第3話
眼鏡の位置を直し、暑さを忘れたかのような抱きつきの衝撃で落ちた帽子を拾い、軽くはたいて被り直すと、シャルルは眉間に皴を寄せて加害者に詰め寄った。
「ベル先輩! 人目があるんですから、って人目がなくてもダメですけど! とにかくこういうことは……もう……」
赤く染まった顔を彼女に近づけて、そのときようやくシャルルは気付く。
泣いている。
ヴァイオレットに輝く瞳から、透明で悲しい雫が頬を伝う。
そうして全体像が見えてきた。とても華奢な肢体なんだと、なんとなく、守ってあげなければならないという気持ちが小さな少年に、
「シャルル君……」
「は、はい」
「喉渇いた……なんか飲み物。コーヒー以外で」
特には湧いてこなかった。
「……僕の家、近くなんでそこまで歩けますか?」
そのシャルルの提案は、わがままな要求をする少女を、それでもその場に置き去りにしておくことはできず、ひとまず家に収容する思慮も含まれている。
「無理。もう一歩も歩けない」
「あと百歩くらい頑張ってください」
「それだけあれば、ここから地球の裏側まで行ける」
「よく冷えたシードルがあったはずなんですけど」
「……どっち?」
本日二度目の溜め息を吐いたシャルルは、一つ奥まった通りの道を左手で指し示す。
そのとき、ベルはシャルルの右手に握られている箱に気付いた。つい一時間前に会ったときは、記憶が間違いなければ持っていなかったはずのものである。
「それ、なに?」
赤く染まった鼻を啜りながらベルは簡潔に尋ねる。当初は喋る気力もないと思っていたのだが、案外近いとわかると、少し余裕も生まれてきたのであった。
その箱を自身の胸元まで持ち上げ、どこか憂いを帯びた瞳でシャルルは見返した。
「これですか? これは……子供の頃を思い出すものです。たぶん、ベル先輩ならよくわかるものではないでしょうか」
「?」
要領を得ない答えにベルは首を傾げるが、それよりも泣いてさらに放出した水分を補給したいという気持ちの方が強く、残った力の限り六八歩目を踏み込む。残り三二歩ほどを計算すると、一軒の店が目に入った。そして大きな目を少し大きめに見開く。立ち止まり、横で並んで止まるシャルルと顔を合わせる。
「はい、あれです」
と、シャルルはベルの心を読んだかのように頷いた。
「見えてきましたよ。あれが僕の家であり、フルールです」
シャルルは屈託の無い笑顔をベルに向け、店の前まで連れ添うと、小さくお辞儀をした。
「いらっしゃいませ、お客様」
少女の胸の奥で心臓が一つ、トクン、と大きく鳴った。それは、〈ソノラ〉という名の小さな花屋だった。
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