第2話 依頼


「失礼します、父上」

「お入り」


声をかけ、部屋の奥から返事がある事を確認し董路がからりと襖を開けると、十畳程度の書斎には文机ふづくえの前で何やら書物をあらためている中年の男がひとりと、その手前の長机で算盤そろばんを弾く若い青年がもうひとり。

文机に座る男の方はよわい四十半ば、目鼻立ちは董路とよく似た造形だが、目元などには年相応にくぼみがある。

手前の算盤そろばんを黙々と弾く男は董路と変わらぬくらいの年頃である。

董路よりもやや目つきは鋭いがやはり端正な顔立ちで、丸いメガネが彼の実直な印象を強調している。

董路の父であり浦田家当主 時一朗ときいちろうと長男の晴劤はるちか

今はどうやら二人揃って洋式の帳簿に向かって何やら記している。

「まぁお座り、董路お前、やっちゃんにまた叱られとっただろう。

楽しそうな声がよく響いてくるよ」

「いえ、あれはやっちゃんがかしましいだけです」

「お前がきっかけをくれてるんだろうが」

大真面目に言い放つ董路に、まったく、と時一朗はため息をつくが怒っているわけではない。

口の端がうっすら上がっている。

表向き厳格を装っているが、その実笑い上戸で懐が深い男である。

無論、董路としても八千代については冗談以外の他意などない。

「八千代さんもそう暇ではないのだから。

揶揄からかうのもほどほどになさって下さいね」

視線は机に向かったまま、兄晴劤もやんわり父に加勢する。

二体一では分が悪い。

董路は晴劤の向かいに腰を下ろすや早速本題に入った。

「で、御用とは」

「ああ、お前に依頼だよ」

時一朗の一言に、その場はにわかに真剣な空気で満ちた。




浦田家とはもともと神職の親類筋しんるいすじでもある旧家ではあったが、数代前の当主が一念発起し問屋業を始めた。

当主の商才かはたまた審美眼の賜物か、いずれにしてもその後もおたなは波はありながらも概ね良好に発展し、元号が明治となった今に至っては昨今話題の多角的な事業形態ほど手広くはないものの素封家そほうかとして名を馳せるまでに成長した。

が、もっと古くは平安の前から祈祷きとうまじないのような事を生業なりわいに生計を立てていた。

時代が流れ、特に先の国を揺るがす沙汰さたの後、祈祷師の一族としての浦田家は完全になりひそめているが、未だこうしてどこからか聞きつけてくる「客」の依頼をこなすのが、浦田家次男・董路に秘密裏に任された役目であった。


董路とは血脈の中でも一際ひときわ特殊であった。

そも、浦田や縁故ある一族の中には、古来から人の因縁や人ならざる摩訶不思議まかふしぎな存在と対峙し、はらう力を操る者を数多く輩出していた。

一族ではいつからか、人に害なす念やこの世のものではない存在を総じてさわりと呼び、障りを視、祓う力を霊性れいせいと称した。

平安の頃、他に類を見ない強烈な霊性を宿した「始祖様しそさま」と呼ばれる巫女が存在した。

数多の障りをほとんどひとりでも蹴散らせるほど強力だった彼女への信頼は厚く、今と比べ物にならないほど多くの相談事が、昼夜も問わず寄せられていたと未だ伝え聞くほどである。

惜しむらくは彼女は早世であった。

その霊性は子孫らへ継がれるものの、代を経るごとに力は徐々に弱まっていった。

ところが数代に1人、時折始祖様に似た強い霊性を持つ者が生まれる。

浦田董路こそが今代のであった。

浦田本家や浦田に連なる分家の中でも内情に精通した一部の人間たちにとって、彼はこの血脈を守るための切り札であり、同時に護るべき特別な存在であった。

董路が産まれた折の当主、時一朗の父を筆頭に総出で董路をかくまい、董路がそうしたものと渡合う術を充分身につけてからは、密かに寄せられる依頼をその手の真打ちと言うべき彼にほとんど一任していたのであった。




父から渡された手漉てすき和紙の巻紙を片手に、ふむ、と董路は思案した。

門戸もんどに立つ亡霊と赤ん坊の泣き声か。

…まぁ典型的な人の障りっぽいけどなぁ」

「私も同意見だ」

時一朗が頷く。

晴劤も口を挟まず、先ほどから変わらずに背を紐で括った紙束をぱらぱらとめくり何か書き込んでいる。

これといって違った見解は無いらしい。



事のあらましはこうだ。






*3話は明日同時刻に投稿予定です*


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