第27話

 帰路の空気は重いものでした。渡辺は友達の名前を順番に口にしては嘆くように拳を握りしめています。時川は呆然とした様子でどこへともなく視線を漂わせ、音無は結んだ唇でじっと窓を眺め続けていました。

 やがて自動車はわたし達の街に帰り着きます。時刻はまだ午後の四時過ぎで、日は高いところにありました。

「このあたりで解散で良いか、おまえら」

 だからという訳でしょう。深夜はわたし達を一人一人家に送ってくれたりはせず、街のテキトウなところに放り出しました。このあたりはいい加減なものでしたが、わたし達は文句を言いませんでした。

 「自分はこっちだから」と言った渡辺と別れ、わたしは音無と二人で街を歩きだしました。

 空気は重たいものでした。街中を駆け巡る救急車のサイレンの音が、それを加速させていきます。小学校の方まで様子を見に行くことを提案しそうにもなりましたが、瓦礫の山と化した校舎を見て冷静さを保てる自信もありませんでした。

「あ……。松本さん」

 音無が気付いたように言いました。すると、公園のベンチに腰掛ける、中学校の制服を着た痩せた少女の姿が目に入りました。

 それを見て……わたしは絶句しました。

 少女はその頭上に『254』というおぞましい値を持っていました。わたしが目を擦ったその数瞬の間にも、その数字は『255』『256』と大きくなっていきます。どこかで誰かが今も息絶えていることを、示すかのように。

 わたしの『症状』は『その人がこれまでに殺した人数を数値化する』というものです。しかしもし彼女を見たのがこの時この瞬間でなければ、わたしは自分の能力に対する認識を疑うことになっていたでしょう。何故ならその数値はあまりにも大きすぎ、わたしと二つ三つしか違わないだろうその少女が持つには、あまりにも信じがたい値だったからです。

 ですが今なら分かります。

 小学校に飛行機を墜落させた犯人は……彼女でした。

 何らかの『中二病』の症状を使って、この少女はそれを実行したに違いありません。

「松本さん。おーい!」

 音無が声をかけると、松本と呼ばれた少女はその白貌を上げました。いとけない、整った顔でした。松本はぎょっとした様子で音無の方をまじまじと見ると、幽霊にでも出会ったかのような表情で肩を震わせました。

「お、音無さんっ? ど、どうして……?」

「どうしてって何? ……あ、分かった。死んだと思ったんでしょ、墜落事故で」

 そう尋ねられると、松本は一瞬だけ視線を泳がせると、「あー……」と胡乱な声を発した後、音無の方に向き直って引き攣った笑顔を返しました。

「そ、そうなんだよー。良かったよ音無さん生きてて。心配したんだよ」

「そっかそっか。……で、どうしたの? なんで外にいるの? 学校は?」

「墜落事故の影響で、中学校も途中で終わったの」

 松本は言います。

「生徒達の動揺が大きくて、授業にならないんだって。そりゃそうだよね、小学校に弟妹がいる人もいるだろうから。ラッキーラッキー」

「そっか。で、今何してたの?」

「実はお姉ちゃんと喧嘩しちゃって。それで家飛び出して、拗ねてたの」

 松本はそう言って唇を尖らせました。

「へえ。珍しいね」

「うんそう。私も私の言い分たくさん説明したんだけど、全然理解してくれなくってさ。お姉ちゃんずっと泣きながら私を責めるばっかで……なんか立て板に水なの。平行線上って感じ。こんなこと、今まで一度もなかったんだけどなあ……」

 そう言って唇を尖らせる松本からは、瓦礫に埋もれ今尚救助活動中の小学校への興味や関心など、一切感じられませんでした。二百人を超える人間を殺しておきながら、唇を尖らせて姉妹喧嘩の愚痴をこぼしているその姿に、わたしは憎しみよりも恐ろしさを感じます。

「……まあでも、ずっと拗ねてても仕方ないよね」

 言いながら、松本は立ち上がりました。

「もう一回話してくるよ。多分、ちゃんと話せば分かってくれるから。お姉ちゃん、優しいもん。きっと大丈夫に決まってるよ」

「そうだと良いね。……じゃあね」

「うん。ばいばい」

 言いながら、音無と手を振り合って立ち去って行く松本。その表情には、既におだやかな微笑がありました。

「……今のが、わたしに『指切り』の暗号のヒントくれた松本さん。すっごいアタマ良いんだよ」

「……そうですか」

 わたしは視線を俯けて言いました。

「……どうしたの北原? なんかさっきより浮かない顔だね。嫌なことでも考えた?」

「嫌なことっていうか……」

「話したかったらいつでも言ってね。あたし達、親友だもんね」

 言いながら、音無は自分の額にある、サクランボのキャラクターの片割れを指さしました。

 わたしは音無の顔をじっと見詰めます。そうです。音無はわたしの親友でした。付き合いは一年と少しと言ったところですが、十一歳のわたしにとってそれは何も短くない、とても長く濃密な時間でした。わたし達はくだらない喧嘩をしつつも色んなことで笑い合い、喜び合い、互いのことを理解しながら、ずっと肩を並べて来たはずでした。

「あの……音無。ちょっと言っておきたいことがあって」

「うんうん。何でも言って」

 音無は屈託のない笑みを浮かべます。わたしが何を言っても、音無は同じ笑顔のままで、しなやかに受け止めてくれる確信がありました。

「実は……あの、わたし……」

「うんうん」

「中二病患者なんです」

 音無はその一瞬で表情を消し、そしてわたしの手を引いてこう言いました。

「分かった。詳しく聞こっか。ここじゃ誰かが聞いてるかもしれないから、場所変えよ」

 わたしは小さく頷きました。




「……じゃあ。北原には、松本さんが二百五十六人を殺したっていうことが、その『症状』のお陰で見えたんだね?」

「……はい。そうなんです。わたし……怖くて」

 いつか誰かに話さなければならないことのはずでした。わたしの目は誰がどれくらい罪深い殺人犯であるのかを見抜くことが出来ました。そして『指切り』の正体も知っていました。もっと早くそのことを誰かに打ち明けられていれば、空先生は死ななくて済んだはずでした。

「わたし……この『症状』のこと、お母さんにも言おうと思うんです」

「どうして?」

「だって……わたしは松本さんが飛行機落としの犯人だと知っています。松本さんはきっと『中二病患者』です。その症状で飛行機を落としました。わたしが言わなかったら、彼女の犯行は誰にも知られないままかもしれません」

 罪には罰が与えられなければならないという以前に、このまま松本を放置しておくのは危険すぎました。二百五十六人を殺して平気でいる人間ならば、この先何千人でも殺す可能性があります。大勢の人が死ぬと分かっていながら小学校に飛行機を落とせるような人を、野放しにしておく訳にはいきませんでした。

「それだと北原が隔離施設行きになっちゃうよ?」

「……それが当然なんです。むしろ遅すぎました。中二病患者を隔離することの意味が、わたしには今日、やっと分かりました。松本さんのような危険な中二病患者を野放しにしない為、そして別の誰かに中二病を移さない為」

 わたしは顔を俯けて言いました。

「わたしは『指切り』の正体も知っていました。それをすぐに打ち明けていれば、空先生は死ななくて済みました。空先生を殺したのはわたしなんですよ」

「それは違うよ。空先生を殺したのは北原じゃない」

「でも……わたしが打ち明けられなかった所為で」

「だからそれは北原が悪いんじゃなくて、今の社会制度が悪いんだよね? 中二病ってだけですぐに隔離施設に送られるから、誰にも言えなかった訳じゃん。空先生は社会制度の犠牲者だよ。北原もね? あたしはそう思うなあ」

「……そんなはずは」

「ないことないよ。北原は何も悪くない。何も悪くない北原が隔離施設に行くことなんてない。ところでさぁ……」

 音無は、そこで自分の頭上を指さして、こう言いました。

「あたしの頭にも数値見えてるよね? やっぱ『1』って出てる?」

 そう訪ねられ、わたしは沈んだ声で答えました。

「……はい」

「そっか。訳とか聞く?」

「……話したくないのなら、良いです。墓まで持って行けと言われれば、そうします」

 それは友達相手の依怙贔屓なのでしょうか? わたしは自問しました。ただわたしは音無のことを信頼しようと思ったのです。音無が過去に人を殺したのが事実なのだとしても、それはきっとやむを得ない事情で、よって音無の数値がこの先増えることはないのだと。そう確信できているのなら、それ以上その数値について掘り下げる必要はないのだと、わたしにはそう思えたからなのです。

「あははありがとう。それは本当に助かる」

 音無は「よっ」と声を出してベンチから立ち上がりました。

「北原の中で、すべてを打ち明けて隔離施設に行くっていう気持ちは、変わらない?」

「……そうですね。少なくとも、松本さんの数値を見てしまった以上、黙っている訳にはいかないと思います」

「そっか。分かった。じゃあ、そうする前に……最後に一つだけお願い、聞いてくれる?」

 わたしは顔を上げました。そこにはわたしの前に立ち、いつになく慈愛に満ちた表情の音無が立っています。膝に手をやってわたしを見下ろすその表情は、どこか年上のお姉さんのようでした。

「最後のお願い?」

「そう。ちょっと来て欲しいところがあるんだ。そこで話をしよう」

「……それってどこなんですか?」

「行けば分かるよ。……良いかな?」

 断る理由はありませんでした。わたしが頷くと、音無は笑顔を浮かべて、それからスマートホンを取り出して操作をし、耳元に当てました。

「もしもし? 深夜お兄ちゃん? うん? そう、今は『こっち』。ちょっとさ、今から言うところに車持って来てほしいんだ。お礼はするからさ」

 そう言ってしばらく会話を交わすと、音無はポケットにスマートホンを仕舞い込みます。

「もうすぐ迎えが来るから。ちょっと待っててね」

「……なんで深夜さんが、あなたの言うことを聞いてここに来るんです?」

 今日一日を共にしたと言っても、まるでタクシーのようにいつでも呼び付けられるような関係は、二人の間にないはずでした。二人は今日が初対面のまったくの他人で、何か事情があって運転を頼むにしても、もっと事情を説明したりだとかの手続きがあるはずでした。

 わたしの当然の疑問に対し、音無は

「細かいことは気にしないのー。ハゲるよ?」

 そう言ってわたしの額をつついたのでした。

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