9:時川未明
第29話
仕事で忙しい夕日だったが、たまには帰って来て俺達弟妹の相手をしてくれる。
ただし、その姿は昔とは違っている。幼いのだ。
中二病患者である夕日は、『あらゆるものの時間を逆行させる』という『症状』を持っている。その強力無比さと言えば凄まじく、指先一本触れた相手を、キンタマの中の精子と同じ姿に変えて殺害せしめる程だった。
その力を使って夕日は今、小学五年生の姿に戻っている。何故そんなことをしているのかと言えば、ハッキリ言ってそれは道楽らしかった。
『私にはあまり楽しい学生時代はなかったからな。一度子供時代に戻ってやり直してみたいと思っていた。それが叶うだけの力を持っているなら、実行しない手はないだろう』
そうやってロリ化した実の姉を、朝日なんかは『カワイイ!』と言ってわやくちゃにしたものだ。だが深夜はドン退きだったし俺も似たようなもので、正午に至っては母親代わりだった姉が同級生になった事実を受け入れるのに、三日間寝込まねばならなかった。
音無夕菜という名前と戸籍は、適当な負債者夫婦の娘から借り受けたそうだ。本物の音無夕菜は家に引き籠りで学校に行っていなかった為、都合が良かった。候補は他にもいたそうだったが、成り代わる相手をその子に決めた決定打となったのは『名前』らしかった。
「『音無』という名字は珍しいし印象的だ。それに、私は自分の名前の『夕』の字が好きなんだ。マストだと思ったよ」
そんな訳で、音無夫婦は多額の報酬を得る代わりに娘の戸籍を夕日に売った。そして本物の音無夕菜を知る者が存在しないこの街まで引っ越させ、新しい生活を始めさせた。
夕日は音無家のアパートに自分の部屋を用意させ、そこから小学校に通うことになった。時川家の屋敷と家長である父の顔は街中の人間に知れ渡っている為、『友達と家で待ち合わせて学校に行く』『友達を家に招く』『友達に両親を紹介する』と言ったシチュエーションに支障が生じる。だから、夕日は『音無夕菜』としての仮の家、仮の家族を必要としたのだった。
「楽しいのかよそんな道楽。俺には分かんねぇな」
夕日が時川の屋敷に帰った今日という日に、俺はそんな疑問を口にした。
「そう思うのは、未明が充実した子供時代を送ったからさ。私は散々だった。他と違う髪色をからかわれたり、自毛だというのに先生に怒られたり、身体が弱い所為で友達と上手く遊べなかったり、放課後も母さんにずっと勉強をさせられ友達付き合いも制限されたり……やり直したいと思うくらいの時代ではあったよ」
今の時川家に母はいない。正午を産んですぐ死んでしまったからだ。しかし夕日の子供時代には母親の存在が色濃く存在しており、俺も覚えているが厳しい、というかかなり酷い人だった。兄弟の中で唯一体の弱い夕日は、欠陥品と言われ虐待されていたのだ。
「そして私は何だってやり直すことが出来る。だったら望むだけやり直すだけさ」
コーヒーカップを傾けながら、夕日は満足げな表情で言った。
「そんなに身体を小さくして、消耗とか大きくねぇの?」
「年単位時間を逆行させるとなると、まあそれなりにクールタイムは必要だったな」
「どんくらいなの?」
「私の主観時間で数時間程」夕日は妙な言い方をして、それから立ち上がった。「それじゃあ私もそろそろ『学校』だな。と言ってもいったん自動車で音無の家の方にランドセルを取りに行ってからだが。徒歩でこの屋敷を出るところを目撃されては厄介だ」
「学友として、正午とパジャマパーティしてた、じゃダメなのか?」
「一度や二度なら問題ない。だが何度もは使えない言い訳だ。ではな」
そう言って夕日は家を出ていった。深夜ではない運転手を、下のガレージに待たせているようだ。
夕日は小学生としての生活を趣味として楽しむ傍ら、怪しげな事業も営んでいる。その両立は忙しいようで、帰って来る時間は限られる。今日も無理をして早朝に三十分間だけ家に来てくれたのだが、深夜は外をふら付いているし朝日は部活の朝練で、正午は毎日学校で夕日と会っているから家で会う為だけにわざわざ早起きしない。よって話が出来たのは俺だけだった。
夕日が来たのは朝の六時とかだったから、今はまだ身支度をする時間には早い。俺はテレビをつけた。
小学校に飛行機が墜落した事故についての報道が続いていた。担架に乗せられて救急車に乗せられる小学生の頭上に、数時間後の寿命が表示されている。手当の甲斐なく死ぬのだろう。俺はそれを面白がりながら夕日の淹れてくれたコーヒーを啜った。
人の寿命の見える俺にはこの事故は概ね予知できていた。いや飛行機事故とまで分かっていた訳ではなかったが、それでも地元の小学生が大勢死ぬことは、すれ違うガキ共の寿命を見て理解していた。
夕日や正午のことを心配しなかった訳ではない。だが彼女らの寿命は共に数十年後だと表示されていたし、それはつまり上手いことやって生き延びられるということだ。無論事故に巻き込まれれば大ケガくらいする可能性もあったが、しかし彼らにそれを知らせるということは、俺が中二病患者であることをカミングアウトすることに繋がる。
俺は夕日のようには自分の症状を家族に明らかにするつもりはない。己が異能を誰にも秘密にしているからこそ味わえる背徳感というものはある。そのことが彼女らに大ケガをさせうるのだとしても構わなかった。確かに俺は夕日が好きだし正午が好きだが、それは自分の重大なポリシーに反する程のことではなかった。
また実際、夕日と正午は奇跡的に遊園地に行っていて助かった。カスリ傷一つ受けなかったのだ。そのことを俺はとても喜んだ。俺は姉と弟を深く愛している。俺が俺を愛するのには遠く及ばないまでも。
自分だけが予知できた惨劇を眺めつつ、コーヒータイムに耽っていると、甘美な全能感が体中を駆け巡る。こうした瞬間、俺は確かに、あらゆる死を司る死神の気分になれるのだ。
「……そろそろ行くかな」
十分満足にその時間を満喫した後、俺は鞄を取りに立ち上がった。
死神の時間は終わり、学生としての時間を謳歌しに行く。これはこれで貴重であることを、俺は理解している。夕日のように、俺の時間はやり直しが利かないのだ。
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