明治障縁物語
紗久
第1話 幕開け
時代は明治中期。
松や梢の葉が揺れる、古式ゆかしき神社への表参道。
この道に軒を連ねる店々の中でも一際繁盛しているお
この土地に根付く神職一家と親類関係にあたる旧家であり、数代前から陶器や茶器の問屋を始めたところそれが大変景気が良い。
ともすれば成金風情などと野次されかねないが、隣近所に慶事があれば大盤振る舞いし弔辞があれば惜しまず包み、一家揃ってみな泰然としてはいるものの決して腰高というわけでもなく、理想を絵に描いたような素封家であるととかく評判である。
そこの次男を
幼い時分より身体が弱く、お陰でお店には出ず、日がな一日実家の離れで三味線を弾くか絵を描くか、はたまた花でも生けてみたり物書きの真似事をしてみたりと、随分伸びやかな暮らしぶりだとか。
旧家の息子にあるまじき素行ではあるものの、当主曰く次男であるし身体も人並みに丈夫ではないからと、好きにさせ面倒を見ているらしい。
───てん、てん、て、てん……。
朝日が差し込む縁側で青年が三味線を手に小唄を吟ずる様子は、さながら大和絵といった風情で見るものの興味を惹く。
年の頃は二十前後の好青年といった印象だ。
開国後、押し寄せる西洋文化の波の中でも和がありありと窺える、なんとも風流な
「風流な朝餉前…………じゃないですよ!
スパァンと勢いよく襖が開かれる。
「お、やっちゃんおはよう。
前振りに突っ込みとは、朝からなかなかかしましいねぇ」
「あ、な、た、の、せ、い、で、す!」
董路と呼ばれた青年は、今程勢い良く開かれた襖の方へ振り返ると爽やかに微笑む。
浦田家次男であり、この離れの主人でもある。
この男董路とは、時折の外出もあるものの決して店には立たず、概ねこの離れか実父の書斎に入り浸り一日を過ごす少し風変りな青年である。
深窓の令息などと揶揄するにはやや年嵩だが、浦田家ではこれが見慣れた光景だ。
ちなみに董路は八千代がこの家に働きにやってきた折『病弱な次男坊』と紹介されたものの、彼女の知る限りではこれまでに風邪一つ引いたことの無い健康そのものに見える。
ではなぜこの青年は飽きもせず───何なら商売も手伝わず───離れにこもっているのか、とは疑問に思いこそすれ、もしかすると傍目にはわからぬ病かもしれずそもそも女中の身分で口に出すには畏れ多い。
端麗な笑みに見惚れそうになるのを堪えて、八千代はちゃきちゃきとした動作と口調で董路を捲し立てる。
「お
口さがない人から
「はは、まぁ家族には足向けて寝らんねぇなぁ」
「もう、そういうことでは御座いません!」
バチがあたっちまうねぇ、と明朗に笑う董路と、頬を膨らませる八千代。
揶揄われながらも手は休めず、慎重に煎茶を注ぎ茶菓子を添える。
食の細い董路の、見慣れた朝の光景である。
八千代は昨年から奉公に来たうら若い女中だが、よく働きくるくると表情が変わる年相応の裏表のないお嬢さん、というのが董路から見た彼女に対する印象だ。
何かと口煩くもあるが彼女の性格上それも彼を思っての事と董路も知っているため、ひとまずさらりと受け流す。
「ところで董路様。お茶の後で構いませんので旦那様がお呼びだそうです」
「相わかったよ」
八千代の淹れた煎茶を啜り、茶菓子に手を伸ばそうとした
「……あれ、董路様、お膝に
いつのまに入ってきたのかしら」
八千代は
思った通りの八千代の反応に董路は内心にやりと笑う。
逃げる様子もなく丸まっている雀に興味が湧いたのか、八千代はおずおずと董路に尋ねた。
「あの、お膝の雀さん、撫でても宜しいでしょうか」
可愛らしい子だなぁと董路は思った。
「だめだよやっちゃん、そっとしておいておやり」
が、董路は笑顔で八千代を制した。
董路はまだ充分中身のある湯呑みを受け皿に戻しながら八千代に言った。
「やっちゃん、おれは支度するからもう下がって良いよ」
「…それでは、出られた頃に伺いますので器はこのままに」
「ありがとう」
八千代は失礼しますと頭を伏せ、申しつけられた通りそそと下がった。
「──ふむ、おめえさんもどうせ暇だろ。
後で一曲付き合ってくんねぇかい」
董路は朝顔の練り切りをひとつ口に入れると立ち上がり、寝巻きから
膝で丸くなっていた雀も、立ち上がる董路に合わせバサリと羽を広げた。
初夏に似合う薄い
先程とは打って変わった不敵な笑みを浮かべると、引手にかけた方と反対の手を肩で大人しくしていた雀に指先を差し出した。
すずめは頷くようにチチッと鳴き、董路の意のままにその手に移る。
からりと襖を開け、廊下へ出る頃には先ほどの雀の姿はもうどこにもなく、董路は勝手知ったる細い廊下を上機嫌で歩いて行った。
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