第6話 藤と雀


───ゥ、ゥア、ウアァァアアアアアアア……



「す、すさまじい姿と泣き声…」

「ああ、でも特に何か仕掛けてくるわけじゃなければ…」

「…あ!董路さん!不用意に近づいては…」

董路は一通り女の様子を確かめた後、女へ向かってふいに手を伸ばした。

「────!」

その瞬間、それまで焦点が定まらずぼうっとしたうつろな面立ちだった女は、腕に抱えた赤ん坊を庇う様に董路がまだ手の届かないうちに子供を庇う様に董路たちをにらみつける。

女の怒りに合わせるように、周囲に氷塊のような冷たい突風と腐臭が立ち込める。

着物の裾で鼻を覆い、董路は後ろへ数歩後退した。

「おぉ!やるねぇ」

「呑気にしている場合では…!」

いよいよはっきりと女の亡霊はふたりを自身の敵と認めると、鼻の奥をえぐるような強烈な腐臭と肺を圧迫するほどの冷気が一瞬のうちにその場を支配する。

董路は少し後ろの方で構える吉景をちらりと見ると、すぐに再び視線を女の方へ移し言った。

「吉景、お前は後ろで春雲様たちの護衛だ。

やはり初めの見立て通りこれは『人の障り』だ。はらえはおれの役目だよ」

「は、はい!」


「──せっかくお前もいるのだから、年の功を見せてやろうか」


そう言うか早いか、董路は手のひらを合わせ何やらぶつぶつと唱える。

最後に聞き馴染み深い「かしこみ、畏みもす」と言い終えると、董路は突然手のひらをひとつパアンと打ち鳴らした。

「!」

女の亡霊は体をびくりと跳ね上げ、董路の方へ顔を少し上げた。

地面からはどこからともなく、そこにあるはずのない木の根のようなものが湧き出てくると女の足元を絡めとる。

「ふ、藤の木…?」

春雲と弟子が唐突に表れた巨木に思わず声を上げる。

董路を良く知る吉景すらも、宵闇に咲く藤のその圧巻の様に見惚れるほどだった。

「───!」

巨木の幹が女の足を巻き取り膝下まで覆う。

その場から動く事が敵わなくなり女の顔はにわかに引き攣るが、やはり何か仕掛けてくるような素振りはなく、腕の中のお包みに包まれた我が子であろう亡骸を一層強く抱いた。

董路は眼前の女の様子を観察し敵意はあるが攻撃の意思はないようだと認めるとじり、と数歩歩み寄った。

身体をいくらか捩じる女の足へ視線を落とすと、藤の木の根は女の触れたところから少しずつ腐っている。

腐敗か凍傷か定かではないが、受動的なだけで決して貧弱な相手ではないと察すると、董路は女へ向き直り穏やかに問いかけた。

「何も無理強いしようってんじゃねぇ。

おめぇさんに何か無念があるなら、おれに話してくんねぇかい」

両手を左右の裾に隠し腕を組むと、まるで普段と変わらぬ調子で女へと語りかける。

「そんな姿になってまでこの世に留まりたい理由が……──!」

言い終わるか早いか、董路の頬を一塊の氷片が横切った。


「董路さん!もっと下がらないと危険です!」

後ろで守り刀を持ち、住職たちを庇うように手前で叫ぶ吉景。

先ほどできた頬の切り傷は、存外深いものの不思議と血は滴らずそこに留まりみるみる塞がっていった。

遠まきに、しかしつぶさに様子を見ていた住職はその傷の不可思議な様子に首を傾げた。


「…ずけずけ領分にしゃしゃりでてくんなってか。気難しいねぇ」

董路は女に向かって独り言のようにぼやくと顎に手を当て少し考える。

が、すぐに何かを思いついたのか手でぽん、と肩を叩く。

すると瞬きが終わるころには昨日の出所不明の雀が、先ほど叩いた董路の肩にちょこんと現れた。

「……す、雀?」

次々に目の前で起こる出来事に、春雲も弟子も──雀の出現については董路を良く知る吉景でさえも──疑問が募る。


「ゥアァァ……ア……ヒック……ヒック…、ふぅ……」

「───!」

雀は董路の肩を離れひらひらと気ままに空を旋回する姿に釣られ、先ほどまで緊張状態であった女もゆるゆると顔を上に上げた。

この世のものとは思えぬほど大声で泣き続けていた抱えた赤ん坊が次第に泣きやみ、

空を舞う雀を掴もうと手を伸ばす。

その腕は、他の四肢と同様に腐り、黒い肉だったものがほろほろと崩れていくが、愛らしい赤ん坊の動作そのものであった。



「……ふむ。お前ぇさん、ひとつ仕事を頼まれてくんねぇかい」

一連の出来事を観察していた董路は、そこに何か策を見出したのか口端を綽々と言った様子で引き結ぶ。

今ほど呼び寄せ、今は頭上で旋回を続ける雀に向かい、今度は手のひらを二度大きく叩いた。

その音を聞きつけるや雀はチチッと合点したとばかりに鳴き、一欠片の迷いなく女の元へふわりと進んだ。

「賢いねぇ」

「チチッ、チチッ」

女の近くまで雀が近寄ると、藤の木とその木に咲いた花の間を縫うように、歌うように囀りながら、ひらひらと女の抱く赤ん坊の周りを宥めるように廻る。

ひとつ廻るたびに雀の小さな翼から白い羽がふわりと舞い降りた。


一枚の羽が、赤ん坊の手の中に落ちた。

「董路さん……!」

いつのまにか寺に満ちていた冷気と腐臭が薄れた事に気が付いた吉景は、事態を知るべく董路の元へ駆け寄った。

「問題ない。……雀はあの子をあやしてんだよ」

「ぁ、ああ…」

唐突に聞こえてきた女のため息に、董路たちは再び女の方を見遣る。

女の口から初めて呻き以外の声らしい声が聞こえた。

「やっと……」

腐った肉片と共にずり落ちた前髪の奥には、白骨がのぞいていた。

が、そこに重なるように生前を思わせる女性の安堵したような笑みがひと時垣間見えた気がした。

女と赤ん坊は旋回する雀から落ちる羽や藤の花びらとともに、肉も骨もすべてがどぼどぼと地面へ崩れていく。


「さぁ、お仕舞いだ」


董路は柔らかく息をふっと吐き、甲を合わせ裏拍手をひとつ鳴らした。

途端周囲には一陣の風が地上から空へ向かって巻き起こり、藤の花びらと地面に落ちた雀の白い羽と、大小様々な母子だったものを攫って宙へ竜巻のように舞い上がった。

花びらと肉塊と羽が攪拌かくはんされたその光景は、美しいような凄惨なような、何とも形容したがたいものだった。


「……ありがとう」


どこからともなく微かに女の声がした。

「…?」

吉景と後ろで見守る住職たちが一連の出来事を再三不思議がる中、董路はどこか安堵したような、「やはり」といった様子で、消えゆく残滓を見守る。

その肩には先ほどの雀が何事の無かったかのように羽繕いしている。



「最期に……やっと………、この子の笑顔が見れた………、やっと…き………んで…くれた………」



羽も、ふたりを成していたものも、花びらも、諸共暗闇の空へ向かって泡のように融けていった。



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