魔法令嬢、旅立つ!


「お嬢様。旅の準備はできましたよ」

「ありがとう、ロビン。でも本当に手伝わなくてもよかったの?」

「お嬢様が手伝うと大体手間が増えるのでむしろじっとしてもらってる方が助かります」

「そんなあ」


 木々の葉から朝露が滴る朝。少し肌寒い空気に身を震わせながら、旅の支度をする執事を見守ります。

 オールバックに整えられた茶色の髪に、線の細い顔。

 しかし体格は意外としっかりとしていて、腰に佩いた剣を難なく振り回せることでしょう。

 ロビン。私の乳兄妹であり、専属執事です。


 セバスチャンの息子であるロビンは私とほぼ同時期に産まれ、双子の兄妹のように育ってきました。

 大体私とエクスが起こしたトラブルに泣きながら巻き込まれていたような気がしますが……。

 しかし私の執事となるべく武芸や執事としての技術を叩きこまれてきたロビンは、今回旅をするにあたって父より同行人に選ばれました。

 旅をするならば不自然でないくらいの人数で、しかし気心の知れた者と共にという配慮なのでしょう。

 昔は私に振り回されていた彼も今や頼りになるパートナーということです。

 実際私一人では料理や洗濯など雑事ができようはずもありませんから、ロビンが同行してくれるのは非常に助かります。


 貴族としての豪華なものではなく、商人が使うような質素な幌馬車ほろばしゃに手際よく荷物を積み込んでいくロビン。

 燕尾服ではなくシンプルなシャツとズボンに身を包んだ彼に、幼いころの可愛らしい面影は見当たりません。

 シャツの奥には無駄のそぎ落とされた肉体、大きな手、そしてセバスチャン直伝の執事の能力。

 ふむ、こうしてみるとかなり頼りになる男に見えてきました。

 ロビンの色恋沙汰は耳にしたことがありませんが、陰で恋している女の子がいてもおかしくなさそうです。

 

「ロビンには好きな子はいないのですか?」

「いつもの事ですけど急にどうしたんですか? いませんよ。お嬢様の世話をするので精いっぱいだ」


 めんどくさそうに答えながらも旅の準備をする手によどみはありません。

 確かに私はロビンにいなくなられるといろいろと困ってしまうのは確かです。

 だからといって私に縛られて良縁を逃してしまうようなことがあれば申し訳ないというものです。

 

「安心してください、ロビン」

「何をですか?」

「あなたの幸せな未来のために私も全力を尽くしますから」

「意味わかんないこと言ってないで早く乗ってくださいよ。ほら」


 そう言ってロビンは馬車の上から私に手を伸ばします。

 私がその手を掴むと、こちらの動きに合わせて馬車に乗りやすいよう導いてくれます。

 紳士というのはこういうものなのですね。

 そういえば、王子にこういうことはされませんでした。

 彼はアリア嬢になら、このような振る舞いをするのでしょうか。

 可愛いアリア嬢と見た目だけは整ったアレクシス様、絵にはなるのですがなんかこうしっくりときません。

 彼の傲慢な一面がそう思わせるのでしょうか。


 幌の中には積まれた荷物と乗客用の座席があり、そこにはクッションが敷かれていました。

 長旅になるでしょうからこれは大変ありがたいですね。

 貴族用の馬車であれば衝撃を和らげる魔法が施されているものですが、この質素な馬車にはそのようなものはないでしょう。

 かといって高価な馬車を使うわけにはいきません。

 これから私たちは貴族ではなく、ごく普通の旅人として旅に出るのですから。


 貴族と従者の二人旅とわかる装いでは、襲ってくれと言わんばかりです。

 ですからロビンは質素な服装ですし、私も髪を後ろで一つにくくって村の娘が着るようなワンピースを着ています。

 メイドの子たちのお下がりですが、どれが似合うかと小一時間ほど着せ替え人形にされた甲斐あってか今の私はどう見てもそこらの娘です。

 クッションの上に座ると、膝の上でエクスがごろんと丸まります。


「カレン、気を付けてね」

「怪我には気を付けるんだよ」

「存分に楽しんできなさい」


 お母様、お兄様、お父様に従者の方たちが朝早くにも関わらず見送りに来てくれています。


「はい! 怪我に気を付けながら、いっぱい可愛いものを見つけてきますね」

 

 笑顔で手を振れば、笑顔が返ってきます。

 しばらく会えないことは間違いないでしょう。

 しかし会えずとも寂しくはないのです。

 いずれは戻ってくるでしょうし、皆を信じていますから。

 御者台からこちらの様子を伺っていたロビンに視線で促せば、彼は馬を走らせ始めます。

 ぱかぱかとゆったりとしたペースで進む馬車。

 少し上ったばかりのお日様に見守られながら、私たちの旅は始まりました。




 初めて乗る幌馬車の後ろから見る景色は少しだけ窮屈ですが、悪いものではありませんでした。

 吹き抜けるような青空の下、遠くまで続くまだ緑色の麦畑がゆったりと流れていきます。

 ミスティリア家は精霊の力を借りて土地を豊かにしてきたこともあり、農作地帯としても知られています。

 冷害が起きることはありますが、それでも貴族領の中では豊かで暮らしやすい土地なのだとか。

 お父様曰く、自分たちである程度完結できなければ他者に弱みを握られ、使命に影響が出てしまうそうです。

 そういった貴族社会の事情はなんとなくわかります。

 しかしそれより私にとって重要なのは、魔族がおらず平和なこの景色です。

 美しく、多くの人が苦しまないこの景色を私は愛おしく思います。


 お日様が頂上に差し掛かる頃、馬車は畑を抜けて森へと差し掛かりました。


敵意/走査サーチ


 馬車の周囲およそ百メートルに敵意を持った生物を感知する魔法を張り巡らせます。

 エクスの力を借りたものではなく、人間の間で普及している魔法。

 精霊術ほどの力はありませんが、汎用性の高いものが多いです。

 難点としては、魔法を使えるほど魔力を持っている人がそう多くはないこと。

 魔力量は両親や家系の影響を受けやすいので、魔法を使える人の多くは貴族で占められています。

 貴族そのもののルーツが、まだ体系化される前の魔法使いか武芸に長けた騎士の二つにあるというのも原因にあるのですが。

 幸いにして私の魔力量は家族の中でも一番多いらしく、魔力に困ることはあまりありません。

 

 森というのは、意外と危険に溢れた場所です。

 狼のような普通の獣に、魔力の影響を受けて変異した生物である魔物が現れます。

 どれも普通の村人の手には負えない存在です。

 獣狩りを生業なりわいとする狩人であっても、魔物に対しては力不足。

 では魔物にどう対処するかといえば、貴族付きの騎士や依頼を受けた冒険者が討伐するのが一般的です。

 騎士はそう多くないのでほとんどが冒険者の手によって討伐されることになりますが、それでも魔物は現れます。

 魔物はいわば自然の一部のようなものなのです。

 いくら倒しても限りはありません。


 そんな森を貫くように整備された道を進みます。

 道には人の手が入っているとはいえ、危険はやはりあります。

 賊に、迷い込んできてしまった魔物、人の匂いを嗅ぎつけた獣。

 それらを警戒するために魔法を使いました。

 そのはずなのですが……。


「お嬢様、警戒用の魔法はかけていらっしゃいますよね?」

 

 御者台からロビンが重い声で尋ねてきます。

 同時に馬車は足を止めました。


「はい。今のところ何も反応していませんが」

「魔物です」

「え?」


 思わず立ち上がり、ロビンの肩越しに馬車の前方を見ます。

 馬車の前方、少し離れたところにふるふると震えているまん丸の物体――スライムがいました。


「可愛いです!」

「あれでも魔物なんですけどね。一体なんでやら」

 

 スライムはぽよんぽよんとはねながらこちらに近づいてきます。

 あのぽよぽよの体をぎゅっと抱きしめたらどれほど心地よいことでしょう。

 地面に触れるたび偏平に広がる体はきっととてもむにゅむにゅとしているに違いありません。

 とはいえ魔物です。

 基本的に魔物は他の生物に対して過敏に反応するため、スライムであれこの魔法に検知されるはずなのですが……。


 やがてスライムは馬が怯えないくらいの距離まで近づくと、止まりました。

 心なしかその意識は私に向けられている気がします。

 敵意、というよりは期待?

 ロビンは腰の剣に手を掛けながら、もう片手で手綱を握りどのようにも動けるようにしています。

 私を片目で見ているのは、どう対応するかを委ねているのでしょう。

 さて、どうしましょうか。

 そんなことを考えていると、スライムはぐにぐにと変形し始めます。

 それは何かを伝えようとする拙い踊りのようでした。

 赤ん坊が身振り手振りで親に感情を伝えようとしているようで、とても微笑ましいです。


『大丈夫だと思うよ。行ってみてごらん』


 エクスはあくびをしながらそう言います。

 私はそれを信じて馬車を降り、スライムへ近寄ることにしました。

 近寄ってくる私を見た途端スライムはビクン! と伸びあがり、ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねます。

 どうなるのか、ドキドキしながらそっと手を差し伸べます。

 スライムは私の手にゆっくりと近付き、そして。

 むにむにと頬ずりをしました。

 私の手が冷やりとした柔らかい感触に包まれます。

 痛みはなく、むしろ心地いいくらいです。

 可愛いです。あまりにも可愛いです!

 こんなに庇護欲がくすぐられては、心がきゅんとときめいてしまいます。

 衝動のままにがばっとスライムを抱きしめます。

 スライムは私の腕の中でくすぐったそうにふるふると震えました。


「決めました。この子も連れていきます!」

「いや、ええ……なんかもう、いっかあ」


 何かを諦めたようにロビンが脱力していますが、いつものことなので気にはなりませんでした。


 

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