第4話 否、平穏

 義村は大きく遠回りをして自宅に帰った。道中、もう1度別の喫茶店に立ち寄り、気持ちを落ち着かせていた。

 さっきのは何かの間違いだ、そう自分に言い聞かせながら玄関のドアを開ける。そこには珍しくキッチンに立つ秋穂の姿があった。


 「あ、おかえり。なんか遅かったね。」


いつも通りの秋穂。


 「うん、ただいま。」


自分もいつも通りの返事をしたはずだったが、意図せず声は多少の震えを孕んでいた。


「今日、どこ行ってたの?」

「高辻とちょっと遊んでただけだよ。ていうか料理してんの久々じゃない?どうしたの?」

「んー特に何もないけど。いいじゃんたまには。」


料理をしているという点以外は、間違いなくいつも通りの秋穂だった。いつも通りの会話、いつも通りの雰囲気、いつも通りの幸せな日常。今日見たことは無かったことにしよう、義村は自分の中にそんな掟を作り、"いつも通り"を楽しむことにした。


 料理が完成し、秋穂が手伝いを促す。リビングに完成したカレーライスとサラダを運び、ソファの前に2人横並びで食事を始めた。バラエティ番組を見ながら、多少の会話を挟みながら、笑い合いながら。そんな時間を過ごしていると、自然と義村の中にあったもやがすぅーと晴れていくような気がした。


 ふと、秋穂がスプーンを持つ右腕に目をやった。上腕の下部、肘近くに半径1センチほどの青痣ができていた。


 「肘のところ、どうしたの?怪我?」


 義村がそう聞くと、秋穂はいつものように少しおちゃらけて答えた。


 「さっき料理してる時、冷蔵庫にぶつけちゃった。珍しく料理なんてしたからバチが当たったのかもね。ぜーんぜん痛くないから大丈夫だけど。」


 ふーん、と聞き流すふりをして謎の違和感を必死に噛み殺す。こんな日常が続けばいいんだ、義村はそのために自分ができることは何なのかを一時考え、忍び寄る何かに閉じ込めるように秋穂を静かに抱きしめた。


 それから何分経っただろう。いつの間にか眠ってしまっていた義村が時計に目をやると、ちょうど日付を跨いだあたりだった。なぜか朝まで眠ったような清々しさを憶えながらグッと伸びをする。廊下からは水が流れ落ちる音がする。秋穂がシャワーを浴びているのだろう。

 そういえば最近は一緒にお風呂に入ることが無くなった。お互い大学3年生で就職活動も始まり、忙しくなったということもあるが、秋穂からの誘いはここ1ヶ月ほど1度もなかった。悲しみの気持ちというよりは、どうして?の気持ちが大きく、また良からぬ考えが頭を巡り始めた。それを流し込むように卓上のマグカップに残っていた水を一気に飲み干し、秋穂を思い浮かべながら、もう1度目を強く瞑った。

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焦燥 @Yo0612hu

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