第36話

 唯花と零歌の姉妹は付いて来た。

 そっちの説得にはあまり時間は使わなかった。零歌の方は根本的に何を考えているか分からない奴だったが、それでも唯花が「ここはこの人に付いて行こう」と口にすると俯いたまま頷いた。

 俺達は夕日と正午が宿泊している個室の前に来ると、深夜たちをその場に待機させた。

 「ここは俺が行って来る。黙って近付いて首に肘でも打ち込めば正午の奴は瞬殺だ。その後合図を出すから、入って来てくれ」

 これが成功するなら深夜達はそもそも必要ない。必要と思って保険をかけたまでだが、それでもここで勝負を決められるに越したことはなかった。

 俺は部屋をノックして中の二人に呼び掛けた。

 「……おい正午。起きてるか? 話があるから扉を開けてくれ」

 ここで正午の方を呼ぶのは奴の方から近くに来てもらう為だ。俺は現れた正午を一撃で葬り去れるよう心の準備を始めた。

 その時だった。

 扉が開け放たれると同時に、俺は正午のサイコキネシスによって宙に浮かされ、廊下の壁に叩き付けられた。

 見えない力によって全身を拘束され、あまつさえ壁に叩き付けられるというのは、尋常じゃない恐怖と苦痛を俺に齎す。見れば手を前にかざした正午と共に、表情を消した夕日が部屋から出て来た。

 「……お姉ちゃん。これで良かったのだ?」正午は夕日に言う。

 「ああ構わない。良くやった正午。さて」夕日は俺の方に視線をやる。「未明。いったいなんのつもりだ?」

 「いや……こっちの台詞だろそれは。何のつもりだよ。早くやめさせてくれ」

 俺は辛うじて動かせる唇でそういう。手足は完全に拘束され身動きはほとんど取れなかった。

 「ドアを開けた正午をおまえはいきなり殴り倒して気絶させた。私は訳も分からず、残っていたすべての力で五秒だけ時間を遡行させた」夕日は俺を見上げながら一歩ずつ近づいて来る。その表情には微かに哀しみが見て取れた。「そして過去に戻ると、まだ無事でいる正午に、『ドアを開けて未明を拘束しろ』と命じたという訳だ」

 「おい嘘だろ……。まだクールタイム中じゃなかったのか?」

 「クールタイム中だとも。だからたったの五秒時間遡行するのがやっとだった。限界を超えて力を使ったから、今度こそ完全にガス欠だ」夕日は息を吐き出した。疲れているようだ。「さあ。目的を話してもらおうか? 何故おまえは正午の気を失わせようとした?」

 俺は敗勢に立たされていた。これこそが時間を巻き戻せる相手との戦いだった。こちらの成功はすべてなかったことにされ、向こうに不都合なことはすべてやり直しにされる。

 俺は昔わがままだった幼い朝日としたトランプやオセロを思い出す。『待った! それなし! やり直させて! 三手前からね!』ふざけるなというものだ。

 「さあ話せ。おまえは何を企んでいた?」

 宙に浮かされながら俺は逡巡する。話さなければ正午に首を折られるが、しかし話したら話したで、どっちにしろ首を折られるような気がしてならない。やはり俺は夕日には勝てないのかと諦めかけたその時。

 「おいバカ未明! 何いきなり失敗してんだ殺すぞ!」

 事態を察した深夜が飛び込んで来て正午に殴り掛かった。正午は思わずと言った様子で俺を拘束から解除し、深夜の方を宙に浮かせ壁に叩きつけた。

 「未明! そして双子共! こうなったら破れかぶれだ! 四人がかりで正午を倒す!」壁に押し当てられながら深夜は叫ぶ。「こいつの力は凄まじいが一度に一つのものしか持ち上げられない! 四人で突っ込めばなんとかなる! 所詮はガキだ囲んでぶん殴れ!」

 その声に呼応して、戸惑う唯花を尻目に、勇敢にも零歌が正午の方に走り寄った。正午は恐怖に顔を歪めながら、今度は零歌の方を壁に叩きつける。これによって深夜が解放された。

 「何故だ未明! 何故そいつらと共に私を裏切った!」夕日は泣き叫ぶかのようだった。「弟だろう! 可愛がってやっただろう! 何故私の味方でいてくれない! 何故だ!」

 「悪いな姉ちゃん」俺は言う。「俺は姉ちゃんの部下の結社員なんて心底ごめんなんだ。殺人をやめるのもな」

 「……くっ」夕日は懐からスマートホンを取り出して操作をし始めた。増援として、宿直の教官とやらを呼ぶのだろう。「おい正午! 何を手ぬるいことをしている! 壁に何度叩きつけたってダメだ! 脚の骨をへし折ってしまえ!」

 「の、のだっ。分かったのだ!」

 飛び掛かる深夜を宙に浮かせると、正午は容赦なく両脚をへし折った。「ぐおおおっ!」という悲鳴の後に、深夜は床へと落下して悶絶し始める。

 「わ、わわわわっ」正午は涙目になって震えはじめた。「い、痛そうなのだ。怖いのだ……こんなことしたくないのだっ」

 「戸惑うなっ。正午、おまえは殺されかけたんだぞ! 容赦はするな!」

 「おい零歌!」俺は叫び、懐から常に持ち歩いている三本のナイフを正午の頭上に闇雲に放り投げる。「頼む!」

 零歌は頷くこともせず症状を発作させる。放り投げられたナイフの全ては切っ先を下にして、正午に向けて降り注いだ。

 もちろん正午はそれらを一本ずつ念動力で遠ざけようとするが、正午を着地点に自然落下するナイフは、遠ざけても遠ざけても正午の方へと落ちていく。

 「正午! 前や上に遠ざけてもダメだ! 床に叩き落すんだ!」

 「の、のだっ!」

 叫ぶような夕日の指示に、正午は言う通りにする。そうやって床へと叩き付けられて停止したナイフを、即座に唯花が足で蹴飛ばした。

 唯花の脚が触れたことで『症状』の作用対象となったナイフは、重力の向きを逆転させて天井へと飛び上がって行った。そしてナイフが天井へと着地する前に、唯花は症状の発作を解除する。ナイフは正しく床へと向けて落下し始めた。

 「零歌ちゃん!」

 「うんっ」

 喧嘩中とは言え流石は双子。息はぴったりだ。三本のナイフは零歌の症状の作用を受けて、正午の急所めがけて降り注ぐ。正午は念力を使う余裕もなく逃げ回ろうとするが、ナイフは執拗に正午を追い掛けた。

 「逃げるな! ナイフは叩き落せ!」夕日は叫ぶ。

 「の、のだっ」正午はナイフを一本ずつ床に叩き落し始める。

 「そしてナイフにばかり固執するな! 隙を見て相手を倒せ! 攻撃は最大の防御だ! 全身の骨をへし折れば症状を使う余裕などなくなる!」

 正午は所詮子供だった。自分一人の判断では的確と言える行動には出られない。冷静な夕日が勝つ為に必要な指示を出しても、年齢相応の臆病さ故、残酷な行為には躊躇してしまう。

 その隙を突くのは簡単だった。双子が尚も連携して降り注がせ続けているナイフの処理に慌てる正午に、俺は後ろから飛び掛かった。

 「……! 危ない正午!」

 夕日は叫ぶが、もう遅い。正午がこちらを向いて念力を行使する前に、俺は正午の後頭部に全力で肘を叩きつけた。

 小学五年生の弟を俺が全力で殴ればそりゃあ気絶する。泡を吹きながらその場で倒れ伏す正午を踏み越えて、俺は夕日に言った。

 「俺達の勝ちだ。姉ちゃん、言うことを聞いてもらおう」

 俺は懐から取り出した『契約書』を夕日に突き付けた。

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