第3話 第二章 自分の道は手探りで探せばいい

 第二章 自分の道は手探りで探せばいい


 翌日、気乗りしないものの学校へと向かっていた。まあ気が重いのは今に始まったことではないのでいいのだが、今日は一つ問題があった。

「なあ、ミルフィア」

「はい、主」

 場所は学校の正門前。他の生徒の波の中、景気よく花弁を散らす桜の風を受けつつ俺はミルフィアを見つめていた。困ったことに学校についてくると言って聞かないのだ。

「お前はここの生徒じゃない。だから基本的にはいちゃ駄目なんだ、分かるだろ?」

「しかし主。昨日の出来事を省(かえり)みれば一人は危険です」

「それは、まあ」

 昨日、俺は加豪と喧嘩をした。登校初日からあの大騒ぎだ。ミルフィアの気持ちは分からんでもない。

 けれど駄目なんだ。それはミルフィアが生徒じゃないというのもあるが、俺には昨夜に決めたことがある。それはミルフィアには知られちゃいけないことだ。

「お前の言うことも分かる。でも、それでもだ。いいか? 俺の前に現れるな、絶対だぞ?」

「……はい。主がそう言うのでしたら」

 ミルフィアは寂びしそうに頷くと目の前から消えていった。悪いことしたかな? いや、でも仕方がない。これもあいつのためだ。

 なるべく気にしないようにして正門を通りレンガ道を歩く。昇降口に着き靴を履きかえる。

 その時だった。ふと背後から視線を感じて昇降口の入口に目を向ける。

「……気のせいか」

 そこには誰もいない。靴を履き終え廊下を歩く。俺以外には誰もいないのでここは静かだ。

 ササッ。

「…………」

 玄関口から少し歩いて廊下を曲がる。足音が規則正しい音を奏(かな)でる。

 ササッ。

「ハッ!?」 

 角を曲がった先、すかさず背後を振り返った。すると視線の先で金色の髪がサッと角へと隠れたのが見えた。まさかとは思うが……。

 正面にある学習室の扉を開ける。けれど入ることはせず、そのまま扉を閉めた。ドン、とやや重い音がなる。

 それから少しすると、角からミルフィアが現れた。

「あ」

「あ、じゃねえよ」

 ミルフィアは俺と目が合うなり瞳を大きくして驚いている。こいつなにしてんだよ。

「なんでいるんだよお前」

「申し訳ありません……」

 両手を重ね謝罪する。表情はバレたからかしゅんとしている。

「あのなミルフィア、俺言ったよな? 俺の前に出てくるなって」

「はい、ですので……」

 ミルフィアは反省の姿勢から俯いているが、上目遣いで俺を見た後、もう一度視線を落とした。

「前ではなく、後ろから見守ろうと……」

「はあー」

 片手を額に当てる。

「あのなぁ、そんなトンチをしろと誰が言った。それで見つかってちゃ意味ないだろうがドジっ子め」

「主! 私はドジっ子ではありません!」

「ドジっ子は皆そう言うんだ」

 こいつはまったく、真面目なのかそうでないのか。いや、ミルフィアを悪く言ったり責めたりするつもりはないけどさ。

「お前の気持ちは嬉しいよ、でも駄目だ。お前は消えてろ」

「ですが!」

「前も後ろも右も左も駄目だ。上も下もだ、いいな?」

「はい……」

 それで今度こそ納得したのか、ミルフィアは再度消えていった。

「まったく」

 俺は教室に行くのを再開した。ミルフィアが俺を心配する気持ちは嬉しいが、けれどいき過ぎるところが困ったものだ。それは昨日の喧嘩もそう。下手すればミルフィアは大怪我を負っていた。それも自分のためではなく、俺のために。

 だからこそ、俺が奴隷を止めさせないと。

 そのために俺は昨夜に決断をした。

 それはなにか?

 それはだな。

 ミルフィアの、誕生会を開くということだ!

「…………」

 いや、分かるよ? 俺が誕生会? 他人どころか自分のもしたことないのに? 出来るわけないて? うるせえ!

 それに一番の問題は参加者だ。

 昨夜からそのことばかりを考えてはいるんだが、しかしまったく目途(めど)が立たないことにため息が出る。

 まさか二人きりで誕生会をするわけにもいかないし。いや、最後の手段として俺だけでやるという選択肢がないこともないが、それではせっかくの誕生日が逆に悲しい。

 問題はやはり参加者だ。誕生会である以上しっかり会にしなければ。しかしいったいどこの誰が無信仰者の開く誕生会に参加してくれる?

 そんなこんなで教室に到着し足が止まる。その後扉をじーと見つめた。

 というのも、入りづらい。昨日あんなことがあったんだ、はっきり言って帰りたい。

 しかしそういう訳にもいかないよな。もしかしたら俺の考え過ぎで本当はなんともないかもしれないし。勇気を出せ俺、きっと大丈夫さ。

 意を決め昨日同様後ろの扉を開ける。そこから一歩を踏み出す、瞬間だった。

「キャアアア、変態の神愛が来たわ!」

「あいつ、保健室で女の子を裸にして縄で縛ったって本当!?」

「それだけじゃなくてローソクまで使ったらしいぞ」

「みんな落ち着くんだ、まずは聖書を読もう!」

「誰か助けて、きっと私たちも襲われるわ!」

「諦めましょう。彼と同じ教室だったことで、すでに運は尽きていたのです」

「…………」

 帰ろう。

 扉を閉める。踵を返し、廊下をトボトボ歩く。しかしすぐに全力で駆け出した!

「ちげえええええ!」

 ちょっと待て、事故だろあれは!? それがなんで襲ったことになってんだ、そしてなんだ縄やローソクって!?

 廊下の突き当たりで立ち止まる。ショックだ。

「はあ~」

 分かってはいたが、駄目だ。それにとてもじゃないが誕生会に参加して欲しいなんて言える状況じゃない。こんなアウェーでどうしろっていうんだ。

 そもそも無信仰者の時点で詰んでるんじゃないか? そんな不安が湧(わ)いてくる。

 出来ないのか? 無理なのか? 諦めるのか?

「…………」

 駄目だ。こんな気持ちじゃいいアイディアも思いつきやしない。気分を変えよう。

 とりあえず屋上に行ってみよう。今の時間なら誰もいないだろう。

 屋上に辿り着き、扉を開ければ爽やかな青空が迎えてくれた。清々(すがすが)しい風が全身を包んでくれる。

「ああ、落ち着く……ん?」

 と、気づけばフェンスに一人の女の子が立っていた。

 緑色の髪を肩まで伸ばし、ストレートの髪型はそよ風を受けて小さく揺れている。小柄な体で雲しかない青空を見上げている。

 そこで少女が振り向いた。半身だけを動かし赤い瞳がじっと見つめてくる。俺を見つけても無表情で、大きな目が俺を見ている。

 すると、今度は小さく手招きしたのだ。

 なんだ?

 少女がなんで俺を呼んでいるのか分からない。

 クイクイ。

 また手招きしてる。理由は分からないが、しかし断るのも悪い気がしてとりあえず行ってみた。

 少女の隣まで歩き、なんだろうかと横顔を覗いてみる。少女はすでに青空を見上げていた。

「ねえ、あの雲。うさぎさんに見えない?」

「うさぎ?」

 突然抑揚(よくよう)のない声でそう言われ俺も青空を見上げてみる。そこには確かに歪な形をした雲はあったが、うさぎというにはめちゃくちゃだった。

「いや、見えねえな」

「そう……」

「…………」

「…………」

 え、終わり?

「ねえ」

「おお」

 続くのかよ。いきなりだから驚くだろうが。

「あなた、うさぎさんは好き?」

 またうさぎか。何をしたいのかよく分からん。

「んー、どうだろうな。好きでも嫌いでもないっていうか、普通だな」

「そう……」

「…………」

「…………」

 終わり?

「好きよ」

「おお!」

 いきなり言うなよ、肩がビクッとするだろうが。

「まあ、可愛いっちゃ可愛いしな」

「愛しているわ」

「これだけ話題に出すんだからそうだろうな」

「うさぎさんのお嫁さんになりたい」

「あー、なあ、それって比喩だよな?」

「いえ、言葉通りよ」

「はは、冗談が上手いな」

 俺は笑って振り向くと、少女は真顔だった。

 え?

「うさぎさんのお嫁さんになりたい。子供は三人欲しいわ」

 ガチだこいつぅううう!

「そうなんだー……。あ、悪い、俺教室戻るわ」

 早くここから立ち去りたい。てか普通にダッシュで逃げたい。

 が、背後から声が掛けられた。

「戻ってどうするの? 皆はまだ君のこと恐れてるよ?」

 ピタ、と動きが止まる。その一言で苦笑いがスーと退いていくのが分かった。

「お前、俺のこと知ってたのか」

「ええ、宮司神愛。私のクラスメイト」

「ああ、それで知ってたわけね」

 なるほど。そうとは知らずとんだ間抜けだ。

「ええ、そういうこと。それに腕章見れば誰だって分かるわ」

 少女は単調な喋り方で話を続ける。

「名乗っておいた方がいい?」

 そう言われ、俺は少女に振り向いた。

「天和」

「てんほう?」

「違う。そんな勝負が始まっていきなり終わるようなつまらない名前じゃないわ」

 聞き間違いにもまったくの無表情で、彼女は再び名乗った。

「薬師天和(やくしてんほ)。それが私の名前」

 天和はフェンスに背中を預け、真っ直ぐ見つめてくる。

「そこでぼうと立ってないで、戻ってきたら?」

「…………」

 断ろうとも思ったが、俺は天和の隣に戻った。それはこの少女に違和感があったからだ。

「なあ、俺とこうして話してて、怖くないのか?」

 怖がって欲しいわけじゃない。ただ、こうして普通に話をするっていうのが、悲しいが普通じゃないんだ。

 そんな俺の気を知ってか知らずか、天和は瞳を閉じた。

「別に。怖くないよ、君のこと。それに私、一応これだから」

「無我無心、か」

 天和が摘まんだ腕章に印されていたのは緑のクローバー。心を無にして何も求めず苦しみを無くす神理、無我無心の証が載(の)っていた。

 が、変態だ。どういうこと? 

 しかし俺を怖がらない、か。

 奇特な隣人を横目で見つめてみる。口にした通り、見た感じ怖がっているようには見えない。

「なあ、天和」

 それで、恐る恐る聞いてみた。

「もしさ、初対面の俺が知人の誕生会に参加してくれとか言ってきたら、その、やっぱりさ、あの、変に思うよな?」

 普通に聞けばいいものを、何故か口がうまく動かない。くそ、なに緊張してんだ俺。どもるなよカッコ悪い。

「変ね」

「…………」

 まあ、そうだよな……。

 いや、がっかりなんかしてねえし! こんなの、当然だし……。

「ねえ、宮司君は動物、何が好き?」

「動物? そうだな、うーん、猫とか?」

 隣の天和に目を向けてみる。何を考えているのか分からない女だが、俺の答えに天和の瞼が開かれた。その顔が、

「ふふ」

 いやらしく笑ってるぅうううう!

「おい! そういう意味じゃねえよ! 俺が言ってる好きっていうのは物とか趣味とかの意味で、お前の愛とはまったく別のものだ!」

「否定しなくてもいいわよ同志。そんなことより杯を交わしましょう」

「しねえよ! そして違う、つってんだろ!」

 なにが同志だ。そしてその不気味な笑みを止めろ。

「だいたい、お前はどうしてここにいるんだよ? もうすぐ授業だぞ?」

「廊下を歩いている時に空を眺めていたら」

 天和は視線を空に移し、幻想を追いかけるように言い出した。

「流れている雲が、うさぎさんに似ていたから……」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「それだけ?」

「それだけよ」

 なんだこいつ!

「やっぱり、うさぎさんは立派だわ」

「なに言ってんだか」

「君と私を、こうして結び付けてくれた」

「…………」

 その言葉には、嫌味を言えなかった。

「うさぎさんを追い掛けたら、そこには不思議な出会いが待っているものなの」

 天和は空を仰(あお)ぎながら、穏やかな表情に変わった。起伏(きふく)は薄いが、彼女なりに喜んでいるように見える。

 そんな顔を見て思った。

 これは、もしかしたら黄金律の効果じゃないのか?

 不本意だが俺は天和の嬉しいことをしてしまったらしい。それで天和は安らかな顔をしている。

 自分がされて嬉しいことは、相手にもしてあげる。

 俺は天和の穏やかな顔に、黄金律の可能性を感じていた。

 その後、結局一限目の授業はサボることにした。俺は渡り廊下の壁にドカッともたれる。

「あー、くそ、どうするよ一体」

 目的ははっきりしてるんだ。ミルフィアの誕生会を開く。そのために黄金律の効果が知りたいわけだが、こう、今すぐ試せる機会はないだろうか。

 そう思っていると、どこからか声が聞こえてきた。

「おい、なに見てたんだよ、やんのかコラ!」

「あー、その、ボクはただ~……」

「慈愛連立がいい気になりやがって、喧嘩売ってんのか!?」

「ち、違いますよ~」

 あった!

 校舎の角、人目に付きづらい場所で不良と分かるガラの悪い五、六人の男子が囲っている。男たちは全員赤の腕章で、絡まれてるのは声から女子だ。

 これは黄金律を試すチャンスだ。俺は渡り廊下からとび出した。よし、待ってろよ。今俺が助けてやるからな!

 みるみると距離が縮まる。

 が!

「て、あの女かよ!?」

 男たちに囲まれたその女子は、入学式の日に逃げ出したあの時の女だった。

 くそ、なんでよりにもよっててめえなんだよ!

「待てぇえええ!」

 俺の叫び声に男たちが振り返る。女の子も俺を見た。

「そいつに手を出すなぁあ!」

 全力疾走で少女の元に駆け寄る。俺は両者の間に立った。

「なんでてめえ、なにしにきやがった!?」

「そんなもん決まってんだろ、人助けだよ」

 男たちの前に立つ。俺の前にいる男は背が高く、角刈りのこめかみがピクピクと引きつっていた。

「無信仰者が調子乗りやがって、俺を誰だと思ってる!? 神律学園三年の熊田銀二(くまだぎんじ)だぞ!?」

「知るか。女の子を数人がかりで囲う腰抜けだろ」

 両手を広げ「だろ?」とアピールしてやった。

「てめえ……覚悟しろよ! おい、両方ともやっちまうぞ!」

 男、熊田(くまだ)の一言で他の連中もが大声を掛けて殴りかかって来る。しかし退かない。後ろの女ははっきり言ってムカつくが守ると決めたんだ。

 しかし、ここにきて少女が入り込んできた。

「け、喧嘩は駄目ですぅう! しちゃいけないんです! 仲良くしましょう、皆で仲良くするんです、それが一番ですぅ!」

 少女は両手を広げ、駄目です駄目ですと顔を横に振る。その度にツインテールの髪束が宙を泳いでいた。小さい体にも関わらず、大柄の男たちを前に自分の信仰を貫いている。

 人助けの神理、慈愛連立(じあいれんりつ)。まさか、俺を庇(かば)ってくれたのか?

 突然の仲介(ちゅうかい)に熊田達も戦意を削がれたのか立ち尽くしている。

「ちっ、もういい行くぞ」

 それで男たちは振り上げていた拳を下ろした。そのままぐちぐち言いながら退いていくが、熊田がいきなり振り返り俺を睨んできた。

「だがな神愛、てめえあとで覚悟しとけよ、イレギュラー」

 それだけ言い残し今度こそ消えていった。

「ふぅー」

 あいつはあんな風に言い残していったがいつものことだ。俺は肩を竦(すく)める。それにどっちかっていうと俺が少女に救われたわけだし。せっかく助けに行ったのに仲裁(ちゅうさい)されるとかどうなってんだ。

「あ、あの、大丈夫ですか? あ、昨日の人だ」

「お前今更かよ」

 白い髪の少女が振り返る。ぽかんとした顔で俺を見上げていた。

「別にいいだろ俺でも。それか俺じゃいやだったか?」

「いえ全然!」

 少女は慌てて顔を横に振っている。まあいいや。

「それよりもお前、どうしてあんな連中に絡まれてたんだよ? まさか喧嘩売ったわけでもねえだろうし」

「え!? えーとですね、その~……」

 それで質問するが、しかし言いにくいのか少女は指を遊ばせていた。もしかして聞いちゃまずかったか? 

 すると少女はぽつりと話し始めた。

「ボク、昨日遅刻しちゃって」

「ああ、知ってるよ」

 ムカつくくらいにな。

「それで周りのみんなはもう新しい友達と話してて。なんか話しかけづらくて。それでどうしようか、教室に出て考えようとしたんです。そしたらここであの人たちがグループを組んでいたから」

「うんうん」

「いいなあ~、ボクも友達欲しいなあ~、てずっと見てたんですよ」

「へえ~。……ん、ずっと?」

「はい! そしたらあの人たちもボクのことを見つめてきて、ボクに向かって歩いて来たんですよ。おお! と思ったんですけど、いきなり喧嘩売ってんのか! って怒鳴られちゃいました」

 それで少女は悲しそうな表情を浮かべるが、すぐ呑気な声で呟いた。

「どういうことなんですかね~」

「お前がどういうことだよ!? てかなに、お前もにらめっこ!?」

 なんだそりゃ、流行ってんのかにらめっこ。

「相手くらい選べよ、あいつらがどういうのか見て分かるだろ。お前の頭はお花畑か」

「あ、それならボクチューリップがいいです!」

「そういう問題じゃねえんだよ!」

 こいつ、もしかしてアホなんじゃないか? そう思うとそんな気がしてきた。

「あの、ボク、栗見恵瑠(くりみえる)っていいます。恵瑠でいいですよ。ちなみに同じクラスです」

「え、お前も?」

 奇遇(きぐう)と言うかなんというかだな。

 それで恵瑠は嬉しそうに自己紹介していたが、しかしすぐに疑問の顔色になって俺を見上げてきた。

「その、神愛君、ですよね? えっと、どうして助けてくれたんですか?」

 質問に黄金律のことが頭に浮かぶが、本当のことをいうのは恥ずかしい。

「別に。あんな状況見つけて、見て見ぬフリが出来なかっただけさ」

「え、でも神愛君、慈愛連立じゃないですよね?」

 俺としては当たり障(さわ)りのない言葉を選んだつもりだが、やっぱりそこ気になるか。

「信仰がなくたっていいだろうが。それとも迷惑だったか?」

「ううん! 全然! 助かりました!」

 瞳を輝かせ元気な声が響く。まあ、最後には俺も助けられたんだけどな。

「あ、あの、神愛君?」

「ん?」

 と、恵瑠が真面目な顔で見上げていた。

「神愛君は、べつに慈愛連立とかそういうわけじゃないんですよね?」

「そうだよ」

 なにを今更。

「無信仰のままなんですよね?」

「そうだよ」

 いったいなんの確認だ?

 恵瑠は戸惑った様子だったが、俺の答えを聞くと視線を下げた。

「でも、助けてくれたんですよね……」

「?」

 なにやら胸の内でいろいろと葛藤(かっとう)しているらしい。信仰者から見れば無信仰者なんて正体不明の怪人だ。はっきり言って怖いだろう。そんな無信仰者に助けられるなんて稀有(けう)な体験をしてさぞや脳内会議が忙しいんだろうな。

 すると、恵瑠が顔を上げ見つめてきた。

「ありがとうございました。助かりました!」

「おお!」

 お礼と共に頭を大きく下げる。雲のような色のツインテールまでもお辞儀のように垂れていた。

 初めてされた、こんな風に人にお礼を言われること。ちょっと感動だ。

「それじゃあボクは教室に戻りますね。助けてくれてありがとうございました~」

「おお、気をつけてな~」

 手を振りながら恵瑠が去っていく。俺も手を振りながら彼女を見送っていった。

「って! なにしてんだ俺!?」

 しまった。誕生会、言えば良かった……。


 それから時間は経ち今は昼休憩、気乗りのしない授業に参加した俺は良くやったと思う。……そのほとんどを机に伏していても。

 嫌われ者として過ごす憂鬱(ゆううつ)な時間を耐えた俺はトイレの帰り道、さきほど恵瑠に言われた言葉を思い出していた。

「ありがとう、ねえ?」

 そんなことを言われた記憶を振り返ってみたが、俺の過去にそんなことは一度もなかった。そして今思えば、人を助けたことなどなかったかもしれない。思い出すのは周りに対する憎しみと見下す気持ちだけで、そもそも誰かを助けようなんてこと、発想すらなかったんだ。

 黄金律。これで、礼を言われた? そして、この思想があれば俺でもミルフィアと友達になれるのか? そう思うと希望なんて持ったこともない俺の胸が少しだけ高鳴った。

 だけど、誘えなければ意味がない。はぁ。浮いた期待が落ちる。

 そんな気持ちで教室の扉に手を伸ばす、その途中。

 扉が勝手に開いた。

「あ」

「あ」

 扉を開けた相手と目が合う。視線の先にいたのは、学校初日に喧嘩をした女子、加豪切柄(かごうきりえ)だった。

 ゲッ!

 突然の再会に固まった。加豪も驚いて固まっている。おいおい、どうすればいいんだよ、めちゃくちゃ気まずいんだけど!

「……なによ?」

「ああッ?」

 嫌な空気が流れる。加豪の問いについ攻撃的な声が出てしまい、それで加豪の表情も険しくなった。俺たちは黙ったまま睨み合う。

 だが、今にも喧嘩が起こりそうな中、今さっきのことを思い出した。

 自分がされて嬉しいことは人にもしてあげる。自分がされて嫌なことは人にもしない。前者(ぜんしゃ)はさきほど恵瑠にした。

 なら、今度は後者(こうしゃ)じゃないのか?

 俺は拳を強く握り、苛立つ感情をぐっと我慢した。

「その」

 俺は怖いにらめっこを止め、スッと顔を逸(そ)らす。

 声は依然と荒い。苛立たしい気持ちは消えていない。それでも、俺は口を動かした。

「……昨日は、悪かった」

「え?」

 俺の言葉が意外だったんだろう、加豪が驚いた。

「いや、だから、悪かったって言ってんだよ。俺だけのせいとは思わねえけど、まあ、俺の機嫌が嫌な思いをさせたのは認める。……すまなかった。あと、お前は十分美人だよ」

 ちらりと加豪の顔を見る。彼女の顔はなんだか固まり黙ったままだった。そのまま様子を待っていると加豪の顔が元に戻った。

「フン。当然よ」

 こいつ!

「昨日は強く言い過ぎた、ごめん」

「え?」

 と、加豪はそれだけを口にして横切って行った。早足で廊下を歩いていく背中が遠ざかっていく。その後ろ姿を、俺は信じられない気持ちで見つめていた。

「…………」

 謝った? あいつも? いや、てか謝った? 本当? 俺に謝った奴なんて過去何人いる? すぐに思い出すのはミルフィアと教師のヨハネくらいで、あとはいないんじゃないか? そんな俺にあいつが謝った? 

 奇妙な体験に戸惑う俺は言葉が見つからず、とりあえずは、

「お、おう」

 とだけ、もう姿の見えない背中に言っておいた。



「なんていうのかな~、今日は」

 学校の日程は終わり、誰もいない夕暮れの教室に俺はいた。机に腰掛け今日の出来事を振り返える。

 屋上では不思議というよりもおかしな女の子、天和と出会った。そこで俺は人の喜ぶことをしたらしい。

 次に学校の外では恵瑠を助け、人から感謝された。

 最後に加豪に謝罪したら、相手からも謝られた。

 これらの出来事は黄金律の教えに従ったからだ。

 変化を実感している。だけどそれで仲良くなったわけじゃない。知り合いくらいにはなれたかもしれないが、まだまだ誕生会に誘うような仲じゃない。もう今日は会わないし、残るは明日だけだ。

「はぁ、やばいな……」

 焦りが口を動かす。とてもじゃないが無理だ。諦観(ていかん)が俺の意志を虫食いのように穴を開けていく。

「おや、宮司さんではないですか」

 すると陽気な声が聞こえてきた。声がした扉に目を移せばそこには担任教師のヨハネが笑顔で立っていた。

「どうしたのですか教室に残って。寮には戻らないのですか?」

「いや、今はここで考え事がしたくて」

「おやおや。それではお邪魔でしたかね。良ければあなたとお話でもと思ったのですが」

 そうは言いつつもヨハネは俺の隣にまで近づいて来る。物腰は柔らかいのにどこか強引だよな、この男。頬の治療の時もそうだったと苦笑する。

「なんだよ、俺に話って?」

「いえ、特にこれという話題があるわけではないのですが、宮司さん、昨日は黙って帰られたではないですか」

「あ」

 そういえばそうだったな。

「それに今日は一限目には姿がお見えにならない。それで私は不安になりましたよ。二限目からは出席していたので安心しましたがね。ですが、約束を破るのはいけません。せっかく私は宮司さんと仲良くなりたいと、これでも真意に思っているのですから」

「ああ、悪い。その。まあいろいろあって……」

「いろいろ?」

「いろいろ」

 覗き込んでくるヨハネの瞳から顔を逸らし、バツの悪さに笑みが引きつる。

「そうですか。まあ、明日からは一限目からちゃんと出席してくださいね?」

「分かった。今度こそ約束を守るよ」

「ええ、いい心掛けです」

 返事にヨハネはにっこり笑い、それで注意は終わった。生徒を信頼しているのか、叱ることはあっても怒ることや長い説教はしてこない。クラスで耳にするヨハネの評判はいいが、こういう理由からなのかもしれない。

 ヨハネは席から椅子を出し腰を下ろす。その後夕日を眺めていた。

「それにしても静かなものですね。朝はあれだけの喧騒(けんそう)に満ちていたというのに、今ではこんなにも静かだ。落ち着きますが、まあ、反面寂しい気もしますかね」

 穏やかな声がオレンジ色の教室に溶けていく。地面には机の影がいくつも伸びているが、机の数に反して人の影は二人分しかない。

「それだけここには多くの、そしていろんな人たちがいた、ということなんでしょうね。そういえば昨日は信仰によって性格に傾向があるとお話しましたが、宮司さんは神理を創った神様のことを知っていますか? 実は、それが大きく関わっているのですよ」

「いや……」

 知らなかった。ヨハネはニコニコと、自分が教えてあげられるのが嬉しそうに笑っていた。

「真理を得た者は神となり、神は新たな神理を創る。真理とは世界の仕組み。神理とは人を導く真理である」

「なんだよそれ」

 どういう意味だ? それに神理と真理って同じ発音だから分かりづらいんだけど。

「そういう言葉がありましてね。要するに、自分に合った真理を見つけ、それを極めれば天上界(てんじょうかい)へと昇り、神になれる。そして自分の真理を神の理(ことわり)である神理として天下界に広める、というものです。天上界(てんじょうかい)にいる三柱(みはしら)の神も、元は私たちと同じ人間だったのですよ」

「それくらいは知ってるよ」

「あははは、これは失礼。では話が早い」

 天上界(てんじょうかい)にいる三柱(みはしら)の神々が元人間というのはいわば常識で、それくらいの知識は俺にだってあった。ヨハネは笑って誤魔化した後、表情を戻した。

「そのために三柱の神には人間時代だった頃の多くの文献が存在します。それで琢磨追求の神の名前がですね、リュクルゴス。昔のスパルタ帝国の王だった人なんです」

 リュクルゴス。どこかで聞いた名前だなと思ったが、ああ、そういえば加豪が神託物を出す際、詠唱の中に出てきた名前だったな。

「私の信仰している神理とは違うので詳しくは知らないのですが、まったく、恐ろしい方だったみたいですよ。彼は国を強くするために男子全員を鍛えることにしたのですが、体が弱いだけで使えないと殺してしまったんです。生まれてきた赤ん坊も小さければその場で、です。いやー、当時に私が生まれていれば、誕生と同時に殺されていましたよ。恐ろしい恐ろしい」 

 話の内容にヨハネは怖そうに顔を振ってはいるが、その仕草は芝居掛かっている。本気で怖がっているようには見えないが、普段から浮かべている笑顔とそうした仕草は愛嬌(あいきょう)がある。

 次にヨハネは表情をパッと明るくし、持ち前の笑みを作った。

「その点、私が信仰している慈愛連立の神は優しい方でしてね。名前をイヤスと言います。彼はまだ人間だった頃、病人や怪我人を治して各地を歩き回ったそうです。争いがあればそれを収めたりもしました。立派な方だ、素直に尊敬の念を抱きます。ですので、私はこの神理を選んだのですがね」

 そう言うヨハネの顔は誇らしそうに笑っている。いつも笑顔だというのに、この時浮かべている笑顔はその中でも一番芯のある笑顔に見えた。

「ついでに無我無心の神の名ですが、シッガールタという女性です。彼女は天下界でのあらゆる誘惑を断ち切って心を無にする、悟(さと)り、という境地に達したために神になったそうです。ちなみに、かなりの美人さんだったそうですよ?」

「だったらなんだよ、興味あるか」

 顔を近づけるなうっとうしい。俺は冷たくあしらうが、真面目な話の中にもおちゃらけたことを言う人柄は実にヨハネらしいと思う。

「とまあ、信仰する者には神理上の性格と言いますか、傾向がありましてね。そういうのを把握していれば、多少は人との接し方が分かり易いかと思います。まあ、そうやって考えて人と話すよりも、自分らしく振る舞える方がいいんでしょうけれどね。それに、宮司さんにはもう心配する必要はなさそうですし」

「え?」

 どういうことかとヨハネの顔を見る。俺がどうやって人と接していくか、その参考のために神の話をしていた。しかしヨハネはそんな心配は無用だと言ってきたのだ。

「初めはどうなることと思いましたが、正直、私は安心しているんです。こう言うとまた怒られそうですが、宮司さんから変化が感じられます」

「分かるのか?」

「私は教師です。ものを教えるのも仕事ですが、何よりも生徒を見て、導くのが仕事です」

 語るヨハネの顔には自信と誇りがあった。一切の迷いも躊躇いもない、真っ直ぐとした表情。

「なにか、目標でも出来ましたか? ここに残っていたのも、それについて考えていたのでしょう?」

「……敵(かな)わないな」

「これでも教師歴長いですから」

 穏やかに語るヨハネの表情を、俺は躊躇(ためら)いがちに見つめる。

 俺のクラス担任で、こうして話をしてくれる。クラスに馴染めない俺を案じ黄金律を教えてくれた。話しているだけでも、この人の人柄の良さは伝わってくる。

 相談してみようか。ミルフィアのこと。

 恥ずかしいので顔を下げるが、黙っていようとは思わなかった。この人ならいい気がしたんだ。

「昨日教えてもらった黄金律、考えてみたんだ」

 チラ、とヨハネの様子を窺う。特に聞き返してくることはなく、黙ったまま聞き入っている。俺は再び地面に視線を戻した。

「俺は、ミルフィアと友達になりたいんだ。今はまだ違うんだけど。それで自分がされて嬉しいことをしろっていうからさ、ミルフィアの誕生会を開いたらどうだろうと思ったんだ」

「ほう、いいではないですか」

 俺の報告に温かい声で頷いてくれる。しかし、問題はここからだ。

「だけど、俺には親しい人がいない。誕生会に誘う人がいないんだ。ただ、もしかしたら黄金律なら仲良くなれるかもとは思った。それでも、明日までに見つけないと間に合わなくて……」

 話していて、自分がどれだけ滅茶苦茶で無謀なことをしているのか思い知らされる。親し人はいないのに誕生会に参加してくれる人を集める。それも明日まで。都合のいい夢物語、甘いと一蹴(いっしゅう)されても仕方がない。

「なるほど」

 けれど、聞こえてきた声調(せいちょう)は穏やかで教師としての芯があった。振り向けば、ヨハネの顔は諦めていなかった。

「確かに宮司さんは無信仰者です。そして周りは信仰者ばかり。これでは誘うのは難しいでしょう。しかし、今の宮司さんは黄金律について考えて行動している。黄金律という思想の下、宮司さんは自らの道を手探りながら進んでいるのです。では、それを続けることです」

 そう言うと、ヨハネは俺に振り向き、ニコッと微笑んだ。

「やってみればいいではないですか。信仰とは続けることに意味があります。ここで止めることにどんな理由がありますか。宮司さんは、ミルフィアさんとお友達になりたいのでしょう?」

「ああ」

 即答だった。それでヨハネは一回、大きく頷いた。

「それでは、もう答えは出ているではないですか」

「え?」

「諦めますか?」

 ヨハネからの問いに、俺の表情が引き締まった。

 そうだ、なにを弱気になっているんだ俺は。ここで諦めることになんの意味がある。どの道やるしかないんだ。確証(かくしょう)なんてない、それこそ信じるしかない。手探りでも、この道が正しいって進むしかないんだ。

「どうやら決まったようですね」

 ヨハネはそう言うと立ち上がった。

「おっとっと」

 が、身体がよろめき転びそうになった。せっかくいい感じだったのに!

「まったく、しっかりしてるのか抜けてるのか分からないな」

 ヨハネは「あははは」と苦笑しながら頭を掻いた。そして姿勢を正す。

「それでは、私はこれで」

「待ってくれ!」

 教室から出て行こうとするヨハネを慌てて呼び止める。俺も立ち上がり、ヨハネは足を止め振り返った。

「その、あの」

 ヨハネが向ける「なんでしょうか?」という眼差しに言葉がなかなか出てこない。俺は言葉にすることに躊躇(ちゅうちょ)するが、けれども言った。

「ありがとう。その、ヨハネ、……『先生』」

 尻すぼみに声は小さくなっていき、最後の言葉は霧(きり)のように消えてしまう。せっかく出した言葉なのにこれでは伝わるか分からない。

 だが、俺の不安とは裏腹にヨハネの目が少しだけ開かれた。その後すぐに微笑を作る。

「いえいえ」

 温かな声を残して、ヨハネは教室から出て行った。俺はその場に立ち続け、静かにヨハネの背を見送った。そして窓から差し込む夕日を追いかける。

 空は茜(あかね)色に染まり、これから夜に変わることを告げている。一日の転換期をもうすぐ終えようとしていた。

 けれど、俺はこれからだ。明日にすべてを賭ける。信じろ。無信仰者が自分まで信じられなくなったらお終いだ。

 俺は夕日に背を向け、教室を後にした。

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