閑話:エクスリアとアレクシスの婚約

 フォルト王国の首都、フォルタスの城下町はお祭り騒ぎだった。

 先日国中に知らされた吉報、アレクシス第二王子と魔法令嬢エクスリアの婚約。

 アレクシス王子の名声は国民の間ではさほど高くない。

 これには王子の素行が悪く、知られては困るため喧伝できないという裏がある。

 しかしエクスリアは違う。

 エクスリアは度重なる魔族の襲撃からフォルタスを守り抜いてきた立役者だ。

 正体不明でありながら強く、美しい魔法令嬢は民から慕われ、子どもたちに真似され、一部ではもはや崇めている者さえいる。

 エクスリアがいるから安心して暮らせているのだと語る者は多い。

 裏を返せば、騎士や貴族、王侯などはあまり信用されていないとも言えるのだが。

 

 何はともあれ、そんなエクスリアが国の中枢に入るという報せは様々な者を喜ばせた。

 ある町人はエクスリア様が嫁入りされるなら善政が敷かれるだろうと無根拠に期待し。

 ある商人は商機を見出して多くのグッズを作る。

 ある貴族はエクスリアに取り入ることで出世の手がかりを得ようと画策し。

 ある王子は……。


「アリア、君は今日も可愛いな」

「ありがとうございます。アレクシス様」


 人払いを済ませた城の中庭で、アレクシスとその新しい婚約者であるアリアはお茶を飲みながら語らっていた。

 昼下がりの暖かい日の光が二人の囲う机に差し込んでいる。

 

「今日も妃教育だそうだな。大変ではないか? 投げ出しても構わんのだぞ」


 アレクシスがアリアの素朴な顔を見つめながら言う。

 アリアの顔立ちはこの国の貴族にありがちな陶磁器のように白い肌、線が細くはっきりとしたものではない。少し丸っこい輪郭に大きな目、笑えば小動物のような愛くるしさを感じさせるものだ。

 貴族というよりは庶民的。しかしそんな所にアレクシスは惹かれた。


「いえ。確かに大変なんですけれど、やり遂げます。それが私の義務なんですから」


 きっぱりとアリアはアレクシスの甘言を断った。

 そのまぶたの下には薄っすらと隈が出来ている。


「そうか。もう正式に婚約者になった以上、そこまでする必要はないと思うのだが」

「いいえ、私はもっと頑張らなくちゃいけないんです。エクスリア様を騙った以上、私の怠慢でその名前に傷をつけちゃだめなんです」

「そんなもの、気にしなくてもいいだろう。今のエクスリアは君なのだから」


 カップを手にしながら、何でもないことのようにアレクシスが呟いた。

 アリアは目を伏せて、紅茶の水面を見つめる。不純物一つなく、底まで透き通ったその表面に風で小さく揺れていた。


「……確かに、今誰もにとってエクスリア様は私ということになりました。今まで正体を隠していたエクスリア様がとうとうそれを露わにされたのだと」

「そうだろう」

「ですが私はエクスリア様のように戦えません。魔族から誰かを助けることもできません。私はその外面を取り繕った偽物に過ぎないんです」

「何を言う」


 こん、とアレクシスはカップを苛立たし気に置いた。


「エクスリアの価値などそれで十分だ。魔族など我が国の騎士だけで十分対処できるものを、余計な手出しをして大きな顔をされては困る」

「……そうでしょうか」

「そう言うものだ。国よりも信頼される個人などあってたまるか」


 アリアは言い募ろうとして、口を噤む。

 アレクシスに迫られ、大臣から方法を教えられたとはいえ最終的にエクスリアを騙っている自分に反論する権利などない。

 エクスリアを騙ったのは、アレクシスとの婚約を正当化するためだった。

 素行不良な伯爵令嬢と、男爵令嬢でありながら今や国の人心を一身に集める魔法令嬢。

 どちらと婚約するべきかという天秤を、一気に傾けるだけの力がエクスリアの名前にはあった。

 だがやっていることは詐欺のようなものだ。

 アリアはただ魔法が少し得意な男爵令嬢にすぎない。国を背負うにたる聡明さも、民を守る武力も持ち合わせていない。

 そんな人間が、アレクシスの言葉に乗せられてここまでやってしまった。

 エリクシア様は許してくれるだろうか、ということをアリアは毎夜考える。

 貧しい男爵領の民達への援助を得るため。第二王子からの求愛を一介の男爵令嬢が断れるはずもないため。今の王国を変えるため。

 そんな理由をいくら並び立てたところで、エクスリアの積み上げてきたものを奪っていいはずがない。

 優しいエクスリアは許してくれるかもしれない。

 けれど。エクスリアを求める人にとっては。

 

(あの皇太子様は必死だった)

 

 婚約を発表した当日、エクスリアの力を借りたいと頭を下げていた隣国の皇太子を思い出す。

 あの時自分は、実は思っていた以上にとんでもないことをしてしまったのではないかという恐怖と罪悪感に駆られたのだ。

 もう戦いたくないからと戦場に出ないと言うのは前々から決めていたことだった。

 しかし涙は本心から零れたものだ。きっとその本当の意味は誰にも伝わらなかったけれど。

 エクスリアを本当に求めている人がいたというのに、自分はそれを奪い去ってしまった。

 あの日以来、エクスリアは現れない。魔族が現れても、騎士と武闘派の貴族だけで対処している。

 今のところ、それで対処はできている。けれど被害はどうだろうか。

 エクスリアは逃げ遅れた人々や建物に被害を与えないよう迅速に戦闘を終わらせていた。

 彼女が矢面に立っていたから騎士たちは住民の避難に手を回せていたという面もあるのだろう。

 しかしそのエクスリアが欠けた今、どれほど被害が広がっているのか。

 アレクシスにそれを尋ねても、お前が気にすることではないと教えてくれない。

 日が経つ程に、心が重苦しくなっていく。

 

(もし次に本当のエクスリア様が現れられたら)

 

 全てを吐き出して楽になってしまいたい。それで自らがどうなろうと構わない。

 けれどそのとき隣にいる王子は、そして男爵領の民たちは。

 それを思うと、既に自身の道が暗くどうしようもない袋小路に迷い込んでしまったように見えてくるのだ。


「大丈夫か、アリア」


 はっと気づけば、アレクシスがこちらを心配げに見ていた。

 紅茶もいつの間にか冷めている。どうやらずいぶん考え込んでしまっていたらしい。


「なんでもないです、大丈夫です」

「ならいいが……やはり今日の妃教育は無しにした方がいいのではないか?」

「いいえ、行きます」


 そろそろ失礼します、と頭を下げてアリアはその場を辞した。

 重い足取りで、せめてもの笑顔を取り繕いながら部屋へ向かう。

 結局のところ、進むしかないのだ。その先に何があろうとも。

 

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魔法令嬢エクスリア ~婚約破棄されたので旅に出たら隣国の皇太子に見初められました~ 星 高目 @sei_takamoku

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