第24話

 お互いの傷を手当して、零歌達はとりあえず学校へ向かった。

 昨日でゴールデンウィークはおしまいだった。正直休んでしまいたいくらいには疲弊し意気消沈していたが、休むことへの上手い言い訳も思い付かなかった。

 目立つところに大きな傷はなかったとはいえ、傷害罪で訴えてやれば勝訴は間違いなさそうだった。しかしそれをする程の気力も姉妹には残っていなかった。ただあの青年が恐ろしく、恐ろしさのあまり抵抗する術を失っていた。とことんまで叩きのめされればたいていの子供はそうなることを、青年は熟知してあのような行動に出たらしかった。

「ごめんな零歌ちゃん。ごめんな」

 登校中、唯花は何度も何度も零歌にこれを言った。

 ただ先に症状を発症し声をかけられていたというだけで、唯花は自分が零歌を巻き込んだものだと思っているようだった。それは違うということを何度も論理的に説明した零歌だったが、それで唯花の気が収まりはしないようだった。

 廊下で分かれ、それぞれの教室で時間を過ごす。

 やがて午前中の授業が終わり、昼休み、零歌は姉のところには行かずに一人で屋上を訪れた。

 常に解放されている屋上には、今日は零歌しかいなかった。柵に両腕を置きながら街の様子を見詰めていると、そこに音無が通う小学校が目に入る。それは零歌の母校でもあった。

 零歌は音無を殺す、死なせるということを考えてみた。実のところ二つ年下である彼女は零歌にとって唯一の友達でもあった。それがいなくなるということは、零歌にとって都合の良いこととは言い難い。端的に言って、悲しいことだ。

 だがそれは天秤の片側の重さに過ぎなかった。あの恐ろしい青年から縁を切れるというメリットがもう片一方に乗るのならば、はたしてどうだろうか?

 零歌は唯花のことを思い浮かべる。首を絞められている自分を助ける為に戦ってくれた唯花。敗北し青年に腹を蹴られ頬を踏みにじられている唯花。思い出すだけで胸が張り裂けそうになる、苦悶に歪んだその泣き顔。

 唯花は優しい。決して音無を殺せはしないだろう。だから手を下すとしたら自分の方だと思う。そしてそれが出来なければ、一週間後、唯花は自分と共に、先ほどのような暴力にまたしても晒されることになるのだ。

 それは避けられなければならない。

 零歌は腹をくくった。

 空を仰ぎ見る。今すぐでなくても良かったが早い方が良かった。それはすぐに見付かるだろうと思っていた。

 ここから空港まではそう遠くはない。幼い頃家族で沖縄旅行をしようと訪れたこともある。車で三十分ほどの距離だ。だが、土壇場になってあんな鉄の塊が空を飛ぶことが信じられなくなり泣き叫んだ零歌の為に、旅行は中止となった。唯花は残念がっていたが、それでも零歌を責めたりはしなかった。

 零歌は思う。飛行機の安全性は今となっては理解しているが、それでも落ちることはある。

 やがて飛行機は見付かった。白と青の細いフォルムのその飛行機は、見事な飛行機雲を吐き出しながら、鮮やかに蒼天を飛翔している。

 零歌はその飛行機に向けて『症状』を作用させた。飛行機の中の一点と、音無が通っている小学校の校舎の一点を、対象物と着地点としてそれぞれ結びつける。

 その瞬間、零歌の全身に巨大な負荷がかかった。零歌のようなPSY系の症状には使用制限のようなものもあり、重く大きなものを落とす程消耗は大きい。だがしかし、やって出来ない程ではなかった。鼻血を吹き出しそうな程全身に力を籠める。

 すると、矢のように空を突き進んでいた飛行機は、突如としてその場で動きを止めた。そして、飛行機は動力も慣性も失って青い空の中力なく落下し始める。あらゆる物理現象を置き去りにした、それはあまりにも不可解な現象だった。

 オモチャのように落下した飛行機はオモチャのように小学校へ着地すると、それがオモチャでない証拠に激しい音を立てながら校舎を瓦礫に変え、最後には爆発炎上した。

 その瞬間、街中の人間はそのあまりの事態に騒然としていたことだろう。ただそれを引き起こした零歌だけが、黒飴のような瞳で冷徹に事態を見守っていた。

 ……これで音無は死ぬはずだ。

 その事実だけを胸に抱きながら、零歌は重くもなく軽やかでもない足取りで、静かに階段を下りて行った。

 廊下では生徒達が窓辺に群がりながら炎上する校舎を見詰めている。自分の引き起こした事態が多くの注目を浴びていると思えば、まったく愉快でないという程でもなかった。

 自分の教室の前まで来ると、廊下では唯花が一人、顔を真っ青にして右へ左に視線を向けている。なんとなく、自分を探しているのだろうことが零歌には察せられた。

「お姉ちゃん」

 そんな彼女に声を掛けると、唯花は目に涙を浮かべながら零歌に飛びついて来た。

 零歌の華奢な胸に唯花が飛び込む。そして一瞬だけ、粉々に損壊した大切な宝物を見るような目を零歌に向けると、唯花は大声で泣きじゃくりながら縋り付くように妹を抱きしめた。

「……零歌ちゃん。零歌ちゃん……どうしてっ。どうして……」

 その声はまさに慟哭だった。強い力で妹を抱きしめ、震えながら半狂乱の泣き声をあげる唯花に、零歌はただただ困惑していた。

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