第5話 第四章 それでも人生に遭難した時

 第四章 それでも人生に遭難した時


 翌日、ついにこの日が来た。

 俺は屋上の扉の前に立っている。時刻は昼休憩。扉の曇りガラスが日差しを受けて明るい。電灯のついていないここでは目の前の扉は希望に繋がる光のようだ。

 そんな俺の横には、扉を開ける鍵とも言えるミルフィアが立っていた。

「あの、主。ご用件はなんでしょうか」

 俺の意図を測りかねているミルフィアは小首をかしげ、少々戸惑った表情をしている。今日という日を考えれば察しはつきそうだが、ミルフィアは自分のことは本気で勘定(かんじょう)には入れてないんだな。

「まあいいから。付いて来いって」

 ミルフィアの質問には答えず扉を開く。隙間から光が差し込み、全開すれば光が俺たちを呑み込んだ。

 そして、その先へ。

 俺はミルフィアをつれ、光に満ちた屋上へと出た。青空から降り注ぐ日光の下。白い地面の屋上の中央へと進んでいく。

 そこにはブルーシートが敷かれ、約束していた三人の女の子が座っていた。

「悪い、待たせたな」

 右には赤い髪を靡(なび)かせ足を折り畳んでいる加豪。奥の中央にはちょこんと緊張した様子で恵瑠が座り、左には苦しくないのか、涼しい顔で天和が正座していた。ここには俺たちしかいない。

 そして今回の主賓(しゅひん)に視線が集まった。

「昨日ぶりねミルフィア、今日は誕生日おめでとう」

 加豪は気さくに、友達のように話しかける。

「そ、その、誕生日おめでとうございますミルフィアさん! ボクは、栗見恵瑠って言います! 恵瑠って呼んでください!」

 恵瑠はガチガチに体を固まらせ、精一杯の気持ちで見つめている。

「誕生日おめでとう。天和。よろしく」

 恵瑠とは対照的に、天和は簡素(かんそ)にそれだけを口にした。

 ミルフィアが見つめる先には、三人、同年代の女の子が座り、三者三様に歓迎していた。

「あの、主? これはいったい……?」

 状況が理解出来ていないミルフィアが俺を覗き込む。そんな彼女を、俺は笑顔で迎えてやった。

「なあミルフィア、今日が何の日か分かってるか?」

「はい。私と、主が出会った日です」

「そしてお前の誕生日だ」

 ミルフィアを見つめる。ショートカットの金髪はさらさらとしており、青い瞳は俺だけを見つめている。白い服を着た自称奴隷の少女は、今も俺のために行動してくれる。

 だけど今日は違う。特別な日を、もっと特別な日に変えるために。俺はなんとしてでも成功させないといけないことがある。ここまできて失敗なんて許されない。

「なあ、ミルフィア」

「はい。なんでしょうか主」

 目の前にいるミルフィアは微笑んでいる。俺に声を掛けられただけで。

「今日はお前の誕生日だ、だから決めたことがある」

 ミルフィアは優しい。けれど彼女には友達がいない。本当ならたくさんいてもおかしくないのに。

「お前の誕生会を開く。だからお前も参加してくれ」

「私の誕生会ですか?」

 ミルフィアにしては珍しい顔だった。目を少々見開いて、俺を呆然とした表情で見つめている。けれど、すぐに陰が入った。

「ですが、私は」

「いいから。な?」

 ミルフィアは奴隷という立場を崩さない。奴隷という関係がミルフィアに後ろめたさを与えている。

 それは分かる。けれど、それでも、ミルフィアの忠誠を踏み躙ってでも、俺は誕生会を開くと決めていた。断固とした意思が、瞳の奥で燃えた。

 だって。

 嫌なんだ。

 もう、お前が傷つくことが。

 必ずや通してみせる。俺は目線に力を入れて、無言でミルフィアに訴える。

 会話が止まる。

 俺たちはしばらく見つめ合うが、ミルフィアの口が動いた。

「……分かりました。主がそれを望むなら」

「マジか!?」

「マジです」

 困ったように笑い、ミルフィアは頷いた。

 ミルフィアが折れた。奴隷を信条として譲らないミルフィアが、どこか吹っ切れた笑みを浮かべ瞳を閉じる。

 ふう、まったく。安心して表情から力が抜けていく。けれどすぐに期待が膨らんだ。これで誕生会が出来る。それにミルフィアに友達が出来るかもしれないんだ。

「それじゃ、始めるか」

「はい」

 俺は靴を脱いでシートに座る。その後でミルフィアも靴を脱ぎ、俺の靴を揃えてから正座で座り込んだ。

 俺の右隣に加豪がおり、正面には恵瑠がいる。その横に天和が座り、俺の左にはミルフィアが座っている。

 用意してあった紙コップにジュースが注がれ皆に手渡された。それを受け取り、ここにいる面々を一人ずつ確認する。これまでのことを思い出し、元気よく切り出した。

「みんな、彼女が言っていたミルフィアだ。知っている人はいるかもしれないが話したことはほとんどないだろう。そんな彼女のために集まってくれてありがとう。本当に感謝している」

 本来、こんな顔見知り程度での誕生会なんてないに違いない。俺もだいぶ無理を言った。それでも集まってくれたみんなに、本当にありがとうと思う。

 加豪、恵瑠、天和。ここには約束してくれた三人がちゃんといる。みんなで一つになっているんだ。

 そこでふと思った。ここにはそれぞれの信仰者が輪を作り、そこに俺までもいるんだ。不自然だ、信仰者に混じって、無信仰者の俺までも一つになっているなんて。

 こんなこと、今までの人生であっただろうか。

 ミルフィアのために参加しているとはいえ、俺が同じ席にいる。ミルフィアがいない時は、ずっと一人で嫌われてきたこの俺が。

 そんな俺が、誰かと一緒にいる。まるで普通の人のように。孤独だった無信仰者という人生で、まるで――

 俺にも、友達ができたみたいだ。

 ずっと、ずっと、ずっと、このまま皆から嫌われて生きていくのかと思ってた。なのに、今、誰かと一緒に過ごしているんだ。

 黄金律に従ってミルフィアのために動いていたら、いつの間にか、俺にも友達のような仲間ができていたんだ。

 あれ、なんだろうな、これ? 胸から、何かが込み上げる。

「…………」

 視界に映る三人。誰かと一緒にいるという現実に、俺は胸が熱くなった。

「? ちょっと神愛! あんたなに泣いてんの?」

「え?」

「主? 大丈夫ですか?」

「いや、泣いてねえよ!」

 加豪から言われ慌てて目を擦る。ミルフィアも心配してくるが追い払った。

「神愛君どうしたんですか? 理由もなく死にたくなったんですか? 大丈夫です! ボクも時々ありますから!」

「ちげえよ。そしてお前は病院行ってこい」

「宮司君、私のことをうさぎさんだと思って抱き付いていいわよ」

「いやだわ」

 俺はなんとか気持ちを落ち着ける。こいつらのギャグなのか本気なのかよく分からないやり取りに助かった。心配は増えたが。

「それじゃあミルフィア、お前からなにかあるか?」

「それでは」

 俺は左隣にいるミルフィアに話を振ってやる。それでミルフィアは背筋を伸ばし、顔を皆に向けた。

「はじめまして、ミルフィアといいます。この度は私のために素晴らしい場を設けていただき嬉しく思います。こうして皆さまとご一緒出来ることは光栄です。ありがとうございます」

 そう言ってミルフィアはゆっくりと頭を下げた。

「…………」

 どう反応したものか困る。

「ま、まあこういう奴なんだ。分かり易いだろ? それじゃあ早速次にいこうか。こういうのってあれだろ? 初めにやっとくんだよな。えっと、そうだよな?」

 俺はコップを持つがなにぶん初めてのことで自信がない。いや、たぶん合ってるとは思うんだけど。

 かっこが付かないが、けれど返ってきたのはそれぞれに個性のある、温かな声援だった。

「はい、主。間違っていないと思います」

「そうよ。てか準備出来てるんだから自信持ちなさいよね」

「神愛君、ガンバです」

「宮司君……、早くして」

「あー、もう! 分かってるよ! それでは」

 いろいろ思うところはあるが、コップを持った手を上げた。それに倣い、全員がコップを掲げる。そして、皆で当て合った。

「ミルフィア、誕生日おめでとう!」

 乾杯。

 明るい一声が青空の下に広がると共に、ジュースを皆で飲んでいく。その間俺は感じていた。こうしてミルフィアの誕生会を開けたこと、そこに俺がいること。これがどれだけ素晴らしいことか。

 傍から見ればちっぽけな集まりだろうさ。でも、これでいい。ワイングラスが響き合う高級さもなければ洒落た音楽もつまみもない。けれど十分。十分なんだ。

 こうして誰かといるってだけで、ずっと一人だった俺には幸せだって、そう思えるから。

 俺はジュースを全て喉に通し、充実した気持ちを胸にコップを口から離した。ああ、最高だ!

 だが。

 そう思った瞬間だった。

 気づいた時、希望溢れる記念日は圧倒的絶望に変わっていた!

「…………え?」

 あれ、なんだろう。誕生会ってあれだろ? 会話が弾み明るい笑い声。そんな感じだろ? 

 しかし皆は黙ったまま。無言。無口。沈黙。この場を覆う、圧倒的沈黙!

 しまった! 何を話すのか考えてねえ! 中身空っぽじゃねえか! 

 加豪や恵瑠がきょろきょろしているが、ほぼ初対面で話題がない。結局ジュースをちびちび口につけて誤魔化しているだけの超虚しい空気になっている。

 やばい! 考えるんだ俺。すぐに、なんでもいいからすぐに話を出すんだ!

「そ、それでぇ……」

 するとミルフィアを除いた三人がバッと見つめてきた。

 こっち見んな! くそ、どうする。とっさに話題なんて出せねえぞ?

 それで俺は躊躇いながらも、一人に顔を向けてみた。

「その…………、恵瑠、お前から話はないのか?」

「ボクぅうう!?」

 突然の無茶ブリに、恵瑠は顔に指を差して驚いていた。

「ボクですか!?」

「いや、ほらさ、恵瑠さんってあれでしょ? 慈愛連立でしょ? こうした場を和ませる話の一つや二つあるのかなあ~って。なくてもなんとかしてくれるかなあ~って。いや、きっとしてくれるよ、だって慈愛連立だもんなあ~て、うん」

「神愛、あんた……」

 うるせえ加豪。そんな目で俺を見るな。

「あの、えっとぉ~……」

 恵瑠がテンパっている。キョロキョロと視線を動かし変な汗が大量に吹き出していた。

 これはまずいな。

 それが分かったのか加豪が俺に振り向いた。

「ねえ神愛、聞きたいことがあるんだけど」

「なんだよ」

 ナイス話の切り替え。それで恵瑠がふーと息を吐いている。

 それはそれで良かったのだが、次の質問がまずかった。

「あんたとミルフィアってどういう関係なの?」

「ああ、俺とミルフィアか。俺とミルフィアは…………あ」

 しまった! こいつとの関係を説明してなかった!

「いや、その~」

「どうしたのよ? 早く教えなさいよ」

 加豪が急かしてくる。それで他の二人も俺を見てきた。

「いや、なんでもないって。ただの幼馴染っていうか」

「いえ、違います主」

 ミルフィアてめえ!

「え、ミルフィアどういうこと?」

「私は主の――」

「止めろぉおおおお!」

「奴隷です」

 瞬間、世界が静止した。

「「ええええええ!」」

 加豪と恵瑠が大声で驚く。天和だけが「ふふ」と小さく笑っていた。

「え、ミルフィアそれ本気で言ってるの?」

「はい。私は生まれた時から主の奴隷です」

「ちげえよ!」

「サイテー、神愛、私帰るわ」

「ちょっと待ってくれ!」

 立ち上がろうとする加豪をなんとか留(とど)めるが、まるで汚物を見るような目で見られた!

「違うんだ、まずはみんな俺の話を聞いてくれ!」

「懺悔(ざんげ)ですか?」

「ちげええ! 黙ってろ恵瑠!」

 とりあえずみんなを座らせ俺だけが立ち上がる。

「いいから待て! 違う、ミルフィアはこう言ってるが俺にそんな気なんてない。本当は友達になりたいって思ってるくらいだ。だけどこいつは奴隷奴隷うるさくて友達になってくれないし友達もいない。だから友達を作って欲しいって、こうして誕生会を開いたんだよ」

「で、本当は?」

「黙れ天和!」

「神愛、本当でしょうね?」

「本当だ。頼む、信じてくれ……。俺をこれ以上みじめな気持ちにしないでくれ……」

 俺はゆっくりと座り込む。はあ、なんてこったい。

「大丈夫ですよ神愛君!」

 その時だった。恵瑠が明るい声で、俺を励ましてくれたのだ。

 お、お前ってやつは。ありがとうな恵瑠。

「ボクもイヤス様に作られた奴隷みたいな存在ですけど、生まれてきて良かったって思ってますもん!」

「…………」

 なに言ってんだこいつ。

「みんな、こいつは透明人間だから気にしないでくれ」

「やったー! ボク透明人間だ!」

 ちげえよ。

 心の中でツッコむが恵瑠は元気よく立ち上がった。

「よーし、それじゃいたずらしちゃおうかな~。まずは加豪さんにしよーと! くっくっくっ、きっと加豪さん驚くぞ~」

 ニコニコ笑いながら恵瑠が加豪の背後に歩いていく。

 しかし、加豪が振り返った。

「恵瑠、あんた見えてるわよ?」

「え……」

 恵瑠の笑顔が退いていき、二人はそのまま見つめ合った。

 そして恵瑠は俯き、自分の席に座ると体育座りで顔を埋めた。

「そ、それで話を戻すんだけどさ」

 切り返しと加豪が再び聞いてくる。ただし、今度の質問は俺ではなくミルフィアだった。

「どうしてミルフィアは神愛の奴隷なの? すごく気になるんだけど」

「あー……、聞いても無駄だと思うぞ?」

「どういう意味よ?」

「すぐに分かるさ」

 疑問に思うのはよく分かる。しかし無理だ、俺がどれだけ試したと思ってる。

 当然、ミルフィアの答えはいつもと同じだった。

「宮司神愛が王であり、私がその奴隷だからです」

「……えっとー」

「な?」

 こんなの会話じゃない。理解出来たらテレパシーだ。

「どうして奴隷にこだわるの? 神愛は望んでないようだし、別の関係でもいいんじゃない?」

「それが私の役目であり、同時に、私が決めたことなのです」

 ミルフィアの声は落ち着いている。冗談で言っているようには聞こえない。加豪は眉頭を近づけ難しい顔をしていたが、俺は両手を上げて見せてやった。

「まあ、二人の関係はいいや。じゃあミルフィアのこと教えてよ。好きな食べ物とか、歌とか」

「私の好きなもの、ですか?」

 ミルフィアに投げ掛けられた質問に俺の方が驚いた。今更気づいた。そういえば俺、ミルフィアのそういうのを聞いたことがなかった。

「そうよ、なにがある?」

 会話らしい会話に加豪の声も柔らかい。ミルフィアは思案(しあん)する仕草を見せた後、すぐに口を開いた。

「好きな食べ物というのは特にありません。ですが好きな歌でしたら、一つあります」

 マジか? 意外だった。ミルフィアとそうしたものってなかなか結び付きがなくて。てか俺知らないんだけど? ずっと一緒にいたのに。くそ、不甲斐ないッ!

「ねえ、どんな歌よ? 曲名は?」

「申し訳ありません、名前はないのです」

「名前がない? うーん、どんな歌なんだろう」

「よければ歌いましょうか?」

 マジで!?

「ちょっと待て、ミルフィア、いいのか?」

「はい。主が反対するのでしたら止めますが」

「いや、そんなんじゃない。お前がいいならいいんだが」

 マジか。ミルフィア歌うの? てか歌えたの!? そして聴けるの!?

 自然と皆の視線がミルフィアに集まる。ミルフィアは瞳を静かに閉じると、頭上に広がる青空に向けて、彼女が好きという曲を歌い出した。

「おお、古き王よ。我らが主は舞い降りた。古の約束を果たすため」

 それは歌というよりも詩のようだった。けれどミルフィアの美声に載って紡がれる言葉は耳に心地よく、青空に溶けていく。

「我らは仰ぎ天を指す。己が全て、委ね救済を願おう

 天が輝き地が歌う。黄金の時は来たれり

 おお、我が主。あなたがそれを望むなら」

 ミルフィアの澄んだ歌声には意識を惹きつける魅力があって、つい入り込んでいた。

「なあミルフィア、今のは?」

 隣ではミルフィアが顔を上げたまま目を瞑っている。まぶたをゆっくりと開き、柔和(にゅうわ)な眼差しが向けられる。

「はるか昔に結んだ、約束の歌です」

「約束?」

 浮かぶ疑問に、ミルフィアは微笑んだ。

「はい。いつの日か古の王が帰還して、新たな世界をつくる歌です」

 そういうとミルフィアは再び目を閉じ、片手を胸に当てていた。

「この歌を歌うと思い出します。主の傍にこうしていること。その意義と喜びを。一緒にいる、それだけでどれだけ素敵なことか」

 微笑の中、ミルフィアの瞳は閉じている。そっと開いた双眸(そうぼう)からは、安心に似た幸福が宿っていた。

「主。私は主の奴隷ですが、それでも幸せです。あなたの傍にいられるという喜び。それが主には、失礼ですが分からないでしょう。ですがそれでもいいのです。ただ、私の気持ちは変わりません」

 片手を胸に当てるのは忠誠の証。ミルフィアの言葉にどれだけの思いが詰まっているのか、彼女の言う通り、俺には分からない。だけど。

「こうしてあなたと共にいられること。私は、それがとても嬉しいんです」

 彼女が本当にそう言っていることは、俺にも分かった。

「お、おお。うん。まあ、お前が幸せでなによりだよ」

「はい」

 しかしそんなことを真顔で、しかも他の人がいる中で言われると困ると言うか、照れる。俺は視線を逸らし、そんな様子を加豪が「フフ」と笑っていた。

 まったく。でも嬉しいから、まあいいか。

 それで俺は視線を中央に戻すが、そこで恵瑠が顔を埋めているのに気付いた。こいつ、まだ落ち込んでたのか。

「おい恵瑠、不貞腐(ふてくされ)れてないでそろそろ起きろ。悪かったよ透明人間とか言って」

 俺は身を乗り出し恵瑠の体を揺らそうとする。手を伸ばすが、そこで信じられないものが聞こえてきた。

「ぐぅー……」

「寝てんのか!」

 思わずツッコむ。いつからだ、まさか顔をうずめてすぐ寝てたのか。

「あれ、ボク……。あ! 早く一等の宝くじ交換しないと!」

「安心しろ、それは夢だ」

「ボクが悪の怪獣を倒すのも?」

「それも夢だ」

「実はボクたちがライトノベルのキャラクターだというのも?」

「すべて夢だ」

「嘘だぁあああああ!」

 恵瑠の悲鳴が屋上に響く。なんともこいつらしい反応に自然と笑みが零れる。

「ふふ」

 その時だった。ふと隣を見れば、ミルフィアが笑ったのだ。

「ミルフィア、お前」

「なんでしょうか、主?」

 俺が名前を呼んだことでミルフィアは表情を整えて振り返る。そこにはさっきまでの笑みはなかったが、明るい表情にちゃんと余韻(よいん)が残っていた。

「……いや、なんでもない」

 そう言って俺は内心微笑んでいた。

 やって良かった。まるで黄金に輝く昼下がり。太陽と青空。そして目の前にいる三人。

 そして、隣にいるミルフィア。彼女の笑顔がもっと増えるようにと、俺はみんなの輪の中で思っていた。

 翌日。ミルフィアの誕生会はなんとか成功した。内容はめちゃくちゃだったがミルフィアが笑ってくれた。これだけで成功といってもいいだろう。

 今日も天気はいい。俺は重たい瞼を擦りつつ通学路を歩いている。そうして向かいに桜が並ぶ正門が見えてきた。

「ん?」

 が、そこに見慣れた二人の女の子を見つけたのだ。

「あ、神愛君だ! おはようございます!」

「宮司君、おはよう」

「おお、おはよう。どうしたんだよお前ら、正門の前で立って」

 そこにいたのは恵瑠と天和だった。まるで誰かを待っているように立っている。

「どうせなら一緒に登校しようかと思って待ってたんですよ」

「その通り」

「へえー、誰と?」

「神愛君とですよ!」

「へえー、かみあってやつか。神愛、え、俺!?」

 ビックリするが恵瑠は俺に向かって指をさしている。そうだったのか。しかし何故?

「だって、せっかく仲良くなれたんですから。もしかして迷惑だったですか?」

 恵瑠は笑って理由を教えてくれたが、俺が驚いていることに表情を不安そうにしてしまった。

 しかしそんなことはない。驚いたのは嫌だとかそんな理由じゃなくて、ただ、こんなこと初めてだったから。

「いや、そんなことねえって! 迷惑なんかじゃねえよ! よし、一緒に行くか」

「はい!」

「私も」

 そうして俺たちは並んで正門をくぐった。誕生会を開いたのはミルフィアのためだったが、それをきっかけにこんなことになるなんてな。世界中の嫌われ者の俺でも仲良くなれたんだ。ミルフィアだって大丈夫に違いない。きっと俺よりも多くの友達ができるさ。

「なあ、ちなみに加豪は?」

 ここにいるのは恵瑠と天和だけで、昨日同席した加豪の姿はいなかった。

「あ、実は誘おうと思ったんですけれど姿が見えなかったんですよね」

「そうか」

 少しだけ残念に思う。昨日は加豪とも話したのだし、せっかくならあいつも一緒なら良かったのに。まあ、あいつは元々俺を敵視してたからな。まだ一緒に歩くほどまで仲良くはないのかもしれない。

「そういえば神愛君、今日宿題の提出あるけど大丈夫ですか?」

「おう、一応やってあるよ」

「神愛君、けっこうしっかり者ですね」

「……意外」

「お前らなあ」

 こんな嫌味なセリフも平気で言ってくるんだ、仲良いいんだろうな俺たち。うん、イラっとくるけどそういうことにしておこう。

 そんなこんなで目的地の校舎に到着する。登校時間ということもあり俺たち以外にも人は多かった。自然と周りの目が俺に集まる。しかし、不穏な視線を向けられてもそこまで気にならなかった。

 なんだろうか。今はそんな雑多(ざった)な目より、もっと近くで俺のことを見てくれる二人の方が大切だった。二人いるだけで居心地がいいと、そう思ってしまう。

 変わったよな、俺。こんな穏やかな気持ちで登校するなんてことなかったのに。

 そんな風に思いながら、俺たちが校舎の横を歩いていた時だった。

「主、危ない!」

「ぬわあ!」

 急に現れたミルフィアに押し倒されたのだ。

「いってー……」

 なんだよいきなり。レンガ道にぶつけた背中が痛い。が、それよりも状況が分からない。周りの生徒たちから驚きの声が聞こえ、見上げれば、乗っかっているミルフィアが心配そうに俺を見ていた。

「大丈夫ですか、主!?」

「いってぇな、お前が押し倒したんだろうが」

「すみません、ですが」

「分かった。とりあえずどいてくれ、この体勢はいろいろまずい」

 上に乗る、というかミルフィアが俺に跨(またが)っているのだ。ミルフィアの股が俺の股間の上に乗っている。これは非常にまずい、夢に出そうだ。

 いい意味で。

 とりあえずミルフィアを下ろし俺は上体を起こした。ぶつけた頭が未だに痛い。

「神愛君、怪我はないですか?」

「……辛そうね」

「ああ、大丈夫だよ。てか何が起きた?」

 いててと表情をしかめながら聞いてみると、片膝をついて目線の位置を合わせているミルフィアが答えてくれた。

「主の頭上から植木鉢が落ちてきました。咄嗟のことでしたので、押し倒す形になってしまいました。申し訳ありません」

「いや、そういうことならいいんだが……」

 植木鉢? 視線をミルフィアの背後に移すと、そこには確かに割れた植木鉢の残骸(ざんがい)が広がっていた。あのまま歩いていたら頭に直撃していたところだ。

「落ちてきたってことは、窓に置いてある植木鉢が風かなんかで揺らされたってことか?」

 そう思い頭上を見てみるが、しかし、校舎の窓際にはどこにも植木鉢が置いていなかった。

「…………ない?」

 おかしい。こうして落ちてきたんだ、他にも植木鉢があるはず。もしくは一つしかなかったのか? そもそも、植木鉢なんて落ちたら危ない物が窓際に置いてあるものなのか?

「主」

 ミルフィアから声を掛けられ視線を戻す。ミルフィアは、恐ろしいほど真剣な表情で俺を見ていた。

「実は植木鉢が落ちてきた件ですが、事故ではありません。故意(こい)です」

「てことは」

「はい」

 俺の不安と予想を当てるようにミルフィアが力強く頷く。これが偶然ではないなら、考えられる原因は。

「植木鉢が落ちてくる時ですが、三階の窓から腕が見えました」

「そんな!?」

 植木鉢は落ちてきてのではなく、誰かがわざと落とした? それって、

「誰かが、俺を殺そうとしたってことかよ!?」

「はい」

 頷くミルフィアは悲痛な顔をしていた。

「それだけではありません。植木鉢を落とした者ですが」

 そこでミルフィアは一旦言葉を切り、重苦しい雰囲気となった。

「腕章は、赤でした」

「赤ってことは、琢磨追求!」

 俺は琢磨追求の誰かに殺されそうになった。理由は? 分からない。分からないが、

「ふざけんな!」

 込み上げる怒りを拳に変えて地面を叩いた。

 俺がいったいなにをした? どうして殺されなくちゃならない!

 それに誰がやった? 琢磨追求だというのは分かってる。なら銀二の仲間たちが逆恨みで? しかし銀二はともかく取り巻きにそんな度胸があるとも思えない。なら、消去法で俺と接点があった人物といえば。

「うそだろ……」

 思い当たる人間に一気に顔が暗くなる。

 加豪切柄(かごうきりえ)。いや、でも違う。確かにあいつは俺を敵視してたけど、それでもどこか分かり合えた気がするんだ。そんなあいつがこんなことするわけない。そうだろう!?

 信じる。いや、信じたかった。あいつじゃないって。

 さきほどまであんなに穏やかな気持ちだったのに、今ではどこにもなかった。さらに、これだけで終わらない。

 これを機に、俺を狙った殺人未遂事件が多発したのだった。


 植木鉢が落ちてきた日から数日後。俺は屋上の地面に腰を落ち着け、頭上に広がる青空を眺めていた。春の陽気が身を包むが感じ入るものは何もない。胸の中は空洞みたいで、まるで穴が開いたみたいだ。

「……くそ!」

 しかし、すぐに苛立たしい気持ちが蘇る。犯人はまだ捕まっていない。それどころか警察は事件性がないとして調査を打ち切りやがった。

 無信仰者に対する、あからさまな差別だ。

 敵は琢磨追求だけじゃない。天下界という世界そのものが敵なんだ。結局、無信仰者と信仰者じゃ生きる世界が違うってことかよ? くそ。

「あ、あの、神愛君?」

「恵瑠か……」

 そこへ声が掛けられた。授業は終わったらしく、おどおどした口調だけで誰だか分かる。

 恵瑠はひょっこりと顔を出した後、扉の外から静かに出てくる。そしてもぞもぞしながらもゆっくりと近づいてきた。

「神愛君、最近どうしたんですか? その、ずっと授業に出てこないから……」

 恵瑠の顔は沈んでいる。本当に俺のことを心配しているようだ。

「出たくないから出てないだけだ。お前が心配することじゃねえよ」

「心配しますよ!」

「なんでだよ」

「だって……」

 俺は恵瑠から視線を切って屋上の外を見た。青空と桜がよく見える。

 けれど目が細くなる。俺はいけない気がしつつも、聞いてみた。

「なあ、加豪はまだ授業を休んでるのか?」

 加豪は最初の事件からずっと姿を見せていない。ここ数日はずっとそうで、そして俺を狙った事件も続いている。

「はい……」

「そうか……」

 予想はしていたが、期待とは違う答えに胸が暗くなった。

「でも、ボクは加豪さんがやったとは思えません! きっと理由があるはずです!」

「私も」

 そこで扉から天和が現れた。いつもの無表情で歩いてくる。

「宮司君。事件のことだけど、気にすることないわ。…………分かんないけど」

「はは……」

 きっと天和なりの励ましの言葉なんだろう。天和らしいといえば天和らしい言葉だった。

 俺は立ち上がり、二人を見つめた。

「ありがとうな二人とも。でも駄目だ。まだ事件は終わってない。俺の近くにいたら危険なのは分かるだろ? だからお前たちのそばにはいられない。気持ちは嬉しいが、もう俺には近づくな」

「そんな!?」

「仕方がないんだ!」

 反対する恵瑠を押し切るように、俺は二人に向かって叫んだ。

「俺はな、ずっと信仰者とは分かり合えない、敵しかいないって思ってた。でも言ってくれたよな? 仲良くなれたって。あの時、本当はすごく嬉しかったんだ。それは天和も同じだ。信仰者は今でも大っ嫌いだよ、こうして俺を殺そうとしてくるし、助けてもくれない。でも、お前らは特別なんだ。だから傷ついて欲しくないんだよ俺は!」

「神愛君……」

 恵瑠が寂しそうな顔をする。そんな表情を見るのが、辛かった。

「これが一番いいんだ」

 胸の痛みを隠して、俺はそう言った。手に出来たと思った黄金の輝きを傷つけたくない。それならいっそ手放そう。また一人に戻るが仕方がない。

 俺は屋上から出て行った。恵瑠が大声で呼び止めるが無視する。階段を下り廊下を歩いていく。

 二人から離れたいという思いからか、気づけば正門の前に来ていた。両側に並ぶ桜は花弁を大方散らし、寂しい枝木を晒す変わりに地面は桃色の草原と化している。

 そこで俺は立ち尽くす。心配からとはいえ、せっかく来てくれた二人を拒絶した後ろめたさに重いため息が出た。

「主」

 すると、正面にミルフィアが現れた。両手を重ねる仕草がミルフィアの不安な心を映しているように見える。

「よろしかったのですか? 私には、二人とも主を本気で心配しているように見えました。今からでしたらまだ間に合うと思います」

 ミルフィアは俺のことを心配してくれている。せっかく仲良くなれた二人と離れたから。でも、考えを変える気はない。

「いいんだ……」

 落ち込みとはまた違う寂しさが声に残る。俺も辛いが、これは仕方がないことなんだ。

 俺の言葉にミルフィアの顔がしゅんとなる。辛そうに視線を下げ、ミルフィアはその場に片膝をついた。

「ミルフィア?」

 一面のピンクと金髪の色彩は鮮やかだが桜の儚い印象からか、いつもよりミルフィアが弱々しく見える。

「私は、皆といる時の主が楽しそうに見えました。そんな主が私は好きでした。主が笑っている姿が嬉しかったのです。ですので、ここで別れるのは惜しいかと。そう思い、進言(しんげん)申し上げました」

 左胸に手を当て頭を下げる。臣下(しんか)の礼に則り俺に忠誠を示していた。

 それでも、真摯(しんし)な思いを裏切るようで辛かったが、頷くことは出来なかった。

 心配してくれるのは嬉しい。でも、これは俺の問題だ。なのにミルフィアはどうしてそこまで……。

「あ」

 それで気づいた。もしかして、ミルフィアは二人から離れるのが寂しかったんじゃないか? 誕生会を開いて、ミルフィアにも友達ができればいいと思っていた。実際ミルフィアは笑ってくれた。なのに俺はなにをしている? ミルフィアとあいつらを離してどうするんだ。

 まったく、馬鹿は俺だ。ミルフィアに友達ができればいいと思っていたのに、俺が離してどうするんだよ。

「悪い、ミルフィア」

 ミルフィアの内心を察することが出来なかった。俺は素直に頭を下げた。

「何故、主が謝るのですか?」

 それで頭を上げてみると、ミルフィアが丸い瞳で見上げていた。

「その、ほら。俺があいつらと離れたら、お前まであいつらと接する機会がなくなるだろ? せっかく友達になれそうだったのにさ」

 ミルフィアにも友達ができればいいと思った。なのにやってることは正反対。もしミルフィアがあの誕生会で三人と友達になりたいと思っていれば辛いはずだ。あともう少しだったんだから。

「よし、戻ろう」

 ミルフィアの言った通りだ、今からでも遅くない。すぐに二人と合流してミルフィアと一緒にどうするのか考えよう。そうすればミルフィアだって寂しい思いはしない。

「それでしたら、ご心配には及びません」

「え?」

 だが、ミルフィアの一言に足が止まった。どういうことかとミルフィアに目を向ければ、彼女は真剣な表情だった。

 そして、次の言葉を言ったのだ。

「私に、友など不要です」

「…………え?」

 ミルフィアの一言に、頭がサッと冷えていく。が、すぐに熱が反発した。

「ちょ、ちょっと待て。お前と加豪や恵瑠、天和だけど、友達だろ? そうでなくてもさ、仲良くなれたじゃないか。誕生会だってさ、楽しかったろ? そりゃあ、上品とは言えなかったかもしれないけど……」

「私の誕生会を開いてくれたことは嬉しく思います。ですが私は奴隷の身、本来あるべき形ではありません」

「じゃあ、お前はあいつらをどう思ってるんだよ!? 友達とは思ってないのか? 友達になりたいとは!?」

 知らず、俺は焦っていた。語気が荒れミルフィアを問い質すような言い方になってしまう。

 なんだこれ? それでも自分を抑えることが出来ない。

「主」

 焦る。わけの分からない危機感に頭の中が赤く点滅(てんめつ)する。

 そんな俺を安心させるかのようにミルフィアは微笑んだ。それこそ、誇りを抱くかのように。

「私に、友などいらないのです」

 そして、断言のもとに俺の願いをコナゴナにした。

 まさか、まさか、まさか。足が地面についていないような、不安が心を支配する。

「友はいらないって、それじゃあ……」

 喋るが、声は震えていた。聞くな、聞くな、聞くな。理性が俺に警告する。けれど意思は理性を振り切って口を動かした。衝動だった。聞かないなんて出来ない。だって――

「俺とも、友達になってくれないのか?」

 ずっと、お前と友達になりたいと思ってた。誕生会を開いたのだって、お前を喜ばせて、友達になって、奴隷から解放させるためだった。

 ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、お前のためだったんだ。なのに、なあ、ミルフィア!

「なりません」


 お前は、俺のぜんぶを否定するのか。

「私は、主、あなたの奴隷です。それこそが私の存在意義なのです」

 ミルフィアは笑う。

 けれど、胸を引き裂かれたように痛かった。

 その笑顔に言葉を失った。

 どうして……?

 ミルフィアにも普通の生き方をして欲しいと、奴隷なんて止めて欲しいと、頑張ったのに。

「私にとって大切なことは、主に尽くし、主のために生きること。それこそが私の生き甲斐なのです」

 ……なんで、なんでだよ!?

 唖然(あぜん)となる。次に両手を握り込んだ。

 俺がどれだけ、どんな気持ちで誕生会を開いたのか。

「我が主。ミルフィアはあなたの奴隷です。ずっと、これからも」

 無駄だって? 俺がお前を心配する気持ちも、全部!

「あなたのためなら、私はなんだっていたします」

 俺の友達にはならないのかよ!?

「いい加減にしろ嘘つきが!」

 それが、引き金だった。願いを裏切られた反動が、ついに弾けた。

「…………嘘?」

 俺の言葉に、ミルフィアの笑顔が一瞬で凍りついた。心外(しんがい)だったのだろう。表情は驚愕し唖然(あぜん)としている。

「俺のためならなんだってする? 嘘じゃないか。お前が、一度だって俺の願いを叶えてくれたことがあるか!」

 俺には昔から欲しいものがあった。願いはそれだけだった。難しい願いでもなんでもない。

「わ、私は!」

 ミルフィアが慌てて口を動かす。俺を見上げる瞳が震えていた。

「主のためなら、なんだっていたします! 嘘ではありません!」

 必死にミルフィアが訴えてくる。俺のためならなんでもすると。

 でも、そうじゃないだろう? 俺がそんなのを望んだことが一度でもあるか? 

 俺は、友達になりたいって思ってんだよ! そのために頑張ってきたんだ!

 なのに、なんでお前が分かってくれないんだよ!?

「今までも、主のために頑張ってきました。そこに偽りなど――」

「黙れぇえええええ!」

 沈黙ができた。痛いほどの沈黙が。

「…………」

 ミルフィアの言葉を、遮った。自制(じせい)なんて出来なかった。俺の怒鳴り声は校舎の窓を震わせるほど大きくて。俺はなんとか怒気が抜けたけど、そんな俺に、

 ミルフィアは、明らかに怯えていた。

 もっと笑って欲しいと、幸せになって欲しいと願っていた女性が、俺を見て固まっているんだ。

 なんだ、なんだよこれ……。

 途端に、瞳の奥が熱くなった。気づけばもう駄目で、止めようと思っても涙が零れ落ちてきた。

 だけど、言わずにはいられなかったんだ。

「なんで、お前はいつもそうなんだよぉお!?」

 悲しくて、悲しくて、怖がられると分かっているのに、叫ばずにはいられなかったんだ。

「俺が、こんッ、こんなに……、こんなにも心配してるのに、なんでぇえ!」

 ミルフィアとは、どうしても友達になれない。

 奴隷という生き方から、救うことが出来ない。

 こいつはきっと、これからも傷ついていくんだ。俺のために。

 その事実に、悲痛なまでの現実に、涙が止まらない。

「どうして……、どうしてだ、なんで奴隷になろうとする!?」

 奴隷という生き方を捨てて人として幸せになって欲しい。友達になって欲しい。だって悲し過ぎるだろ、そんなのが人生なんて。死ぬまでそうなんて。

 だからずっと願ってきた。けれど、ミルフィアはいつまでも俺の思いには応えてくれない。

「お前には俺が奴隷を望むような酷いやつに見えるのか? 怖いのか? 俺が無信仰者だからかよ!?」

「それは違います!」

「じゃあなんでだよ!?」

 俺は涙と共に声を飛ばし、ミルフィアは必死に否定した。理由は、少しの時間を空けてからだった。

「主が、王だからです」

「ッ!」

 答えに奥歯を噛む。

 言いたいことを言い終え、熱い息が零れる。涙を拭き取る。それで考えた。どうすればミルフィアを救えるのか。

 そしてたどり着いた答えに、俺はミルフィアに聞いてみた。

「お前は、どうあっても奴隷を止めないのか?」

「…………はい」

 返事は一言。その一言にミルフィアの決意を感じる。それで答えは決まった。

「そうか。なら――」

 決断する。ミルフィアに奴隷になって欲しくないから。

「別れた方がいい。二度と俺に姿を見せるな」

 それは、決別(けつべつ)だった。

「え…………?」

 どのようにしてもミルフィアとは友達になれない。奴隷としてこのまま生きるなら、いっそ会わない方がいい。そう決めたんだ。

「消えろって言ったんだ」

「そ、それは……」

 震えた声が聞こえてくる。見れば、俺を見上げるミルフィアの瞳から、大粒の涙が流れていた。

「何が、何がお気に召さなかったのですか!?」

 輝く水滴が頬から落ちる。ミルフィアの悲痛な訴えがこの場に響く。

「あなたに尽くします。あなたに忠誠を誓います。ですので、どうかそれだけは。それ以外でしたら、私はなんでも、なんでもします!」

 泣き声は震えて、零れ落ちる涙が地面に染みを作っていく。

「今の、だけは撤回して下さい。お願いします……!」

 心痛(しんつう)な表情で、ミルフィアは俺を見つめていた。溢れる涙の数だけ心が裂かれているようで、哀訴(あいそ)の言葉は痛々しい。

「主……?」

 だけど。顔を背け、ミルフィアを視界から追い出す。

「主は、昨夜に言ってくれました。私が、大切な存在だと」

「!?」

 胸が、震えた。

「あれは……、嘘だったのですか?」

「――――」

 まるで、心臓を握り潰されるような感覚だ。世界中からの罵声(ばせい)や蔑視(べっし)、そんなものよりも遥かに痛い。苦しくて、苦しくて、胸を掻き毟(むし)りたくなる。

 だけど、だけど、だけど!

「……命令だ」

 初めて、ミルフィアに『命令』した。

「もう、二度と俺の前に出て来るな」

 生涯で初めての命令。それは、二人の別れだった。

 痛みが全身を支配する。悲しみが心を染めていく。悲痛が涙となって零れそうになる。指先が熱くなり声が震えた。でも駄目だ、ここで泣いたら。ミルフィアに見られたら。

 泣くな、泣くな、泣くなッ! 絶対に泣くな!

「絶対に、俺の前に現れるんじゃない!」

 気持ちを隠して、ミルフィアに告げた。

 見ればミルフィアが唖然(あぜん)としている。泣き顔を晒し、生き甲斐を失くし、絶望しているはずの少女。しかし俺の答えを聞いたミルフィアはゆっくりと、小さな笑みを浮かべたのだ。

 泣きながら。

「……はい。我が主……、あなた、が……、それを望むなら……ッ」

 初めての命令にミルフィアは声を震わし、泣きながら笑う。俯きその後、姿が薄くなっていく。空間に溶けていくようにミルフィアは姿を消していった。

 たった一人、この場に残される。無人の静けさにミルフィアが消えたことを実感した。

「……くっ」

 相手のためを思っているのに、実を結ばない。虚しさが胸をさざめく。遣る瀬無い憤(いきどお)りが胸で暴れた。

「くっそおおおおおおお!」

 ため込んだ感情と涙を、地面を蹴って吐き出した。

 そんなに嫌なら、反対すりゃいいだろうが!

 消えろと言ったが、本音では断って欲しかった。泣くほど嫌なら嫌だと言って欲しかった。けれども、ミルフィアは命令を優先して消えてしまった。所詮、二人の関係は友人ではなく、主従なのだと言うように。

 握り込んでいた拳をほどく。周りには誰もいない。散った桜の上で佇み、思い知らされる寂しさを感じていた。

 頬を、涙がこぼれ落ちていく。

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