閑話:旅立ちのその裏で


 ミスティリア家の屋敷は伯爵だけあって広く、庭にはバラなどの花が植えられた花園がある。

 まだ霧の残る朝、朝露の滴る爽やかな花の香りに包まれてカレンとその従者であるロビンは旅立った。

 カレンの父であり、現ミスティリア伯爵であるジョンは遠ざかっていく馬車を名残惜しく見送っていた。


「存外寂しいものだな。娘の旅立ちというものは」


 娘が望み、必要に迫られてのことではある。

 できることならずっと手元に、それが叶わぬなら手の届くところに置いておきたい愛しい宝だ。

 それが過保護だとわかっていても、つい思ってしまうのは親心か。


「そうね。だからこそちゃんと見送ってあげなくちゃ」


 ジョンの嫁であるレイナは言う。

 馬車は既に遠く、霧の向こうに微かに見える程度だ。

 旅は危険が多い。賊に魔物、軽い病気すら命を脅かす。

 二人旅となればなおさらだ。

 いくら二人とも十分な強さを備えているとはいえ、危険には変わりない。

 それ故に、これが今生の別れになる可能性とて存在するのだ。

 だから皆で見送るのだ。

 

 それでもジョンの心配は尽きない。

 ならばもっと護衛をつけるべきだったか。

 それは違う。

 護衛をつけてしまえば、ミスティリア家としての行動になってしまう。

 それではカレンの望むような自由な旅はできない。

 

 それにカレンの契約しているあの白猫の精霊は特別な御仁だ。

 下手に護衛をつけるよりもよほど頼りになる。

 精霊様も、契約しているカレンを守るために最善を尽くしてくださるだろう。


 何よりカレンに一般の旅人として行動してもらわなければならない理由があった。

 ジョンは昨晩届いた手紙の内容を思い出す。

 

 ――王家として今回のことについて釈明するため、第一王子が明日ミスティリア家に伺う。ついてはカレン嬢にもご同席願いたい――

 

 要約するとそのような手紙だ。

 だが今回の仕打ちを受けたミスティリア家としては王家を簡単には信用できない。


 フォルト王国の王家は現在、第一王子と第二王子の派閥に二分されている。

 聡明で優秀と名高い第一王子エドワードと、傲慢で手段を選ばない第二王子アレクシス。

 前者の方が優勢だが、利権を拡大したい貴族や商人の支持を受けてアレクシスも追いすがっていた。

 何よりも、精霊との仲介者であるミスティリア家が婚約関係を結んでいたことが大きい。

 それが精霊の意向だと吹聴する人間すらいた。

 ジョンはあくまで精霊の意向は王家と婚約を結ぶことであり、それがどちらの王子であるかは関係ないと何度も言っていたのだが。

 ただ婚約者の席が空いていたのが第二王子だけだったから選んだに過ぎない。

 

 カレンがエクスと呼ぶ白猫の精霊はカレンを王家と婚約させる理由をジョンにも明かさなかった。

 彼の存在意義を考えるに、フォルト王国を超えて世界の命運にかかわることなのだろう。

 だから今はまだ明かせないに違いない。

 もっともカレンはエクスをただの猫の精霊だと思っているようだし、理由を明かさないのも悪戯だと思っていそうだが。


 ジョンはうんざりしているのだ。

 精霊たちは世界の行く末を見てカレンの婚約を望んだ。

 王家と貴族はそれを自分たちの利益のために利用し、あまつさえ切り捨てるような真似をした。

 カレン本人があっけらかんとしているからまだいいが、結果論に過ぎない。

 ともすれば、ミスティリア家が王家からの離反する事態を招いてもおかしくないほどのことだ。

 聡明と噂の第一王子が釈明に来るのも何かしらの意図があるのだろうが、まともに謝意を表明するなら国王か第二王子が直接来るのが筋だろうと思わずにはいられない。

 

 ミスティリア家は王家に忠誠を誓っているから貴族であるのではない。

 精霊との仲介者としての責務を果たすために貴族であるのに過ぎないのだ。

 それを忘れた王家の滑稽な勢力争いに、娘と精霊を巻き込ませるつもりなどない。




 日が昇り頂点へ差し掛かる頃、セバスチャンが来客を告げた。

 既に応接間に案内しているとのことで、ジョンもセバスチャンを伴って応接間へ向かう。

 伯爵家としては最低限と言える程度の装飾が施された扉を開ければ、優雅な後ろ姿の青年がすでに椅子に座っている。

 後頭部でひとくくりにしてなお肩に届く金の髪に、純白の正装。

 正面の椅子に回ればその凛々しい顔立ちがよくわかる。


「これはこれは、エドワード殿下にご足労いただき光栄です」


 心にもない言葉を社交的な笑顔と共に表す。

 エドワードの青い瞳が陰りを帯びた。


「いや、このようなことが起きてはこちらから赴くのが道理というもの。気にしないでいただきたい」


 それでカレン嬢は、と問うエドワード。


「カレンはあのようなことがございましたでしょう。すっかり心を痛めてしまって、別荘に向かわせているのですよ。あまり無理を仰いますな」


 そちらの責任なのだから、勝手なことを言うなと言外にジョンは告げる。

 第一王子の意図が何であれ、カレンに関わらせるつもりはない。

 探られても時間を稼ぐために嘘を混ぜたのだ。


 エドワードはそれを聞くと、即座に頭を下げた。

 

「本当に申し訳なく思っている。王家として恥ずべき行いをカレン嬢、そしてミスティリア伯爵に対してしてしまった」


 ジョンの顔色は一つとして変わらない。


「それは王家としての謝罪ですかな。それともエドワード殿下個人として?」

「……私個人としてのものであることを許していただきたい。父上も愚弟も、エクスリア様の輝きに目を眩ませてしまっている」


 それは王家がミスティリア家よりエクスリアを重く見たということに他ならない。

 エクスリアは魔法令嬢を名乗り、ここ数年王国を襲撃してきた魔族から人々を守ってきた正体不明の魔法使いだ。

 騎士でも苦戦する魔族を、可憐な見た目からは想像もつかない強力な魔法で撃退してのける。

 それ故に国内ではどの貴族よりも求心力のある存在だろう。

 平民に至っては王よりも人気で、崇拝するものすらいるのだとか。


 だがエクスリアの正体はカレンであるし、エクスリアが婚約者になったからと言って元の婚約者をあのようにないがしろにしていいはずがない。

 それを黙認する王と第二王子はもうだめだとみていいだろう。

 この第一王子はまだ冷静な感性を持ち合わせていることが救いだろうか。


「一応はその謝罪を受け取りましょう。ただ我々は殿下の派閥に着くわけでも、王家への不信を解消したわけでもありません」

「それで構いません。私はただ責任ある者として、為すべきことを為しているのです。あなた方を王家の事情に巻き込むつもりなどありません」


 ジョンの中でエドワードの評価が上がる。

 この男はミスティリア家のスタンスをしっかり理解しているようだ。

 エドワードが言葉を続ける。


「もともと王家とカレン嬢の婚約自体が精霊の望みだったと聞いている。それをこのような形で壊してしまったことに、精霊は怒ってはいないだろうか」


 彼の心配はもっともだろう。

 精霊に見捨てられるということは万物に見捨てられること。

 精霊の怒りを買って災厄に見舞われた国など、歴史を紐解けばいくらでもある。

 今回に限っては杞憂なのだが、それを伝えてやる道理もない。

 王家が買ったのは精霊の怒りではなく、ミスティリア家の怒りだ。


「どうでしょうな。聞く必要があることでしょうか」

「……そうだな、怒りを買っていないなどと虫の良すぎる考えだな」


 そう勘違いしてもらった方が都合がいい。

 そして精霊を、自然を畏れ敬う心を持ってもらわなくては困る。

 政治の道具にしようなどという馬鹿を出さないためにも。


「一つ、恥を忍んで見識を伺いたいことがある」


 エドワードがかしこまって言った。

 その口調は、尋ねるべきかどうかを悩んでいるような様子だった。

 少しの間を開けて、口を引き結んでから尋ねた。


「あのエクスリア様は本物だと思われるか」


 ジョンは眉をひくりと上げる。

 あのパーティで現れたエクスリアは偽物で間違いない。

 それはジョンの契約精霊であるナイトオウルにも確認したし、カレンにも聞いたことだ。

 精霊は口をそろえて極めて高度な幻覚魔法だと言う。

 アリアを名乗るあの新しい婚約者について調べると、貧しい男爵家の生まれであることが分かった。

 学園でアレクシスと交友関係を持つに至ったことも判明している。

 貴族の学園で男爵令嬢と第二王子が仲良くなる。珍しいがそこまで不自然ではないだろう。

 

 しかしあの場には魔法師団団長もいた。

 大陸ではともかく、この国で一番魔法に精通している人間でさえ気づかないほどの魔法を男爵令嬢が扱う?

 魔法師団団長が第二王子の派閥にいて黙認している可能性もあるが、それにしてもあの場にいる貴族全員を欺くほどの高度な幻覚魔法とは。

 何か裏で糸を引いている人物がいると考える方が自然だろう。


 であればこの王子が何を考えているかでこちらの動きを決めるべきか。


「何故そう思うのですか」

「いくつか理由はある。まずエクスリア様はこれまで正体を誰にも見せてこなかった。それが今急に正体を現したのは何故だ? 仮に本物であったとすればもっと早く明らかにしていればよかったはずだ。叙勲だって望みのままだったろう」


 ジョンは頷く。

 権力が目当てならもっと早く正体を王家に明らかにしていれば良いのだ。

 それをカレンは嫌ったから、エクスリアの正体はミスティリア家しか知らない。


「となれば愚弟に弱みを握られたのか、偽物であるかという線が浮かぶ。現時点でこれらを決定づけるものはないが……」


 ふと、エドワードは窓を通して空を見上げる。

 線の細い顔が差し込む光に照らされた。


「あの時現れたエクスリア様の輝きは何か違うと、直感した。私が見たエクスリア様は太陽のようなもっと明るいお方だ。しかしあの会場でのエクスリア様は、まるで芸術品のようだった」

「ふむ、そういうことですか」


 ジョンは少しエドワードの後押しをしてやることにした。

 この王子が王家を継いだ方が都合がいいという打算もある。

 しかし自分の娘を、エクスリアを心から尊敬するような目で語り、直感で真贋を見分けられては心の紐も緩むというもの。

 結局は親心だった。


「では一つ助言を差し上げましょう。会場で現れたエクスリアは偽物だと、精霊は皆言っております」

「なんだと、ではやはり!?」

 

 エドワードが勢いよく立ち上がる。

 しかしジョンは気にせずに言葉を紡ぐ。


「あの場で用いられたのは高度な幻覚魔法。それ故にエクスリア様が姿を見せることはしばらくの間ないでしょう」

「なるほど……。しかしなぜエクスリア様がお隠れになるのですか?」

「逆にお尋ねしましょう。どうしてこの状況で現れられましょうか。自身が偽物だと王家から糾弾されかねないというのに」


 はっとエドワードは息を詰まらせる。

 本当はカレンが旅に出ているからだが明かす必要はない。


「証拠の捜査に我々が関わるつもりはございません。しかし魔族への対応には協力しましょう。あれは看過できない」

「了解した。私の方で裏を洗っておこう。そして魔族への対応にミスティリア家が出てくるということはやはり……」

「ええ。魔族の狙いは王城の奥に安置されている聖剣エクスカリバーでしょう」


 ジョンはそう言ったものの、恐らくもうエクスカリバーについて考える必要はないと感じている。

 それはの白猫の精霊――聖剣エクスカリバーの精霊が目的を達して、カレンの旅に同行したからだ。

 既にエクスカリバーは王城にはないだろう。

 ならなぜ魔族への対応を申し出たか。

 なんということはない、娘が守ったものを自分たちが守ってやらねば安心して旅もできぬだろうというただそれだけの事である。

 要するに、親心である。

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