第4話 夢の鳥


「ごめんくださいまし」


「あなた、宮島みやじま史葉しばさんがお見えですよ」

時刻が昼前に差し掛かる頃、浦田家に客人が訪れた。

とことこと小気味良い足音が近づき書斎の戸がからりと開くと、穏やかな口振りで女性が時一朗ときいちろうへ声をかける。

背筋は物差しを入れたようにピンと伸び、歳は時一朗より幾分若い。

後ろにはもう一人、やはり品良く佇む女性を連れている。

「ああ、冴子さえこ。ありがとう。

……申し訳ない史葉しばさん。これから冴子を使いに出す算段つもりでしたが、先にいらして頂き…」

「ま、そうでしたの」

そう言われた当の本人、時一朗の妻 冴子さえこは初耳だったようで、客人を主人の書斎へ招き入れると自身も空いている座布団へ腰を下ろし、少し驚いた風に口元に指先を当てる。

「あらあら」と見守る冴子を余所よそに、史葉は気にせず話を続けた。

「ご無沙汰しております。

実は昨晩気になる夢を見まして、仰る通り冴ちゃんがうちにくる姿も視えましたから。

早いほうが良いかと思って別の用事のついでに寄らせて頂きました。

その方が冴ちゃんも御足労にならず済みましょ」

「痛み入ります」

「いいえ。…私も気になっておりました。

夢の中では董路とうじさんの前に白い雀が現れて、その雀はまるで彼の守り神然としていたものだから…」


「やっぱり史葉しばさんは凄いなぁ」


時一朗たちが話していると、襖の方から董路の呑気のんきな声が降ってきた。

「あら、董路さんもいらしたのね」

お茶でも淹れましょうか、と冴子は屈託なく微笑みかける。

掃除でもしていたのか董路の肩や髪にはそこかしこに土や埃がついている。

史葉は畳につ、と伏して恭しく一礼した。

「ご無沙汰しております。…見ない間に一層白くなられまして」

董路を見るや否や、呆れたようにやんわり苦言を呈する史葉。

物言いこそ丁寧ではあるが、要するに「良い年して客前に立つのなら身なりくらい整えて来なさい」と言ったところだろう。

「はは、いやぁ、年々毛先まで美しさが増す史葉さんには敵わないよ」

「……その減らず口も息災そくさいそうで何より」

史葉はすぐに、最近頭頂にちらほら目立つようになった白髪の事だと察し、今度はあからさまにむっとした。

気心知れた身内を前にすると、普段は優男である董路の皮肉屋な一面がすかさず顔を出す。

昔馴染みの相手だと、つい大人気なく買い言葉に利子まで付けてからかおうとしてしまうのである。

「蔵を漁ってたんだ」

たまには虫干ししないとなぁ、とむくれる史葉などお構いなしに董路は独りごちた。

この二人は昔からどことなく似ており、こう見えて存外仲も良い。

が、はたから見ている時一朗は二人にはかねてから内心はらはらさせられる。

「ところで董路さん、その子の事ですね」

「ああ、羽は雀の色だけれどね」

「あらまぁ可愛い」

史葉、董路、冴子はそれぞれ三様の感想を述べる。

時一朗はやはり朝と同様に、小さな雀を睨んでいた。

可笑おかしいわね、私が夢で見たのは真っ白だったけれど…。何か暗喩あんゆかしら」

「なんとも。こいつについてはおれもよく解らねぇ。

だから史葉さんにも知恵と力を借りたいと思ったわけだが…」


董路と史葉が矢継やつばやに話を進める中、

「…ねぇあなた、私は席を外した方が良いかしら」

出る幕はないと察した冴子がそっと時一朗に耳打ちした。

「悪いがそうしておくれ。

ついでに晴劤はるちかを呼んで来て貰えるかい」

「はいはい」

時一朗に言われるまま、言伝を伝えるべく冴子は席を立つ。

裾が乱れないよう膝あたりを押さえ上品に立ち上がる冴子に向かい、横目で成り行きを見ていた史葉は申し訳なさそうに眉を寄せた。

「冴ちゃんごめんなさいね。どうぞお構いなく」

「いいえお仕事だもの。史葉ちゃん、また今度私ともお話ししてちょうだいね」

「ええ楽しみ」

二人とも齢四十手前にして女学生のように無垢に微笑み合う姿は、まるで香り立つ梔子くちなしのように麗しい。

だが冴子が退席するや史葉の面持ちは再び真剣なものに戻った。

「宮島の蔵書にも、何か手掛かりがないか探してみましょうか」

「ありがとう。…巻き込んで悪いね」

「浦田のお役に立てるなら本望ですよ」

史葉は眉根を少し下げ微笑んだ。

「史葉さん、ありがとうございます」

「時一朗さんまで。これくらい大事おおごとではございません。

ただ、探すくらいは構いませんが何か出てくるとも限りませんので。

あまり期待はされませんように」



その後半刻ほど話は続いたが、正午に差し掛かる頃には史葉は「ではそろそろ」と浦田家を後にした。

「そちらの用事が片付いた頃にまた参りますね」

「まだ日は高いけど帰り道にはくれぐれも気をつけてね、史葉ちゃん。

これお土産よ。お饅頭まんじゅう好きでしょ」

「あら、嬉しい」

董路と時一朗も史葉の帰りを見送る。

「わざわざ悪かったね、史葉さん。

叔父さん達にもよろしく伝えておいて」

「ええ、お気遣いありがとうございます」

冴子に手渡された風呂敷を片手に裏口から立ち去る史葉の後ろ姿を、三人は見えなくなるまでしばらく見守っていた。



ところで冴子に呼ばれたはずの晴劤だが、史葉が帰ってからも一向に董路らの元に現れる気配がなく、ようやく夕刻近くになり晴劤の自室に自ら向かった時一朗から小言をくらう羽目となった。

「申し訳ありません、帳簿の訂正に熱中してしまい母さんの話も上の空でした…」

晴劤はおおむねしっかり者だが、自身の職域の事となると途端に周囲への注意がおろそかになる。

良くも悪くも仕事熱心な息子に時一朗はため息をつくが、賓客ひんきゃくは見知った仲であったのでそれ以上言及はせず、話の経過だけ手短に伝えた。

晴劤はまるで小さな子供のように萎縮しきりであった。

そんな2人のやり取りを董路はころころと笑って眺めていた。






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