を傾げている。

 医師達は隣の人と小さな声で話しているだけである。

 どうやらその赤い丸印は、龍助にしか見えていないようで、彼のうったえもむなしく届かなかった。


(俺の見間違いか?)


 龍助は、目覚めたばかりで自分の視界がまだ正常に戻っていないのだと思うことにした。

 今日のところは事情聴取じじょうちょうしゅも終わり、一日寝て過ごしていた龍助だが、未だ視界に映っている丸印が気になって仕方がなかった。


(明日になったら治ってるよな?)


 そんな軽い気持ちで龍助はそっと目を閉じて眠りに入った。



 ◇◆◇



 その翌日、目が覚めた龍助は頭を抱えていた。

 治っていると思っていた赤い丸印は視界から消えておらず、それどころか色が濃く大きさも変わっていた。

 願っていたことと真逆になった現実に龍助は恐怖を感じた。

 その時、ちょうど診察の時間がやってきた。

 看護師に呼ばれて主治医がいる診察室へと向かった。

 診察室に案内されて入ると、昨日診てくれた主治医が座っており、検査を始めていく。

 腕や足の動きや感覚に異変はないかなど調べていくが、特に悪い所はないようで、スムーズに進んでいった。


「やっぱり赤い丸印が見えます」


 一通りの検査が終わり、医師に話したいことは無いかと尋ねられた時に龍助は小声で伝えた。

 それを聞いた主治医は小さなため息を吐きつつ内線でどこかに電話すると、看護師に指示をして何やら準備をしていく。


 数分は経った頃に白衣を着た女性が入ってきた。

 主治医によると彼女は眼科の先生だそうだ。

 早速女医の先生が手際よく龍助の目を見ていく。

 目を見るためのライトがとても眩しく、チカチカして瞼を閉じたかった龍助の心には不安が募っていく。

 しばらく見ていた女医が突然目を見張った。


「瞳が真っ赤よ……」


 唐突に呟かれたその言葉に龍助は驚きを隠せなかった。

 出血でもしているのかと考えた矢先。


「あれ? 戻った」


 そう言った女医は呆気に取られた顔をしていた。そのあと、一旦龍助から離れたが、その目はじっと前の患者を捉えている。

 龍助はその視線がとても冷たいものに感じ、思わず萎縮してしまった。


「診察は終わりです」


 最後の方では主治医と女医は龍助の顔も見ておらず、結局視界が回復していないだけか、まだ混乱しているだけだと診断されてしまった。

 診察室を出て、自分の病室に戻ろうと一歩踏み出そうとした時に、かすかに診察室から主治医と女医の話し声が聞こえてくる。


「あんなおかしな子、早く出ていってほしいよ」

「ほんとですね……。すごく気味が悪いです」


 その会話を聞いた龍助は自分が今何を言われたのか理解し、胸がえぐられるような感覚に襲われる。

 涙がこぼれそうになりながら、昔読んだことがある漫画を思い出した。


(なるほど。物語に登場した嫌われ者達は皆こんな気持ちなのか……)


 物語によく登場する普通の人と違うだけで嫌われている人物の気持ちを考えてしまった龍助は、こぼれそうになる涙をこらえ、自分の病室の方向へ歩いて行った。

 病室にたどり着き、疲れが出たのか、ダルくなった体を龍助はベッドに預けて横になった。そのまま何もかも忘れたくて眠ることにした。





 ◇◆◇




 次に龍助が目を覚ましたのは夕食の時だった。

 夕食を出してくれた看護師も気まずそうに龍助を見てくる。

 前に出された夕食を食べようとしたが、やはり視界のところどころに見える赤い丸印が気になって仕方なかった龍助は食欲を失ってしまい、もったいない気持ちを持ちつつあまり食べることが出来ずに残してしまった。

 その後は消灯時間までテレビを見て時間を潰していた。

 その間も赤い丸印は現在進行形で姿を現しており、それから逃れるように龍助は枕に顔を埋めた。

 時間の流れは早いものであっという間に消灯時間が過ぎ、龍助しかいない病室の電気も消され、それからしばらく経ったが、当の本人は全く眠れなかった。


「昼に寝過ぎたか?」


 龍助は体を起き上がらせて、何も考えずにただ真っ暗な闇の中に映っている丸印を見つめた。

 月も雲に隠れているため、より一層暗かったが、丸印だけははっきりと写っている。

 そして、ふと昼の診察後の主治医達の会話を思い出す。


『あんなおかしな子早く出ていって欲しい』


 あの言葉はかなりきつい言葉で、思い出すだけで気分が悪くなり、龍助の胸にまるでポッカリ穴が空いた気持ちの悪い感覚に陥る。

 それはとても虚しく、悲しい感覚。

 自覚したら昼から我慢していたものが涙として一気溢れてきた。

 突然通り魔事件に遭遇そうぐうして、生きていると思えば、視界に映る丸印に混乱し、周りに不気味がられる羽目になったのだから無理はない。

 溢れ出た涙を服の袖で拭いながら、自分が今一番口に出したくて仕方なかったことを吐き出す。


「なんだよ一体……。俺の目、どうしたんだよ」


 両手で涙いっぱいになった目を覆い隠すが、丸印は消えてくれるはずもなく、依然として龍助の視界に映り込んでくる。

 それを消したくて仕方がなかった龍助は目に爪を突き立てようとするが、躊躇ためらってしまう。

 そんな迷いのある自分に対しても大きな嫌悪感を抱き始めた。


「狂ったのか……。俺……」

「狂ってないよ。お前は」


 龍助が咄嗟に思ったことを口に出して呟くと、男性の声がそれを否定した。

 その声に驚いた龍助はスマホのライトで暗い病室の隅々まで声の主を探したが、誰もいない。

 スマホの時計を見るともう夜中の三時だ。面会者ではないと確信するが、他に思い当たることはない。

 看護師さんの可能性も考えたが、灯りもつけず、その上姿を見せていない時点でそれも違うと確証を得た。

 もう一度辺りを見るがやはり誰もいない。


「そう警戒するなよ〜。別に襲いに来たわけじゃないんだよ?」


 軽い口調の男性の声が龍助に語りかけてきた。

 警戒するなと言われて警戒しなくなるほど龍助はお気楽じゃない。

 ましてや通り魔事件に遭ったばかりだ。

 当然警戒する。


「誰だ?!」


 あからさまに敵意を剥き出している龍助が問いかけると、返事はなかったが、彼のベッドの前にいつの間にか人が立っていた。

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