魔法令嬢、踏み込む!
からからと車輪の回る音が草原に響きます。
森を抜けてから、道以外には人の痕跡の少ない景色が続いていました。
見渡す限りの草原に、爽やかな風が吹き抜ければしゃらしゃらと草たちの擦れあう優しい音が聞こえるのどかな世界。
青い空はどこまでも遠く白い雲は空に浮かぶ綿のようです。
テオドールと談笑しながら時折外を覗けば見える世界。
そんな景色も徐々に日が傾くにつれ、赤らんできました。
「そろそろ野営の準備をしようか」
「そうですね」
沈みゆく太陽を見て、ちょうど拓けた土地を見つけたテオドールが野営を提案しました。
旅をする際には、日が沈む前に野営の準備をしなければ暗闇の中行動することになります。
大都市の街中であれば、そういう魔道具によって夜でも明かりが灯されている所はありますが、こんな人気のない平原にそんなものがあるはずもなく。
明かりのない夜はとても恐ろしいものです。
人攫いや殺人など、犯罪が行われるのは決まって世界が暗闇に包まれる夜です。
どんな街でも、夜道を歩くのは危険なことだと教えられています。
それは街を出ても変わることはなく、夜は狼などの肉食動物や賊が襲い来る時間なのだそうです。
ロージアン帝国は広大な領土を有する大国で、その国力は頭一つ抜けています。
しかし領土の広大さゆえに治安の管理が行き届いていない箇所もあり、賊はどうしても現れるのだとか。
魔族との戦争の最前線を抱えており、住みかを追われ暮らしに困った方が賊に身をやつすというやるせない現実もあります。
夜の闇以上に、そんな理不尽が人々に落とす暗い陰の方が恐ろしいです。
力だけではどうしようもないのですから。
テオドールと護衛の騎士の方々、そしてロビンが野営の準備をするのを私は馬車の中で一人見守っています。
手伝うことを申し出はしたのですが、やんわりと断られてしまいました。
ロビンに至っては馬車の中で大人しくしてくださいとまで言う始末です。
皆さん優しいと言われればそうなのですが、なんだか釈然としません。
『君が手伝うとテントの裏表を間違えたり火加減を間違えて料理を焦がすからじゃないかな』
「そんなことは……」
『大体似たようなことは見てきたよ』
「そうかもしれませんが」
『向こうも君が混ざって作業してたら落ち着かないだろうから甘えときなよ。あの皇太子も重いものは持たせてもらえないみたいだし』
「あれ? 本当ですね」
よく見ればテオドールもテントを支える柱などは持たせてもらえないようです。
皇太子に怪我をさせる可能性はできる限り減らそうということなのでしょうか。
その中でもてきぱきと作業をこなしているあたり、こういう旅には慣れているようですね。
騎士の方々に人懐っこい笑みを浮かべている様子はとても微笑ましいです。
(あれ、でもどうして……)
ふと気にかかったことがあります。
テオドールはアレクシス様の誕生パーティにいらっしゃったと言っていました。
ロージアン帝国とフォルト王国は過去争っていた時期もありましたが、現在では友好国となっています。
友好国のパーティに皇太子が出席するともなれば、普通は使節団を伴う大所帯になるはずです。
文化交流や政治の細かい諸々をすり合わせる必要がありますから。
しかし今テオドールはこうして少数の護衛とともに国へ戻っている最中です。
そして森を抜けた瞬間に襲ってきた手練れの賊。
こちらは道を爆破してあるなど用意も周到でした。
こうしてみると中々厄介な事態が起きているように思います。
(エクス、これって結構大掛かりなことが起きてたりします?)
『じゃないかな。やっぱり気付くの遅くない?』
(エクスはいつから気付いてましたか?)
『もう始めの賊に襲われてた時点』
(流石ですね。でもそれなら教えてくれてもよかったのに)
『教えたら君は状況が掴めてなくても首を突っ込むでしょう? 事と次第によっては旅どころじゃなくなるよ』
(それでも何か困っているのであれば助けますよ。旅はゆっくりとすればいいですから)
『そう言うことじゃないんだけどね……』
善は急げ、旅は道連れというものです。
事情を聞いて、助けられそうなら助けましょう。
夜、小さく爆ぜる焚火の周りで私たちは食事を取っていました。
乾燥させた肉とパンを香草を煮出したスープと共にいただきます。
ロビンは準備の間に護衛の方々とすっかり打ち解けたようで、和気あいあいと語り合っていますね。
私と向かい合うテオドールは反面静かに食事をしています。
立場が上の者が混ざると話しにくいだろうという彼なりの気遣いでしょうか。
「テオドール様は……」
「テオドールで構わない。お互い今は貴族ではなく、旅路を共にする仲間だ」
「ではテオドールと。あなたはお話に混ざられないのですか?」
そう尋ねると、テオドールは何ということはなさげに微笑みました。
「ああ。食事の時くらい堅苦しいのは嫌だろうからな。あれでも周囲への警戒は怠っていないんだ」
「やはりそうなんですね。気遣いがお上手です」
「よしてくれ。個人的に混ざりにくいというのもある」
あらあら。
一瞬だけ寂しそうに目を伏せたのは、本心が垣間見えたと思ってよいのでしょうか。
皇太子である彼には彼なりの悩みがあるのでしょう。
私が知る皇族らしからぬ振る舞いをするテオドールは、果たしてどのような思いを抱えているのか。
少し無遠慮かもしれませんが踏み込んでみましょう。
「テオドールは何か抱えてらっしゃるのですか?」
「何?」
「おそらく非公式の帰国、あまりにも用意周到な賊、何かあると思わずにはいられません」
『何かあると思ったのついさっきだけどね』
(思ったので良いのです)
「こうして旅路を共にしている仲間なのです。少しだけでも、あなたの事情を教えていただけませんか? もしかしたらお力になれるかもしれません」
さて、テオドールは何かをためらうように食事の手を止めました。
焚火の炎を映すその瞳は一体何を思うのか。
願わくば、少しでもいいからその荷物を分けてほしいです。
可愛いも、綺麗も好きですが、人の苦しみは私の心も痛くなります。
エクスリアとして力を振るうのは、苦しむ人を見たくないというのも大きいのです。
「そうだな……」
ぱちりと火が小さく爆ぜて、火の粉が空へ登っていきます。
「あまり詳しくは話せない。帝国の事情に君たちを巻き込むわけにはいかないからな」
「それで構いません。今日会ったばかりの相手ですから」
そう、お互い身元が確かとはいえ今日会ったばかりの相手です。
それなのに一部とはいえ事情を話してくださるのは、テオドールはこちらを信頼してくださっているということなのでしょう。
「エクスリア」
「え?」
急に呼ばれて心臓が飛び跳ねます。
しかし顔を跳ね上げた先、テオドールは未だ炎を見つめたまま。
どうやら正体がばれているということではなさそうです。
「今回の王国への訪問の目的は、エクスリア様へのご助力を願うことにあったんだ」
「それはまた、どうして」
「帝国はその領土の一部を魔族の領地と接している。だから戦争状態にあるのだが……近年魔族の攻勢が激しくなってきているんだ」
淡々と語るテオドールの口調は明るいものではなく、悲しみが滲んでいました。
「それもあって私は最前線へ出征することになった。色々と情けないことだが、このまま行けば最前線は窮地に追いやられるだろう」
「それでエクスリア様の力を求めた、と」
「ああ。彼女は人を助ける優しさに満ち溢れた聖女のような方だと伝え聞いている。事情を話せばご助力をいただけるのでは、と思っていたのだが」
あのような事態になってはな、とテオドールは締めくくりました。
確かにアリア嬢はあの場でエクスリアに変身し、アレクシス様の新しい婚約者となりました。
そのような方を最前線に呼び立てることは難しいでしょう。
「駄目元で頼んでみたが、案の定ダメだったよ。新しい婚約者殿を泣かせてしまう始末だ」
「アリア嬢が泣かれたのですか?」
「ああ。私はもう戦いたくない、とね」
それはまたなんといいますか。
怒りと困惑がないまぜになってしまいます。
別にエクスリアを騙って私を追いやったことは構わないのです。
私には王妃という立場は重すぎますから。
しかし人々を守る責務を放棄するのは納得できません。
人々を守らずして、何のためのエクスリアでしょうか。
『落ち着きなよ。偽物が戦わないのは想像できたことだろう』
(ですが……!)
『逆に都合がいいじゃないか。この先君が再びエクスリアとなった時、どちらが本物か簡単にはっきりする』
(!!)
『君は選ぶことができるのさ。まあ、面倒事がもれなくついてくるから簡単には変身させないけどね』
エクスの言葉に思わずハッとさせられます。
お父様から禁止されているエクスリアへの変身、それは王子にこちらが偽物だと言い張られる可能性があるからです。
しかし偽のエクスリアに戦う意志がないのであれば、戦えるエクスリアが本物だと証明できます。
つまりこの旅の中で私は変身することができる。
であれば。
「帝都までは旅路を共にしよう。しかしそれ以降については悪いことは言わないから、この国を出たほうがいい」
「テオドール、私はその最前線まで一緒に行きます」
そう告げると、テオドールは目を見開きました。
「君は何を言っているのかわかっているのか?」
「わかっていますとも。魔族との戦いの最前線が危険なことくらい」
「旅人の物見遊山では済まない。もしかしたら命を落とすかもしれないんだぞ」
「ええ。しかしそれはあなたも同じなのでしょう?」
エクスリアの協力を無理にでも得なければ厳しいと予想できる前線への出征、賊の襲来。
頭を過る一つの予感。
――テオドールは殺されようとしている。
細かな事情は分かりませんが、彼に向かう悪意が彼を苦しめ、その命すら奪おうとしているようです。
それは決して許せません。
「私たちの力は先ほどの賊との戦いでご覧になった通りです。過不足はないでしょう」
「いや、だがしかし」
「だがもしかしもないのです。旅路を共にする仲間を見殺しにするほど、エクス……私は薄情ではありません」
一瞬正体を言いかけてヒヤッとしましたが、誤魔化せたでしょうか。
テオドールの様子を伺えば、それまで不安そうだった表情が少し柔らかい笑顔になっていました。
「なるほど、カレン嬢はエクスリア様に憧れているのか。確かにエクスリア様なら仲間を見捨てないだろうな」
「そ、そうなんですよ! 私、エクスリア様、大好きです! それとカレンで構いませんよ」
『いやー君がエクスリア大好きだとは知らなかったよ。新しいポーズでも考えとく?』
(うるさいです黙ってください)
月下に炎が瞬きます。
テオドールは肩の力をふうっと抜くように息をしたかと思うと、その右手をこちらに差し出してきました。
「なら、カレン。君の心強い善意に甘えさせてもらおう。よろしく頼む」
先ほどまでの暗さが落ち、炎に照らされた明るい笑顔。
それを見て私は嬉しくなりました。
「ええ、地獄までご一緒しましょうテオドール」
握った手はとても大きく、固い意志を感じさせました。
「願わくば地獄までは行きたくないものだがな」
「それもそうですね」
お互いに顔を見合わせて笑います。
こういうの、戦友みたいな感じがして素敵ですね。
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