魔法令嬢、反撃する

 アデリア妃は私に寄り添うような言葉を掛けています。

 その狙いは恐らく、私をテオドールから自分の派閥へ引き込むことでしょう。

 彼女の息子であるラスタ皇子のために、対抗派閥であるテオドールの人間を懐柔する。

 夕食に至るまでの急な誘いや格落ちな迎えも、それに怒った私がこの場に現れないならテオドールの招いた客は無礼だという非難に持っていければよかったのでしょうね。

 どちらかと言えば、そちらが本筋だったのでしょうか。

 私がこの場に現れた時に、一瞬驚いたような沈黙があったのは。

 とにかくどうなってもいいように準備されている強かさは、尊敬に値します。

 この場は明らかに、私とテオドールにとって不利になるよう整えられている。

 その上で私は踊らなくてはいけない。

 

 ラスタ皇子がアデリア妃の行動をどのように思っているのかはわかりません。

 しかし私には、どうしても彼がテオドールを慕う無邪気な子にしか見えないのです。

 彼がテオドールや私に向ける目は一切の悪意がなく輝いている。

 アデリア妃にも同じように、母として慕っている。

 

 ただ一人アデリア妃だけが、鋭い敵意を振り撒いていると見えます。

 けれどどのような形であれ、ラスタ皇子のためにと取っているだろう行動を謗る気にはなれません。

 彼女の本意は笑顔の仮面の奥に隠され、見えるのはそこから生じる行動だけ。

 行動は独善的でありながらも、ラスタ皇子とテオドールが対立したときにラスタ皇子を優位に導くためのもの。

 その行動が対立を作っているようにも思えますが、果たして。


 果たしてアデリア妃はどこまで邪な心を持ってこの現状を作ったのか。

 

 邪推ならいくらでもできます。テオドールの危険を排除することだけを考えれば、アデリア妃を蹴落とすのが一番早いのでしょう。

 しかしそれではきっと、母を想うラスタ皇子は悲しんでしまう。


 私が欲しいのは、皆が喜ぶ幸せな明日です。

 乗り掛かった舟、怖いものは怖いですが。

 誰かが不幸な結末を迎えそうなこの状況に、知らぬ顔はできないのです。


「ご心配いただきありがとうございます。ですが私はこれっぽっちも不幸ではないのです」


 社交用の笑顔から、本心の微笑みを。

 嘘ではないと理解してもらうために。

 アデリア妃は二、三度驚いたように口をぱくぱくと動かしました。


「そ、そんなことはないでしょう。王家からの婚約よ? もしそのまま結婚していたなら、あなたは王家の一員になっていたというのに」

「何も王家に入ることばかりが幸せではございません。権力にあまり興味がないものですから」


 それに、と前置いてテオドールを見ます。


「思わぬ良い出会いもありました。それを思えば、むしろ私は幸せ者ではないでしょうか」


 彼もまた驚いたように目をまん丸に開くと、私に応えるようにはにかみました。

 率直で好感が持てるテオドールと出会って、彼の窮地に友人としてともに立ち向かうことができる。

 これはきっと、あの婚約破棄がなければ叶わなかったことです。

 だから私は意図せずして、さちを掴んでいると言えるのです。


「それにエクスリア様。彼女は誰かの危機を見過ごせない方です。きっと何か手を差し伸べてくださいます」


 アリア男爵令嬢も、私はあの時会ったきりなので彼女が何を考えているのかはわかりません。

 ただ彼女にも名誉というものはあります。

 エクスリアを褒めたたえるように語るのはとても気恥ずかしいですが、それで彼女の名誉を守れるのであれば構いません。

 いざとなれば私が真実にしてしまえばいいのですから。


 ですが私がエクスリアとして戦ったその時アリア嬢は……どのようにされるのでしょうか。

 できることなら、彼女とも話しておけばよかったです。

 

「何を根拠にそんなことを」

「根拠であれば、これまでのエクスリア様の行いでしょうか。エクスリア様はずっと、誰かを守るために戦っておられました」


 ああ、とても恥ずかしいです。しかし我慢、我慢です。

 私の表情は笑顔のままですが、もしかしたらそこには朱が混ざっているかもしれません。

 私の顔を見て、アデリア妃が口の端を歪めました。


「あら、もしかしてだけどあなた、テオドールにお似合いではなくて?」

「それはどういうことでしょうか」

「いえね、素晴らしい価値観や綺麗な事をずいぶんと信じていらっしゃるようだから、気が合うのではないかしら」


 これは皮肉ととらえたほうが良いのでしょうね。

 綺麗事を信じている夢見がちな令嬢が、王家から婚約を破棄されたために今度はテオドールにすり寄っているのではないかと。

 確かに客観的に考えれば、そう思われるのが自然に思えます。

 否定したところで、信じてもらいようがありませんね。

 であれば正直に行きましょう。


「ええ。テオドールとはとても気が合いますし、大切な友人です」

「友人……?」

「はい、友人、で、す……」


 テオドールの疑問に答えて、彼の眉尻が心配そうに下げられていることに気付きました。

 

 Q:私は今何をしたでしょうか。

 A:隣国の皇太子を皇族の前で恐れ多くも友人扱い。

 

 気づいた途端、冷や汗が背中にどっとあふれ出します。

 うっかりではありますがとんでもなくやらかしています。

 無礼だと文句をつけられても何も言えない案件です。流石に私の立場もあって死刑などにはされないでしょうが、格好の非難の的。

 隙を見たり、と言わんばかりにアデリア妃の顔に喜色が溢れます。


「まあ! 皇太子であるテオドールを友人だなんて「面白い」……え?」


 勢いよくまくしたてるアデリア妃の言葉を遮ったのは、ここまで沈黙を保っていたライオネル陛下でした。

 ただ一言で場の空気を変えてしまった彼は、片肘を座椅子の肘掛に置いて頬杖を突き、不敵に笑っています。

 出鼻を挫かれて唖然とするアデリア妃を気にする様子もなく、彼はテオドールに目をやりました。


「テオドール、お前にも友人ができたか」

「はい、父上。カレン嬢には危ないところを助けられました。それから彼女は私の立場に臆せず寄り添ってくれます。……本当に、かけがえのない友人を得ました」

「そうか、そうか」


 ライオネル陛下は満足げに頷くと、手元のスプーンでスープをそっと掬い、鳥のように軽やかに口に運んで飲みました。

 この話はこれで終わり、ということでしょう。

 この場で一番偉いライオネル陛下がそうなさったことで、アデリア妃もそれに倣うほかありません。

 テオドールも私に向かって目を細めるようにして優しく笑いかけると、それに続きました。

 ただラスタ皇子はじっと私を見つめています。


「カレン様」

「はい、なんでしょうか」


 彼は少し悲し気な、小さい声で問いました。


「エクスリア様がかように慈悲ぶかきお方なら、なぜ魔族との最前線で戦ってくださらないのでしょうか。多くの人が、傷ついているというのに」

「それは……」


 それは。

 どう答えればいいのでしょうか。

 私はただ王都に現れる魔族を倒すことで、王都の人を守っていました。

 ですが最前線の人々のことは。私に見えない場所で傷ついていた人のことは。

 

 私が目を向けていなかった現実を、幼い王子に突きつけられている。

 純粋に人々を憂う小さな皇子の言葉に、私は心臓をきゅっと握られたような気持ちになりました。


「ラスタ、それは無茶というものだ」


 言葉に詰まった私の代わりに、テオドールが窘めるように答えます。


「エクスリア様にはエクスリア様なりの事情があるだろう。守らねばならないのは、なにも最前線の人々ばかりではない。聖剣が封じられている国としてフォルト王国も狙われているのだから、エクスリア様がそこを守っているのはむしろ頼もしいというものだ」

「そう、ですね」


 まだ何かが納得いかないという様子のラスタ皇子も、それきり食事に集中し始めました。

 私もそれに続いてスープを口に運びます。

 ですが。

 最上級のものであろう料理の味が、全くわかりませんでした。

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