11:時川未明

第35話

 俺は一人、『アヴニール』本部である病院の地下を歩いていた。

 父親の病院の地下にこんな施設があるとは思いも寄らなかった。夕日は随分と好き放題にしているものだと思う。俺ら兄弟にとってあまり顔を見せない父親は影の薄い存在で、夕日こそが家長という印象めいたものも抱いていたが、それは印象ではなく事実そうであるのかも知れなかった。何かしらの方法で、夕日は父親のことを掌握している。

 だがしかし……ここはいつか俺が継ぐことになる病院だ。ロリ化した夕日でもニートな深夜でもなく、増してや愚かな弟妹達でもなく、この俺が。好き放題してもらっては困るのだ。

 なるだけ足音を立てないようにはしたが、真夜中の廊下を歩いていると特有の足音が響き渡る。牢屋に閉じ込められた深夜らも、きっとこの音は聞いているはずだった。

 感じているのは緊張か恐怖か。

 しかし事実としては、俺の足音は彼らにとっての福音なのだ。

 「おい兄ちゃん。気分はどうだい?」

 牢屋の前に立ち、窓に取り付けられた鉄格子から、中の様子を覗き込む。

 「最悪だ」深夜は吐き捨てる。「なんせ空気が重い。この双子、お互いに一言も口を利きやしねぇ。べたべたされても鬱陶しかっただろうが、これはこれで一緒にいるとしんどいもんよ」

 「部屋を別けて貰えよ」

 「そうして欲しいもんだが、牢なんて役割の部屋、この本部にそういくつもねぇ。無理だろうな」

 「そりゃ残念。ところでさ兄ちゃん。ここから出してやろうか?」

 深夜の瞳が見開かれた。

 同時に、興味を持ったように、双子の視線が俺の方を向いた。初めてコンビニで会った時に見た通り、二人の寿命には大きな差があった。

 「……何のつもりだ」

 深夜が慎重な目付きで俺を睨んだ。

 「手を組もうって言ってるんだよ。どうやら俺はここの結社員にならなくちゃいけないらしい。学校もあるから通いで良いとは言うが、教育課程とやらも受けなければならないそうだ。この大切な受験期にだぞ? 俺は優秀だから大丈夫とか言ってくるが、冗談じゃねぇ」

 「おまえは要領良いから大丈夫だろ。俺の二の舞にはならないと思うぞ」

 「バッカおまえ。遊びの時間ほぼなくなるじゃねぇか。塾帰りにゲーセン寄ったり、女と遊んだりできなくなる。猛烈な受験勉強中、息の抜ける時間っていうのは、平常時では味わえない程の悦楽だ。それもまた受験の大込みよ。分かるだろ?」

 「分からねぇ。知りたくもない」

 「まあそれもあるけど……一番嫌なのは殺人をやめなくちゃいけないってことだ」俺は腕を組んだまま小さく息を吐く。「姉ちゃんは俺にこれ以上の殺人娯楽を禁止しやがった。でも俺には『指切り』とはまた別の劇場型連続殺人第二弾の構想だってあったんだ。東大に進んで授業にも馴れたら実行するつもりだったんだよ。諦めきれねぇ」

 「……おまえが結社員になりたがっていないことは良く分かった。だがどうするよ」

 深夜は立ち上がり、俺の立っている格子窓の傍に立つと、真剣な表情を浮かべ始める。俺はかつてこの兄と結託して行ったたった一回の悪戯を思い出した。冗談でなく現実的に電車を脱線させる為の最強の置き石。それを作ろうと小遣いを出し合い、ホームセンターでコンクリのブロック等を買い込んだところで、夕日に見付かって怒られたっけ?

 「仮に俺達をここから解き放ち、松本姉妹も入れた四人がかりで正午という暴力装置を掻い潜り、夕日をぶちのめせたとする」深夜は言う。「だがそこからどうするんだ? 夕日を殺しても『アヴニール』はなくなったりしないぞ? 誰かが後を継ぐだろう。おまえの追われる立場は何も変わらない」

 「ところがそうじゃないんだ」俺は懐から一枚の紙きれを取り出した。「これを見ろ」

 それはいつぞや、朝日が『症状』を用いて作った『契約書』だった。

 深夜は目を丸くする。俺は気持ち胸を張り得意げな口調で解説する。

 「おまえが知ってるかどうかは分からんが、俺達のエロ可愛い妹は中二病を発症していたんだ。で、その症状はというと……『不可逆な強制力を持つ契約書の作成』という訳だ」

 俺は深夜に朝日の症状を詳しく解説する。この契約書に書かれた内容にサインをしたが最後、その内容を絶対に放棄できなくなるということ。放棄しようとすると、凄まじい頭痛に襲われるということ。その頭痛は到底我慢しうることではなく、耐え続ければおそらくは死に至るということ。

 「アホの朝日はこれが俺の手元に残っていることを忘れて部屋に帰っちまった。そしてこの紙は余白がある限り何度だって作用する」

 「……それをどう使うつもりだ?」

 「姉ちゃんをぶちのめした後、この契約書に『私、時川夕日は、時川未明の奴隷となり永遠の忠誠を誓う』と綴ってサインをさせる。そうなったもう姉ちゃんと『アヴニール』は俺のオモチャだ。アヴニール総統としての全権を使わせ俺の殺人行為をバックアップしてもらう他、色々と楽しませてもらおうって寸法よ」

 俺は幼い頃から夕日の誰よりも優れた容姿に憧れていた。それは女に困らなくなってからも変わらなかった。かつての憧れの姉の、しかもロリ化した肉体を自由自在にできることを思えば、俺は勃起が収まらなかった。女には困ったことはないが、それだけに妹と姉は別格だ。背徳感という希少なスパイスが味わえる。

 深夜は心底軽蔑した表情を浮かべた。「おまえの考えは分かった。だがどうやって正午のサイコキネシスに立ち向かう? どうせアイツは夕日の傍にいるだろう? 四人がかりで挑んでもあの暴力装置には勝てる気がしねぇぞ」

 「本気で言ってんのか? 正午なんてガキは端っから脅威とは思わねぇ」

 「何故だ?」

 「アイツは十一歳のガキだし俺はあいつの兄貴なんだぞ? いくらサイコキネシスが強力でも発動させなきゃ何でもねぇ。不意打ちでナイフで刺し殺すのはいとも簡単だ」

 「それはやめろ。気を失わせるだけで留めておけ」

 「優しいねぇお兄ちゃん」俺はせせら笑う。もっともナイフで刺すつもりはない。あいつの寿命は七十年は先だから、死なせるようなやり方は通用しない。「……で、問題なのはむしろその後。今はもう夜の十時だからほとんどの結社員は既に帰宅しちまっているが、それでも教育生を夜中見張ってる為の『教官』とやらが二人残ってる。教育生の暴走を食い止める役割を担うそいつらは、どうやら手練れらしくってな。無論、そいつらがやって来る前に一瞬で勝負を決めるのが理想だが、交戦せざるを得ない展開も十分にあり得る」

 「……その為の戦力として俺達をここから出すと?」

 「あーな。兄ちゃんの喧嘩の腕は買ってるし、冷血な『飛行機落とし』の度胸はもちろん、姉の唯花の重力操作も汎用性なら妹に勝る。このチームで『アヴニール』を乗っ取ろうじゃないか。そして全員で自由の身となろう」

 何より重要なのは、ここのナンバー2だったという深夜から得られる情報アドバンテージだ。それを深夜も分かっているのか、勝算の度合いを測るかのように少し黙考すると。

 「……今日の宿直の教官の名前は分かるか?」

 「もちろん調べた。田島と貴志だ」

 「ツイてるな。田島は『サテライト』のメンバーで俺の仲間だ。しかも貴志よりもはるかに腕が立つ。俺が一声かければ瞬殺してくれるはずだ」

 「ますます有利じゃねぇか」

 「そうでもない。まだ一人一番厄介なのが残ってる」深夜は視線を反らした。「夕日だ。あいつは最強の中二病患者だ。指一本触れるだけであらゆる物質の時間を巻き戻す。俺らの身体の時間を生まれる前まで巻き戻すことだって、いよいよとなったら躊躇しない」

 「その心配はないと思う」

 「何故だ?」

 「正午が口を滑らせていただろう。夕日は今能力を大きく使って長いクールタイム中だ」俺は頬に笑みを刻み込む。「そこの零歌ちゃんが引き起こした飛行機事故のことは当然覚えているな? 本来なら、姉ちゃんはあれに巻き込まれて死ぬはずだった。しかし実際には、姉ちゃんたちは都合良く遊園地に遊びに行っていて命を拾った。これは何故だと思う?」

 「……いや未明。おまえ……それはいくら何でも」

 「可能だよ。飛行機事故で死ぬ寸前、姉ちゃんは『自分の記憶以外のこの世界全て』の時間を巻き戻した。そして安全な時間帯に戻って来ると、弟の正午と友達を何人かを連れて遊園地に出かけ、難を逃れたという訳だ」

 時間を巻き戻すという能力は究極的にはそうしたことが出来る。時を遡り、自分に都合の良い未来を選択できる。それはまさに神の如き振る舞いだと言える。チートそのものだ。

 「……確かに俺も、事故を回避したのは都合が良すぎるとは思っていた」深夜は額に手をやった。「しかし、それほどまでに夕日の症状が進行していたとは。にわかには信じがたい」

 「世界そのものの時間を巻き戻すなんて無茶をやっては、その消耗は計り知れない。クールタイムは極大だ。今の姉ちゃんはオイルのなくなったライターみたいなもんだろうよ」

 「……そうとも限らんぞ。PSY系の患者にとって、クールタイムなんてのはダムに水が溜まるのを待つような時間だ。満タンになるまでは時間がかかるが、少量で良いならすぐに溜まる。ごくわずかになら能力行使は可能かもしれない」

 「それでもフルパワーを発揮できないのなら大分マシだ。勝負をかけるなら今日この瞬間しかない。乗ってくれ兄ちゃん」

 そう言って、俺は契約書に文章を綴り、深夜の前に差し出す。

 そこには、『私、時川深夜は、生涯に渡り、時川未明の殺人行為を妨害するようなことはしません』と書かれていた。

 「これにサインしろ。そしたらここから出してやる」俺は深夜にボールペンを差し出した。「ことここに至れば大義がどうたらより、大切なのは自分の身の上だろう? 選択の余地はないはずだ。……ほら。このペンで」

 深夜は苦汁を飲み込むように頷いた後、格子から腕を出して契約書にサインする。

 サインの成された契約書を俺は懐に片付ける。そして、ちょろまかして来た鍵で、深夜たちを部屋から解放した。

 俺は深夜に片手を差し出す。

 「やろうぜ兄ちゃん」

 深夜は乱暴に、しかししっかりとその手を握り返した。

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