第5話
フランスでは、花というものはなにかと理由をつけて人に贈る習慣がある。もちろんそういったお客様のために作ることが大半であるが、それらに込めた意味とは全く違う、趣味全開というアレンジは、自分の心を見透かされるようでむず痒くなるのだ。
もちろん花については素人が、それらを読み取る術など持ち合わせていないことはシャルルにもわかっている。
そしてベル本人もその通り「綺麗だな」と率直な所懐である。そこに一息つく間はあった。
ふと、その一角でポケット付きのエプロンを着た女性が、胡坐をかいてアレンジを作っているのを、観まわしていたベルは視界の端に捉えた。斜に座っており、少々見え辛く、一歩近寄る。
流麗でしなやかな指先から、また小さな、それでいて新たな小宇宙が生まれる。小さな向日葵のイエローを引き立たせるような、グラデーションとなるオレンジのバラなどのビタミンカラーで暗い気持ちを吹き飛ばす、そんな印象を受けた。弾けるリズムの快活なメロディーがよく似合うだろう。そう印象付けさせる力を持っている。
三○秒程すると、作り終わって集中力が抜けたのか、プラチナブロンドの髪を邪魔にならないように結って、綺麗なうなじを見せていた人型が、ゆっくりと振り向く。
「おかえり。なんだ、お客様か?」
「ただいま姉さん。うーん、シードルを飲みに来た、って感じかな?」
姉さん、と呼ばれた女性の透き通るような切れ長の青と、ベルのヴァイオレットの瞳が宙で合う。
が、姉は欠伸をひとつすると、これまたゆっくり「よいしょ」と小声で言い放ちながら立ち上がる。
高等部の制服をシャルルは「姉も着ていた」と言っていたことから、いくつか年上であることはベルにも予想できた。だが、立ち上がったそのサイズは、胡坐をかいていたときははっきりと気付かなかったが、シャルルと同じ、もしくはそれより小さいのでは、と見張った。
この国の成人女性の平均身長は一六○センチ半ばで、世界的に見れば中堅に位置している。近隣諸国では一七○の大台に迫ろうかということを鑑みるとそれほど高く見えないものだ。
しかしそれでももう一度ちゃんと調査をしたほうがよいのではないか、この女性を見ているとベルは無駄に心配をしてしまいたくなる。同学年の中では背の高い方という自覚のあるベルは、まだ伸びるという気もしている。胸は小さいがそこも含めて発展途上だと認識しているのだ。そう考えると、おそらく成長のピークを越えた年齢であろう目の前の少女に、どこか同情の念のようなものを覚えた。
「なんだそれは。とりあえず冷やしてあるから適当に飲め。でもちゃんと私の分は残しておけ」
ちらりと姉は自分よりかなりの背と少し胸のある少女を、頭の先からつま先まで一瞥して「ちっ」と舌打ちする。態度のでかさで色々な小ささを補おうとしているのか気になるところである。
「あの、はじめまして。ベル・グランヴァルといいます」
シャルルと同じような身振りに出てしまいそうになったが、目上に対しては敬語で話すという礼儀をしっかりとベルはわきまえ、軽くお辞儀をする。
さらりと髪をなびかせるベルの頭部が上がりきったタイミングで、小さな姉が口を開いた。
「あぁ、そいつの姉のベアトリスだ。しかし高等部の制服とは懐かしいな。どれ、貸してみろ」
「え? あ、はい。どうぞ」
しゅるっ、と小気味いい音をたてつつ、かつて同じものを着ていたらしいベアトリスに戸惑いの表情を浮かべたベルがブレザーを脱いで手渡す。サイズが合わないのでは、ということは言わないでいた。先ほどの舌打ちで、自分の身長にコンプレックスがあることは感じ取っていたのだ。
「おお、どうだ。私もまだいけるだろう」
仕事着のまま羽織ったベアトリスは、その場でクルクルと回る。
サイズはもちろん合っていないのだが、それ以上に初等部の生徒に見えた、ということは絶対に言ってはいけないとベルは心に決めた。弟を見ても思ったが、もしかしたら背の低い家系なのかもしれない、と。
「――ん?」
なにかに気付いたのか、優雅に回っていた足をベアトリスはベルに近づくことに使用する。そのままベルの手をとり、二秒ほど凝視した。そして視線をシャルルの右手にある箱に移すと、「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「なるほどな。シャルル、いい着眼点だ。仕上げを怠るなよ」
「もしかして、もう気付いたの?」
当たり前だ、と弟に近づき額を勢いよくデコピンで弾く姉の図。しかしその身長のせいで威厳はあまり感じられない。
「い……つ……!」
額で快音を響かせ、うずくまるシャルルから再度視線をベアトリスはベルに移す。
「ベルといったな。この店の〈ソノラ〉とはどういう意味か知ってるか?」
「意味、ですか?」
疑問符をベルは頭に浮かべた。
逆に微笑を浮かべたベアトリスは床をトン、と足で叩いてリズムを生み出した。
「〈音〉だ。今のお前にピッタリの店だと思わんか?」
「な……!」
ベルは背筋が凍る感覚を覚えた。「なんでそれを」たった六文字の言葉すら言えないほどの動揺。喉の渇きのせいではない、唾液が多量に分泌されるのがわかる。ごくりと音がはっきりとベアトリスにも聞こえるほどにそれを飲み干すと、視線をそらして問う。
「どうして、そう思うんです……?」
面を食らって声から取り上せているのだろう。そのベルの様子に対し、実にあっさりとベアトリスは種明かしをした。
「指。ピアニストの指は多くを語る。バレバレもいいところだ」
「指……ですか?」
「お前自身も気付いているんじゃないのか?」
力のないベルの返答にベアトリスも返答で返す。
しかしさらに返ってくるのは重い沈黙であり、それは無言の肯定だ。
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