第28話

 本当に車はやって来ました。深夜はわたし達の前に車を止めると、「入れよ」とでも言いたげに後部座席に顎をしゃくりました。

 わたしと音無が車に乗り込むと、深夜は「どこまで?」と音無に冷たい声で尋ねました。

「本部」

「……おい。おまえ何言って」

「良いから」

 そう言うと、深夜は憮然とした顔で運転を開始します。音無のその様子に年長者に対するものとは思えない横柄さを感じたと同時に、それに素直に従っている深夜にも違和感を覚えました。

 連れて行かれたのは、この地域一帯を支配すると言っても過言ではない大病院・時川病院の建物でした。わたしも何度か医者に掛かりに行ったことがありますが、それは一目見て記憶に残る程の建物でした。病院としてはそこは大きすぎ、階層も高すぎるのです。無機質な白い建物が静かに街を見下ろすその様子は、気味の悪い摩天楼のようでした。

 深夜の運転するスポーツカーは、『職員用』という看板の隣を悠々と通って地下駐車場へと侵入し、『これより専用駐車場 一般職員立ち入り禁止』と書かれた看板の下をくぐり抜けました。そしてこれまでの駐車場と比べて高級車ばかりの駐車場に車を停止させました。

「おらよ」

「ありがとう。深夜お兄ちゃんも来る?」

「来ねぇよ。後、その深夜お兄ちゃんってのやめろ。おちょくんな」

 音無は答えることなく後部座席から降りて、わたしの手を引いて駐車場を歩きました。

 薄暗い駐車場は気圧も独特で、唐突に連れて来られた緊張も相まって、独特の閉塞感がありました。わたしは不安げに音無の顔を見ましたが、音無は涼しい顔で歩き、そして地下駐車場に設けられた病院の建物の入り口の前に立ちました。

 そこには鉄製の大きな扉がありました。扉には一枚のタッチパネルの傍に、マイク機能を持つらしい小さく無数の黒い風穴がありました。

 音無はタッチパネルを操作してから、呟くように言います。

「私だ」

 扉は自動的に開かれました。静かな足取りで、音無はわたしを連れて建物内へと入って行きます。

「音無……これって」

「良いから良いから」

 音無はいつもの笑顔でした。わたしの手を引いたまま白い廊下を進み、一枚の扉をあけ放つ素……そこには事務室めいた空間がありました。

 二十代くらいの人達が、パソコンのモニターを前にして何やら仕事のようなことをしています。人はまばらなのに対し部屋の面積は大きく、モニターの数も多く、大きな会社の綺麗な事務室と言った様子でした。

 仕事のようなことをしていた人たちが、一斉に音無の方を向きました。彼らは小さく会釈をする、親し気に片手を挙げる、視線だけを向けて声だけを発するなどして彼女を迎えました。

「こんにちは総統」

「お疲れ様です」

「お疲れ様」

「やあやあ」

「ちわーっす」

 それら一つ一つに頷いた後、音無はわたしが聞いたこともないような大人びた声で答えます。

「皆お疲れ。今日は、新しい仲間を連れて来たんだ」

「その子ですか?」

 仕事のようなことをしていた一人……眼鏡をかけたラフな格好の青年が言います。年恰好も服装も、如何にも大学生と言った容姿です。

「若いっすね。若いっていうか、子供? もちろん中二病患者なんすよね?」

「ああ。くれぐれも言っておくが、彼女は私の親友だ。小学校のね。扱いは最大限丁寧にお願いする。何か要望を口にするようだったら、たいていのことは叶えてやって良い。……ただし、もちろん、私が良いというまではここから出すな」

「了解ーっす。で……どうしましょうか?」

「教育部門の連中に、一番良い部屋に一番良い設備を用意させておけ。分かったな」

 そう言って、音無は「ふう」と息を吐いて、いつも編んでいる緩い三つ編みを二本とも解きました。これまでに編まれていたということで、漆のような髪はふわりと若干の癖を持って広がります。さらに音無は縁の赤い眼鏡を取って、その大きく澄んだ瞳を晒しました。

 そうしていると音無は別人のようでした。普段の少々ダサめな、野暮っためなファッションに掠められていた、本来の美貌が露わになります。

 若干のボリュームのある長い黒髪が小さく細い顔を覆い、黒目がちの大きな瞳には、宝石のような輝きが宿りました。まつ毛は瞬きでそよ風を起こせそうな程に長く、小ぶりの鼻はつんと高く尖り日本人離れしています。音無が妖絶な微笑みを浮かべながらこちらをそっと見やると、あまりにも怜悧なその美貌に思わずわたしは身が震えてしまいました。

「……眼鏡は伊達なんだ。変装用でね。万が一昔の知り合いに出くわしたら、私だとバレてしまわないとも限らないから」

 音無は言います。わたしには言っている意味が何も分かりませんでした。

「髪を黒く染めて三つ編みにしたのも同じ理由だよ。と言ってもこれは趣味も少しある。私は本来の栗色の髪が嫌いでね。他と違うというだけで随分とからかわれて来たものだから。弟妹がまったく気にしないようにしているのを見ると、かえってみじめな気分になった」

「何を言って……」

「髪の癖は元々強いんだ。三つ編みにすればあまり目立たない。ナチュラルにウェーブがかかっていると言えば良いが……整髪料なんてない隔離施設にいた頃は、随分と苦労したものだったよ。それで編むようにしていたんだ。もっとも今の時間軸にそれを知る者はいないがね。あ……ちなみに瞳の色は自前だよ? 隔世遺伝で、兄弟の中でわたしだけ目が黒い」

「音無さん。あなたはいったい……」

「私? 私は君の親友だ。それだけは絶対に何も変わらないよ。君が望むのなら、音無夕菜として振舞うことはできるんだが……どうしたものかな?」

 そう言って、困ったような微苦笑を浮かべる音無。その表情や仕草は、どこまでも妖艶で大人びています。まるで同級生の音無夕菜が、どこか遠くに行ってしまったかのように。

「違和感を覚えなかったかい? 確かに、私は意図して幼く振舞ってはいたが、それでも随所でボロは出たはずだ。素直で人を疑うことを知らない君だから、多少気を緩めても気づかれる心配はないだろうと、思ってはいたが」

「どういうことなんですか! 説明をしてください!」

 わたしはそこで声を大きくしました。自分の中に生じている混乱と困惑を、感情のままに音無にぶつけます。

「言われるがままに来てみれば……いったいここはどこなんですか? あなたは何者なんですか!」

「心配しないでくれ。君を悪いようにするつもりはないんだ。むしろ私は、君にとって一番良いことだろうと思って君をここに連れてきた。話を聞いて欲しい。きっと納得してくれるはずだよ」

「質問に答えてください!」

「もちろんさ。ここは異能結社『アヴニール』の本拠地だ。世界中の中二病患者を政府の弾圧から守り、中二病患者が堂々とその力を有効に活用する社会を作る為の、秘密結社だ」

 わたしは返事も出来ません。一体何を言っているのでしょうか?

「今この瞬間も、政府に対して革命を起こす為の準備を進めている。世界中の中二病患者をリストアップし、適宜コンタクトを取りながら勢力を拡大する。必要ならばスカウトした中二病患者に適切な教育を施して、結社員としての成熟を促す。やがて戦力が整った暁には、離島の隔離施設を襲撃して、そこに囚われている中二病患者を救い出し、自由にするのだ」

「そんな無茶なことを……」

「それはもうすぐに成し遂げられることだ。その瞬間は、最早目の前まで迫っているのだよ」

 音無は自信に満ちた表情を浮かべました。自分の言っていることに何の疑いも抱いていない、それはある種の異常者の顔でした。

「さて。もう一つの質問に答えよう。私が何者かというと、第一には君の親友なのだが、それでは君の疑問は晴れないだろう。だからはっきりと単刀直入に言わせてもらうと……私はここのボスなんだ」

 わたしは愕然とするあまり全身から力が抜け、その場で倒れそうになりました。

 あまりの世界の変わりように、わたしは気が遠くなるかのようでした。音無はそんなわたしの肩を抱き、優し気に微笑みながら腕を背中に回しつつ、じっと顔を合わせて来るのです。

「音無夕菜というのは本名であって本名ではない。本当の名前は夕日という。時川夕日。君の友人である時川正午の、実の姉だ」

 息のかかるような距離で、音無はわたしの瞳をじっと見据えます。音無の瞳は吸い込まれそうに黒く、澄んだ深海のような闇の色をしていました。

「歳は二十七。空桜とは同級生だ。君の二倍以上は生きている。……とは言え、君とは対等な関係でいたいから、それを気にする必要はない。今まで通り接して欲しい」

「……わたしはいったいどうなるんですか?」

「これから君は軟禁状態に置かれる。なあに、怖がることはない。欲しいものは何でも取り寄せてあげるし、外から見て分かるように、この建物は広いから何も窮屈ではない。この中で君は結社員となる為の教育を受けてもらうが、それも然程大変じゃない。そしてカリキュラムが終了すれば、君は晴れて異能結社アヴニールの結社員となる。私は君を贔屓するから最高幹部の待遇を約束しよう」

 わたしが何も答えずにいると、音無は寂し気な笑みを浮かべつつも、わたしの肩を抱いたまま続けます。

「まさか君が中二病患者になるなんて思わなかった。夢のようだ。世界を変える為共に戦おう。……愛してるよ親友。永遠にね」

 静脈が浮くような白く細いその腕に、わたしは自分が絡めとられたのを感じていました。

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