第26話
「ねぇ北原」
「…………」
「ねぇ北原。怒ってる?」
遊園地内のベンチに腰掛けながら、わたしは音無に背を向けていました。
「……怒ってますよ」
「何に怒ってるの? チョコレートのソフトクリームを食べる北原に、あたしが『うんこだっ。うんこ食べてるっ』って言ったから?」
「違いますよ」
「嫌がる北原に対し、あたしが尚も『ねぇ北原うんこどう? うんこおいしい?』ってからかったこと?」
「違いますよ」
「食べ終わった後トイレに行こうとした北原に、『うんこ食べたからうんこしたくなったんだっ』って大笑いしたこと?」
「違いますよ」
「じゃあ、近くのトイレが分からなくって困ってる北原を、あたしがソフトクリーム屋さんに連れて行って『ほら北原! ここでしなよここで! うんこ屋さん! うんこ屋さん!』って言ってはしゃいだこと?」
「そうですよ! それなんですよ! わたしが怒ったのは!」
わたしは音無の方を振り向いてアタマを引っ叩きました。
「こっちは下痢っ腹抱えてたんですよっ! どうしてわたしがあなたの冗談の為に尊厳の危機を迎えなければならないんですかっ!」
「下痢っ腹抱えてたんだ……。確かに妙に済ました顔してるなとは思ってたけど……そういうことは隠さず申告した方が良いよ」
「だからトイレに行くって言ったんでしょうが!」
わたしは音無のアタマを尚も引っ叩きます。
「こいつは! こいつはもう! もうっ!」
「アハハハっ。ごめんって北原。謝るから許してよ。アハハハっ」
そう言って尚も頬に笑みを浮かべている音無。反省しているようには見えません。
「本当にごめんって北原。ほら、これお詫びの印」
そう言って差し出したのは……サクランボをモチーフにした、このテーマパークのキャラクターの髪飾りでした。
「……何ですかこれ?」
「北原がトイレ行ってる間に、近くで売ってたの。一個ずつ友達と共有したら、ずっと親友でいられるんだって」
そのサクランボのキャラクターは、ヘタのところで一つに繋がった親友同士という設定でした。それを一個ずつ二つに分けて所有することで、友情の証とするというコンセプトの商品のようです。その片割れを音無は差し出しました。
「ね……北原。これ持っててよ」
そう言うので……わたしはそれを受け取って、自分の額に取り憑けました。
「似合ってるよ」
「……ありがとうございます」
わたしは許してやることにしました。わたしのおかっぱ頭に顔付きのサクランボが似合うかは分かりませんが、しかし友情の証と言われてプレゼントを貰うは嬉しかったのです。それを受け取りながら喧嘩を続行する気にはなりませんでした。
「しょうがないですね。今回は許してあげましょう」
「ありがとうっ」
言って、音無は自分の額にサクランボを付けました。
「じゃ。次のアトラクション行こっか。今日は楽しいね」
「そうですね。それは否定しません」
「うん。割と人生最良の日」
「そこまでですか」
わたしは驚きました。この年中春休みみたいな性格の友人ならば、他にいくらでも楽し気な思いをしていそうなものなのに。
「うん。昔は年下の子の面倒見てばっかで、対等な相手とは遊園地ではしゃぐとかなかったし」
「……転校して来る前のことですか?」
「まあそんなとこ」
一人っ子のこいつに何故『年下の面倒』なんて機会が生じるのか、わたしは気になりました。こいつとは親しい友人なのだし聞いても良いだろうと思い、口を開きかけた時でした。
「あ! いたのだ。おーいっ!」
時川が渡辺を伴ってこちらに手を振って歩いてきました。そう言えば、お化け屋敷行く派と死んでも行くか派で別行動をしていたことを、わたしは思い出しました。
「お化け屋敷、楽しかったのだっ。そっちはどうだったのだ?」
「北原がチョコア……うんこ食ってた」
「おい」
わたしは音無の額にデコピンを食らわせました。
「糞食は危険だぞ。成分の多くは水分で他は食べカスとか腸内細菌とかだけど、危険な細菌も含まれているし、寄生虫の卵なんかが混ざってるケースもある。胃の粘膜はもちろん、肝臓なんかへのダメージも尋常じゃないからな」
最早鼻くそをほぜるのを隠すこともしなくなった渡辺が言いました。こう見えてアタマの良い渡辺は語彙も知識も豊富です。
「だってさ北原。やめといた方が良いってさ」
「だから食ってねぇわ!」
わたしは音無と渡辺のアタマを続けざまに引っ叩きました。音無と渡辺はおかしそうに笑い合っています。
「ま……まあまあ。下品な冗談はやめるのだ。それに友達をからかうのだって、二人がかりだといじめっぽくなるから良くないのだ」
時川が冷静に場を勇めました。
「二人がかりじゃなくてもやめてください」
わたしはうんざりして言いました。
「悪ぃ悪ぃ。いや、北原って優しい割に嫌な時はちゃんと怒るから、からかいやすいんだよ。怒れないから許すしかないんじゃなくて、怒りたいだけ怒った後で、ちゃんと本心で許してくれるのが、良いんだよな」
渡辺は言います。
「あー分かる。だから後腐れないんだよね。北原の良いところだ」
音無は納得したように頷いています。
「何ですか急に二人とも……。いや、良くないんですけどね。こっちもそれなりに寛大さになってやってるんですけどねっ」
「頬赤いけど照れてる?」
「照れてませんよ!」
それから四人で次のアトラクションを目指して歩きはじめます。和やかな空気。心地良い一体感。楽しい時間。それらはここ最近沈みがちだったわたしの心を癒すかのようでした。
その時でした。
「ご来場のお客様にご案内します。音無夕菜様、時川正午様、渡辺高広様、北原霧子様。保護者の方がお待ちです。入園ゲートまでお越しください。繰り返します……」
わたし達はそれぞれに顔を見合わせます。楽しい時間に水を差されたという気分は共有していましたが、行かない訳にもいきませんでした。
やがて入園ゲートにたどり着くと、深夜が用意してもらったらしいパイプ椅子に腰かけていました。
「大変なことになっている。おまえらの小学校に、飛行機が墜落したそうだ」
それを聞いて、わたし四人は絶句して顔を見合わせました。
「良かったなガキ共。おまえら、今日学校行ってたら今頃お陀仏だぜ。ははあ」
「いったい何を言っているのだ! バカな冗談を言うのはやめるのだ」
正午が憤慨した様子で言いました。
「それが嘘じゃない。事実としておまええの小学校には飛行機が落ちて、校舎は瓦礫になっていて、人がたくさん死んでいる」
「だから、バカなことを言うのは……」
「これ嘘じゃないよ時川くん。この人、多分本当のことを言ってる」
音無は冷静な声で言いました。「でも……」と口にする時川に、音無はスマートホンを操作してニュースサイトを表示させました。
「ほらやっぱり。早速ニュースになってるみたい。戦後最悪の飛行機事故って……見て」
わたし達は食い入るようにしてその画面をのぞき込みました。
確かに音無の言う通りでした。上空から撮られた破損した校舎の写真はまさしく私達の小学校のものでした。校舎を枕に横たわる飛行機の機体のあちこちからは炎と煙が噴き出しています。見ているだけで胃が痛くなってくるような、それはおぞましい光景でした。
「マジかよ……。マジでこんなことになってんのかよ。信じらんねぇよ……」
渡辺はその場でアタマを抱え、沈み込むような様子を見せました。時川くんはわなわなと震えながら呆然としており、わたしは気が遠くなるのをどうにかこらえていました。
「で……遊んでる場合じゃなくなった感じ?」
音無はただ一人冷静な顔をして言いました。
「悪いがそんなところだ。ケータイ持ってない組の親から鬼のように電話がかかって来る。学校休んだってことは当然親も知ってはいるが、それでも声を聞きたくてたまらないんだそうだ。つー訳で、ほら」
言って、深夜はまずは渡辺にスマホを差し出しました。渡辺はそれを受け取って、おそらくは両親どちらかの番号を打ち込み始めました。そして真っ青な顔で「ああ。俺は無事だよ。なあ、そっちどうなってんの?」と話始めました。
「で……そうなるともう、おまえらも遊ぶどころじゃねぇよな?」
わたしは頷きました。何ができる訳ではないにしろ、せめて街に帰って傍で事態を見守りたいと思いました。目を背けてはいけない、とそう思いました。
「つー訳でこれから家に帰る。おまえら、車に乗り込め。早くしろ」
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