第20話
わたし達は三ツ木小学校にたどり着いていました。
『立ち入り禁止』のテープを踏み越える時、わたしの胸の中を冷たい禁忌感が駆け巡りました。昨日振っていた土砂降りの雨は既に止んでいましたが、今も天気は曇りで、灰色の空が褪せた校舎を見下ろしています。足元はぐちょぐちょで、コンクリートは濡れた臭いを放っていました。割れた窓ガラスがなんとも不気味です。
「……じゃ。探索だ」
音無は気持ちわくわくした調子を声に混めて言いました。小四の四月に転校して来たっきり、こいつがこの小学校を探検したいと言い出すことはしばしばでした。夢が叶ったとか思ってないでしょうね?
「闇雲に探すのですか。気が進みませんね」
「まあ正直ね。非効率だし。でもしょうがないでしょ、他に手がかりないんだし」
「男子なら、中に何か変なものを見付けているかも。たまに冒険してるみたいですし」
「ああなるほど。じゃあ、ちょっと待ってね」
言いながら音無はポケットからスマートフォンを取り出しました。クラスメイトの時川に電話を掛けるとのことです。
「えっと……時川くん? うん? そうそう今はこっち。で、聞きたいことがあるんだけど……三ツ木小学校って入ったことある? あるんだ。なんか変なもの見付けなかった?」
こいつが親しい男子と言えば時川でした。転校して来てすぐの時から仲良くしています。アタマの足りない同士仲が良い……とは、『指切り』の暗号を見事に解き明かした音無には、最早言うことはできないでしょう。時川も、ああ見えて実はテストはいつも満点のタイプだったりします。
「校舎の正門にある金庫が怪しい? 誰にも開けられないし重くて大きくて運べない? ……そうなんだ。分かった。ありがとう。じゃあ、行ってみるね」
そう言って電話を切りました。
「なんかね、校舎の正門……入ってすぐ目の前にある、真ん中の大きな建物の玄関口に、大きな金庫があるんだってさ」
「そうですか。どうして学校の校舎にそんなものが?」
「つまり怪しいって訳。行ってみようよ」
その場所に行くと、確かに大きな黒い金庫がそこにはありました。と言ってもわたしの背くらい巨大な訳ではなく、百四十二センチのわたしにもなんとか椅子に使えなくもない、というくらいのサイズでしたが。
それは玄関の隅、生徒の靴ではなく来賓用のスリッパなどが並べられていたのだろう下駄箱の隣に、さりげなぐ置かれていました。持ち上げようとしてみましたがその金庫は微動だにせず、重たいだけでなく何かの方法で床と接着されているようでした。
「うーん。ううううーん! 開かない! ぜんっぜん開かない」
音無は力一杯扉を開けようとして失敗しています。こういう姿はやっぱりアホです。
「……そりゃあ力尽くで開く訳ないでしょう。暗証番号入れないと……」
それは金庫ですから暗証番号を入力する為のダイヤルボタンが設置されています。鍵穴はないようでした。
わたし達はくまなく金庫を観察しました。そして、金庫の真上に白いマーカーで『TOOTH』と書かれているのに気づきます。それを見て閃いたように。
「ああなるほど。そうか! ここでアレの出番なんだね!」
音無はスマホを取り出して何やら操作し始めます。
「何を思い出したんですか?」
「あの歯だよ。最初の被害者の。小臼歯だけを持ち去られていた」
「小臼歯が何かあるんですか?」
「ここでも二進数だよ。人間の歯って32個あるでしょ? つまり32桁の二進数に見立てられるんだよ。それを十進数に直すんだ。この金庫にも『TOOTH』って書いてあるから、間違いないね!」
「『TOOTH』って歯なんですか」
「そう。歯。はぁあああ!」
言いながら音無は白い歯をむき出しに唇を持ち上げます。歯を磨く子らに虫歯の影はなし。
……っていうか良くそんな英単語知ってたもんですね。絶対習ってないと思うんですけど。
音無はネットにあるというツールを使って、二進数を十進数に変換します。持ち去られた小臼歯の位置が『0』、それ以外が『1』で、『11100111111001111110011111100111』となるはずです。歯はシンメトリーなので、よっぽど変なことをしなければ、どっち側からどう読んだところで同じになります。
やがて音無は変換作業を終え、ダイヤルボタンに指を当てました。
「3、8、9、0、7、3、5、0、7……そしてきゅーうっ!」
ガチャリと音がして金庫は開きました。
「やったぁー! 名・推・理! ねぇねぇ、あたしちょっとすごくない?」
「あー……すごいですね。いや本当に。ちょっと見直したかもしれません」
わたしは本気で感心しました。これまで多くの大人たちがこぞってここにたどり着こうとして出来なかったのを、こんなアホそうな小五のガキが一番乗りしてしまうとは。信じられません。もしかしたらこの音無は外側だけで、中になんか入ってるんじゃないでしょうか?
早速、わたし達は金庫の中を見ます。
大きな金庫の中に金銀財宝がたっぷり詰まっている……かと思いきや、そこにあったのは一本の瓶と一枚の紙きれでした。
紙きれの方は何の変哲もない紙きれでした。まだ読んでいませんが、学校のプリントみたいに無機質に文字が踊っているだけです。しかし音無が手にした瓶の方は、明らかに異質でした。
「……やっぱり、この金庫を設置したのは『指切り』みたいだね」
そこには引き抜かれた八本の小臼歯が入っていました。音無が悪戯にそれを左右に振るなり、からからという音が響きます。わたしは「やめなさい」とそれを制止します。
「……被害者の安西の物じゃない方がおかしいですよね」
「そうだね。どうする? 土に埋めとく?」
「いや乳歯じゃないんだから……どう考えても警察に持って行くべきでしょう」
「……そうしなきゃいけないっぽいね。で、その紙何書いてあるの?」
そう言われ、わたしは音無と二人でその紙を見ました。
LOGAN COOK 2023年5月2日19時37分19秒
ETHAN RUSSELL 2024年3月3日2時35分59秒
財部鑑三 2025年5月2日16時42分7秒
ALRKSEY EGORCHEV 2025年12月24日0時02分15秒
MAXI ZIPSER 2026年と9月30日5時16分22秒
王字正 2027年8月31日12時19分8秒
NICOLAS WEIS 2027年9月18日23時57分13秒
DANILO BARGNANI 2028年7月11日6時20分01秒
金保成 2029年1月2日22時3分38秒
……。
そんな具合に、名前と日付とが、A4用紙一杯に四十行程に渡って書き綴られていました。日付は下に行くほど未来になっており、一番下の人物に添えられた日付は、2055年となっています。
「……? 何ですかこれ? 人の名前? ……と、日付と時間」
わたしは紙を見詰めながら困惑して言いました。ちなみに言っておくと今は2023年の5月2日なのですが、この紙に描いてある意味はまったく分かりません。
呆然とするわたしに対して、音無の方は興味深げにその紙をまじまじと見詰め……小さな声で「まさか」と呟きました。
「何ですか?」
「あ、いや」
音無は首を横に振って、それからふと思いついたように。
「これさ、知ってる名前ない?」
「知ってる名前……? あ、この財部鑑三ってのなら分かります。今の日本の総理大臣ですよ」
「そうだね。他も英語ばっかりで難しいけどさ、知ってる名前多いよ。金保成とかさ。後一番上の名前とか……アメリカのクック大統領じゃない?」
わたしは音無の指さした箇所を見詰めました。金保成は某国の今の独裁者の名前ですし、LOGAN COOKは確かに小学五年生の英語力でもローガン・クックと読めそうです。今のアメリカ大統領の名前でした。
「これ世界中の有名人の名前だよ。それも、首脳クラスの政治家とか、そのレベルの超有名で超重要な人達ばっかり」
「世界でも特に重要な人の名前を羅列したって感じなんですか?」
「そういう訳でもないっぽい。だとすれば、他に書かれてなきゃいけない人がたくさんいるから。だから、この人たちには何か共通点があるんだとは思う」
「……その共通点っていうのは?」
「さあ。上の方程高齢の人が多く見えるけど、完全な法則って程じゃないもんね。分かんないな」
「この日付も何なんですかね」
「全部未来の日付で、しかも結構最近だね。一番先でも三十数年後まで。クック大統領に至っては、今夜の七時だ」
「……これが何だというんでしょうね。新しい暗号とか?」
「分かんない。けどさ、もしここに書いてある時間に、ここに書いてある人達に何かが起きたら、面白いと思わない?」
「何かって……何なんですか」
「さあ。例えば……」
音無はそこで微かに、偽悪的な笑いを頬に浮かべました。
それは同級生離れした怜悧で妖絶な笑みです。ダサい眼鏡を掛けられた彼女の顔が、本当はとても美しいのだと思い知らされる、そんな表情でした。
「殺されるとかね」
わたしがあっけにとられる内に、音無はその写真と瓶を自分のスマホで手際よく撮影してしまいます。そして金庫の扉を閉めると、わたしの肩に手を置いて言いました。
「じゃあ、これ。警察に持って行こう。大事な手掛かりだ。空先生を殺した犯人、きっと捕まえてくれるよ」
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