第5話 輪郭



その日の夕刻、赤い陽射しが山々の合間に隠れ始めた頃。

董路は古めかしく荘厳な鳥居の前に立っていた。


時一朗と晴劤の様子を見届けると、董路は実家から歩いて半刻ほど離れた場所に建つ神社へと向かった。

通過儀礼の礼を捧げ鳥居をくぐると、本殿とは別にある外装からして控えめな敷地奥手の建物の方へ向かう。

まるで実家同然に玄関の引き戸を開けようと手をかけた矢先、後ろから声がかかった。


「──董路とうじさん!こんな時間にどうされたんです」


振り返ると董路とうじ晴劤はるちかと同年代くらいの、見るからに人好きのする柔らかな物腰の青年が見慣れた出立ちに嬉しそうに近づいて来た。

青年は白い着物に水色の袴を履いた、いわゆる禰宜ねぎの装束でおり、今はちょうど仕事終わりに同じ敷地内に構える自宅へ帰宅した様子であった。

吉景よしかげ、ちょうどよかった。依頼のことで少し相談があるんだ」

馴染みの顔を見ると、董路は袂から例の巻き紙を取り出して手を振るようにひらひらと見せた。

「承知しました。すぐ父も呼びますので居間でお待ちいただけますか」

吉景、と呼ばれた青年は董路の言葉に事態を察しすぐに場を整えた。



「董路か、珍しい。和田うちへ来るのはいつぶりだったか」

「ええ。左義長さぎちょうでお会いして以来でしょうか。

ご無沙汰しております」

通された客間で待つこと寸刻、吉景と共に五十路頃の、──まるで厳格という言葉が袴を着て歩いているような──見るからに厳めしい面持ちの男と共に現れた。

吉景が連れてきた男は床の間を背に上座に、吉景は入口近くの下座に、それぞれ定位置へと着席し向き合った。

董路は五十路男の方へ伏して一礼した。

先ほど居合わせた青年 吉景の父でもあり、和田家の家長でもある。

「お前の父上には何かと会うが、お前も相変わらずのようだな」

「お二人もお変わりないようで。

…皆の手前おれがここへ来れる機会も限られておりますから。

昔のように身軽にはおれませんよ、亨褌あきみつさん」

「…てっきり私を恐れて避けているのかと思っていたが、一応お前なりの配慮ということか」

五十路男、もとい和田わだ亨褌あきみつはくつくつと笑った。

董路も笑顔ではあるものの、その表情は普段の飄々ひょうひょうとした様子とは違いどことなく硬い印象だ。

「敵いませんね」

降参、といった様子で董路はため息をつき肩を落とした。


「…あの、お話を遮って申し訳ありませんが、董路さん御自らいらっしゃるとはよもや相当なご事情でも…?」

真面目さゆえか好奇心か、二人の応酬など気にも留めず、先ほどまで黙って二人のやり取りを眺めていた吉景はきりりとした面持ちで早速本題へ切り込んだ。

「いいや、程度については正直わからない。明日先方の寺へ向かう算段だよ」

「寺…? それは、どなたもいらっしゃらない寺なのでしょうか」

吉景は不思議そうに尋ねた。

「ご住職直々の依頼さ。どうにもお手上げらしくてなぁ。

早めに対処してやりてぇところだが、手紙だけじゃあ障りの原因が人か妖かわかんねぇもんだから、そんならいっそ吉景にも同行願えねぇかと直談判に来たわけだ」

「そうでしたか」

吉景はほんの少し嬉しそうに得心した。

元来こういったものは神社仏閣共に精通している分野のはずであり、程度の差こそあれどもこうした怪異が起きたところで内々で解決する事がほとんどと聞く。

董路自身はあまりそのあたりの事情に明るくはないが、今回については住職たっての依頼ということと文面に滲む様子から察するに、あまり時間をかけるべきだはないと考えていた。

董路は着物の裾に入れた例の巻紙を取り出すと、二人へ差し出す。

巻紙に書かれた内容を読むにつれ、場には一種の緊張感が満ちてきた。


「…一通り読んだところのようだが。

董路、この件に吉景は必要か?」

開いた巻紙の文字にしばらく神妙な眼差しで視線を落としていた亨褌は、やがて顔を上げると特段感情のこもらない口調で董路へ尋ねた。

「おれも正直妖の類ではないものかと。ただ文面から察するに先ほども申し上げた通りなるべく一晩中に方を付けてしまいたいと思いますので、万一の時彼が居れば心強くございます」

和田家とは、もともと浦田家の分家にあたる。

浦田家自体が大変旧い血筋であるため為分家も多いが、中でも和田家とは特に重要な位置づけにあった。

浦田家が数百年とこのような生業続けるに大きく貢献した始祖様の妹君の嫁ぎ先であった和田家は、浦田家同様に障りに対抗しうる者を以前から多く輩出してきた。

当代の家長である和田亨褌と、その長男の吉景も例に漏れず、今は主に董路と役目を二分し、人が由来する障りは董路へ、妖については主に吉景や亨褌へと任される場合が多かった。


「…自分も、ぜひご一緒させて頂きたく存じます。

董路さんからは学ぶことが多くございますので、機会を頂けるならばぜひ」

吉景は一切の惑いのないさわやかな眼で亨褌と董路を交互にまっすぐ見る。

「お前は愛いやつだねぇ、吉景」

董路は手で口元を多いながらくすくす笑う。

「場数については言うに及ばずだがな、くれぐれもこやつについては学びなさい。

……こんな屁理屈と同じ屋根の下で暮らすのは願い下げだ」

「ひどい謂われ様ですね」

あはは、と董路は今度は隠さずに吹き出して笑う。

はいともいいえとも答えがたい状況に、吉景はただただ苦笑いを浮かべるのみであった。

二人がひとしきりからからと笑ったところで、董路は両手を軽く叩いた。

「では決まりだな。

明日の夕刻件の寺へ。吉景、急で悪いが頼んだよ」

「承知いたしました」

上機嫌ににこりと笑う董路。


……──?


と、吉景と亨褌はふいに不思議な面持ちで董路の顔を見る。

その顔にほんの一瞬、ふわりと白い何かが掠めたように見えたのだ。

「では、話も纏まったところでおれはお暇しますね」

来た時はまだ陽のあった空も、今は暗闇に空には沈み星がちらちらと輝いていた。

董路は玄関先で二言三言亨褌らと言葉を交わし、いつもの飄々とした調子で灯りのない道を帰っていった。

玄関先で小さくなっていく背中を見守りながら、先に口を開いたのは吉景だった。

「父さん……、さきほど………」

「………」

やや心配そうに眉尻を下げた目で父の方を見る吉景と、董路が歩き去った方を見つめたまま考え込む亨褌。

「……明日あった事は必ず私に伝えるように」

亨褌の言葉に吉景は頷いた。




・・・・・



「わざわざこんな夜分にはるばる起こし下さり、感謝の言葉も御座いません……」

翌日、ちょうど日が落ちた頃に董路、吉景は件の寺へと向かった。

寺の門のあたりに着くと住職が灯りをもって立っており、顔を見るなり深々と頭を下げ来訪に礼を述べた。

董路と吉景も住職へ向かい一礼する。

「春雲様ですね。この度は大変でございましたね」

「はぁ…、突然御呼び立てした上にお気遣い下すって、申し訳ない限りです……」

深々と下げ続ける頭をようやく上げると、住職の顔は提灯の柔らかな灯りだけでもわかるほど血色が悪く、寝不足によるクマはもはや目の周り全体を暗く覆っている。

想像以上に疲弊している様子であり、吉景を同行させた董路の見立ても間違っていなかったようだ。

「春雲様、お辛いところご相談頂きありがとう存じます。

お手紙拝読致しましたが、改めてお話をお聞かせ願えますでしょうか」

「もちろんでございます。

こんな所ではなんですから、宜しければ中へお入りください」

春雲と呼ばれた住職の後に続き、董路と吉景は本堂の中の座敷へ通され机を囲み腰を下ろす。

いくつかの調度品が置かれた簡素な佇まいで、あまり飾り気のない住職自身の人柄を一層印象付けるような室内であった。

「──失礼致します、春雲様。お茶をお持ち致しました」

「ああ、ありがとう。

浦田様、実はこの子からお家の生業を伺いまして…」

「おや、そうでしたか」

董路は少し意外そうにお茶を運んできた坊主の方を見た。

坊主は、春雲同様に目元に濃いクマを作りやつれた様子ではあるものの、物おじすることなく董路へ姿勢を正し答える。

「はい、浦田様がお越しくださり春雲和尚ともども心強く存じます。

実は私の生家も数代前に一度浦田様にお世話になったことがあるようで。

私は詳しい内容までは存じ上げないのですが、とにかく浦田様はに明るく、わが家が今日まで無事なのも当時の浦田様のお陰だったと祖母が良く話しておりましたもので…。

この度の事で寺の者一同心身参っておりまして、もし宜しければぜひまたお力をお借り出来ればと思いました次第です」

「数代前……」

ふむ、と少しの間董路は腕を組み思案した。

「さようでございましたか。……董路さん?」

「いや、いつの代の誰の事か少し気になってね。

それはともかく春雲様とお弟子様。

この件私の力及ぶ限り尽力させて頂く所存です」

「ありがとうございます!」

春雲と坊主は顔を見合わせると、緊張の糸がほぐれたのかほっとしたような笑みを浮かべた。

春雲は改めて、この度の幽霊騒動についてとつとつと話し始めた。



一通りの出来事を話し終え、月が空高く昇ってきた頃、それは唐突に起きた。

「………?」

外から微かに赤ん坊の泣声のようなものが聞こえてくる。

「…董路さん」

「ふふ、話しの通りだね」

「外へ行ってみましょう」

吉景は董路へ指示を仰ぐように見据える。

董路も吉景の方を見ると頷き、二人ほぼ同時に立ち上がった。

「春雲様、我々も」

「ああ」

春雲と坊主も後に続くように二人を追って歩き出す。

「……」

春雲は華奢な二人の背中を追いながら、連日悪夢のように門戸に現れる女の様子を思い出す。

つい今ほどほぐれた表情は再び険しく疲れ切ったものに戻っていた。

「あの女人の…」

4人が歩を進める中、ふと春雲がつぶやいた。

すぐに途切れた春雲の言葉の続きを促すように、董路が聞き返す。

「何かお心当たりが?」

「ああいえ、その幽霊が着ていた着物が少し気になっておりまして。

見るからにぼろぼろの出立ちなのですが、お召物の柄がやけに立派で高価なもののように見えまして……」


単に不釣り合いだったから気になるだけだろうか。

或いは生前どこかで見かけたお人だろうか。

しかしどこかで見たならばもしやこの度の事は自分自身とも何らか関りが……?


春雲はその身に何か後ろ暗い過去があるわけではないが、住職という仕事柄、人々の生活だけではなく死にも多く関わってきた。

もしかしたら己の思いもよらぬ何かがあるのだろうか。


「……対峙してみればわかることもございましょう。

今はまず、気を引き締めて、くれぐれも隙を与えぬようになさいませ」

そう言い振り返ることなく門戸へ向かう董路の後ろ姿を改めて伺う春雲。

「ええ……」

春雲は少し意外そうにしながら答える。

見たところ自分よりも二周り以上も年若いであろう彼の振る舞いが、今この場でこの上なく心強かった。






※「左義長」…小正月に行われる行事。

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