8:北原霧子

第25話

 余所行きの服をわたしはあまり持っていません。何かをねだれる機会があればたいていはゲームソフトを選びますし、小遣いの使い道もそれは同様です。十一歳という年齢相応にファッションに対する興味も芽生えてはいますが、そこは取捨選択という奴なのでした。

 なので、学校を休んで学友達と遊園地に行けるという機会を得て、着るものには少し困ることになりました。

「どうせ誰も見てないわよ」

 母親は言います。そういう問題ではありませんが、言っていることはそこまで間違いではありません。わたしはとりあえず一番マシそうな上下を選んで着用しました。

「本当に、学校休んで良いの?」

 わたしが尋ねると、母親は悩まし気に小首を傾げながら答えます。

「ええ……。本当は反対したかったのだけれど、時川くんの保護者の方から強くお願いされちゃって。何でも、そもそもの企画の趣旨の一つが、近ごろ元気のないあなたを励ますことだっていうじゃない? だからまあ、たまには良いのかなって」

 確かにここ最近のわたしは色んな原因で沈みがちです。あのアホの時川にも見抜かれてしまうくらいには。心配してくれる友人に感謝をし、気遣いを受け止めるべきでした。

 わたしを送り出す時に、お母さんは最後にこんなことを言いました。

「それにしても、時川くんのお姉さま、声若いのね。わたし最初、あなたのお友達かと思っちゃったわ」

 待ち合わせ場所は時川の家のガレージでした。子供から見ても、街を走っている有象無象の車とはデザインのベクトルが異なる高級そうな自動車の数々が、そこには並んでいました。

「おはよう北原」

「おはようなのだ」

 そこには音無と時川が先に来て待っていました。わたしは努めて笑顔になり片手を挙げます。もう一人、時川の親友である渡辺という男子がいるはずでしたが、奴は開いた後部座席で時川のスマートホンでゲームに夢中であり、わたしの方には見向きもしませんでした。

「これで全員揃ったのだ。じゃあ、遊園地に向かうのだ」

 時川がはしゃいだ様子で言いました。

「雨とお葬式の所為でゴールデンウィークに行けなかったから、楽しみなのだ」

「お休み一日延長できるんでしょ? 本当だったら、今頃朝の会始まってるくらいの時間だよね? はしゃぐよねぇ」

 今日は本来、ゴールデンウィーク明けの登校初日となるはずの日でした。休みを一日延長できるというのは音無の言う通りで、そのことにはわたしも喜びを感じないでもありません。

 時川は助手席に、わたしと音無は後部座席に乗り込みました。中央の座席に座るわたしの隣で、ふとっちょな身体で時川のスマホを抱え込んでいた渡辺は、わたしの方を見て『一応』と言った雰囲気で。

「よお」

 と挨拶をしました。

「おはようございます渡辺くん。それ、面白いですか?」

「んーまあそこそこ。ゲーム性に目新しいところはないけれど、キャラデザが良いから」

 なんかムカつく口調でそう言った渡辺は、小学生としては信じられない程太い指を小学生としては信じられない程大きな鼻腔にねじ込みました。そして小学生としては信じがたい程巨大な鼻くそを穿り出すと、隣に女子が二人もいることを思い出したようにはっとしました。

 ……これどうしよう、的な表情をして鼻糞片手に凍り付く渡辺に、黙殺という最大の気遣いを実施しつつ、わたしは運転席の男の人に声を掛けました。

「今日は、一日お世話になります」

 お母さんから言えと言われていたことをそのまま言いました。すると運転席の男は「ああ」とわたしの方を振り向いて、皮肉と倦怠の混ざった口調でこう言いました。

「金は全部姉貴が出すから気にすんな。俺も小遣い貰えることになってるしな」

 時川の兄・深夜でした。二十歳そこそこの、精悍な顔の青年です。時川に聞けば、今は学校に行っておらず、仕事もしていないとのことでした。なら何をしているのかと尋ねたところ、『何もしてないのだ』という解答を得ていました。しかし時川の兄らしく大変なイケメンで、長身痩躯のハーフ顔でした。ヒモかホストにならすぐなれそうです。

「運転お願いするのだ、深夜お兄ちゃん」

「おねがいしまーす」

「しゃーっす」

 他三名の子供達がそれぞれ礼儀正しく(?)挨拶をします。

「あーな」

 そして深夜は車を発車させました。「あーダりぃ」と言いながらエンジンをかけ、「あー眠ぃ」と言いながらアクセルを踏み、「あー帰りてぇ」と言いながらハンドルを動かします。

「ねぇねぇ。その人って時川くんのお兄ちゃんなんだよね?」

 音無がそう言って時川に話しかけます。時川は目を丸くして振り向きます。

「う、うん。そうなのだ」

「ふーん。格好良いね、時川くんのお兄ちゃん」

 からかうような視線を深夜に向けながら、音無はそう言います。

「……ちっ。良くいうよ白々しい」

 心底忌々し気に深夜は言いました。音無はそれを面白がるように追撃を浴びせます。

「そんなつれないこと言わないでよー、深夜お兄ちゃあん」

「黙れクソアマ。俺はおまえのお兄ちゃんじゃねぇ」

 道中は和やかなものでした。気だるげな態度とは裏腹に深夜は子供達には親切で、随所でわたし達を気遣ってくれました。

「おうおまえら。これから高速入るが準備は良いか?」

「いいでーす」

 音無は笑顔で手をあげて答えます。

「本当か? ションベンは澄ませたか? こまめな水分補給の用意は? 車酔いする奴の酔い止め薬の準備はOK?」

「うんこ」

 渡辺が端的に己が生理的欲求を申告し、うんこ休憩の後に車は再び走り出します。

「おうガキ共。俺はなぁ、これでも昔は泣く子も黙る超名門海星高校に通っていてなあ。成績良かったんだぞお?」

 そこで始まったのは深夜の昔の自慢話です。海星高校なら県内どころか全国的にも有名な超進学校なので、確かにそれはすごいことでした。しかし驚いたのはわたしだけのようで、音無は澄ました顔でそれを聞いていましたし、渡辺は鼻くそを穿りながら。

「そこ、俺の兄ちゃん通ってる。しかも、学年主席」

 こう切り返しました。『おおっ』と全員の視線が渡辺の方に集中します。

「俺もそこの中等部行く予定。正午もだろ?」

 水を向けられ、時川は頷いて答えます。

「のだ。夕日お姉ちゃんも未明お兄ちゃんも、中高ともに海星なのだ。ぼくも行きたいのだ」

「でもそしたら滑ったの朝日だけになっちまうぞ?」

 深夜は面白がるように言いました。

「でも朝日お姉ちゃんはテニスが無茶苦茶上手いそうなのだ。長所や個性は人それぞれだから良いと思うのだ」

「上手いっつっても未明程じゃねぇだろ。レベルが高くなる中学で朝日に全国行けんのかよ? あ?」

「行けるかもしれないのだ。行けなかったとしても、そういうのは人と比べるのだけが正解じゃないと思うのだ。ところで、深夜お兄ちゃんの長所は何なのだ?」

 そんな和やかな雰囲気を乗せて、自動車は遊園地へと向けて高速道路を突き進むのでした。

 無事に遊園地に到着し、皆はそれぞれわくわくした気分で駐車場へと降り立ちます。引率で深夜も付いて来るのかと思いきや、彼はわたし達一人ずつに二万円ずつ配った上で。

「これでフリーパスポート買って好きに遊んで来い。おまえら子供料金だから三千円かそこらで入れるだろ? 昼飯代土産代もろもろ込みでそんだけありゃ十分なはずだ。余った金は懐に入れて良い」

 それは願ってもない申し出でした。深夜とは打ち解けてますがそれでも子供だけで回る方が楽しいですし、それに『余った金は懐に』というのは実に甘美な響きです。わたしのお小遣いは月に二千円なのでした。

「ゆ、夕日お姉ちゃんはそれを許すのだ?」

 時川は出資者である自らの長子の名を出し、やや焦りを帯びた表情で兄に言いました。すると、隣から音無が歩み寄り、時川の肩に手をやりながら言います。

「まあまあ良いじゃない。深夜お兄ちゃん昼夜逆転ニートだから、いつもならもう寝てる時間なんだよ。車で寝かしててあげようよ」

「そういうこった」

 言いながら、深夜は座席を倒し始めます。

「正午と音無がケータイ持ってるから、持ってない組はどちらかと一緒に行動しろ。なんかあったら電話して来い」

「でもぼくナイトパレードも見たいのだ。子供だけだと六時には追い出されるのだ」

 正午は頬を膨らませます。

「黙ってりゃバレねぇだろ。職員だってどっかに親がいると思うんじゃねぇの? 良いから寝かせろや。ダルぃ」

 そう言って目を閉じた深夜の目に、音無が自前のハンカチを被せました。そして、話を強引に打ち切るかのように。

「よーし。じゃあ入園ゲートまで競争だ! 行くぞーっ!」

 我こそはリーダーと言った様子で人差し指を突き付けて、危険にも駐車場を走り出しました。そうされると子供の本能が働き、わたし達はそれに続きます。

 一位は時川でした。トロそうな割には運動神経抜群です。二位は十人並の体力のわたしで、ふとっちょの渡辺が巨体を揺らしながら三位に続きました。

 フライングした癖に最下位だったのは音無です。体育をちょくちょく休むくらいには、こいつの体力は実のところ脆弱でした。息を切らしてゴールするのを、三人は乾いた拍手で迎えたのでした。

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