第19話
数日前……わたし通学路で殺人鬼『指切り』とすれ違いました。
その殺人鬼は名門・海星高校の制服を来た長身痩躯の少年でした。色の淡い髪とキャラメルみたいな瞳をした、とてつもない美少年です。ただ普通にすれ違うだけでも必ず記憶に残るようなその少年の頭上には、『6』という数字が浮かんでいました。
わたしが発症した中二病の『症状』は、『その人が過去に殺害した人数を知ること』です。わたしが彼とすれ違った時の『指切り』の被害者数は六人でしたから、彼が犯人である蓋然性は極めて高いと言えそうでした。
わたしは葛藤しました。わたしが彼を告発しなければ、彼は『指切り』としてこれからもたくさんの人を殺すに違いありません。しかし彼を告発するということは、わたしが中二病患者であることを、打ち明けなければいけませんでした。
深い葛藤がわたしを襲いました。いいえ、本当はわたしは葛藤などしていませんでした。ただ、葛藤をしているということで自分を僅かでも正当化しようと、卑怯にもそう考えていたに過ぎなかったように思います。眠れぬ夜をいくつも乗り越え、授業も見に入らず、訳もなく泣きじゃくる時間を過ごす内に……『指切り』がさらに二人を殺し、ネットに最後のメッセージを残しました。
『THE END』
わたしは向き合わねばいけません。自分が見捨てた二人の人間と、『指切り』であるあの少年、そして、この罪深い自分自身と。
「それで……どこなんですか? その、『指切り』の暗号が指し示す場所っていうのは。どういう推理で、その場所になるんですか?」
音無に案内され、街を歩いている道中、わたしは彼女にそう訪ねました。
「良くぞ聞いてくれました」
言いながら、音無はさっきからずっと握りしめている紙をわたしの前で広げます。
「まず、これがこれまで殺された被害者達の名前と、切り取られた指の情報ね。見て」
4月6日 安西真琴 21歳女性※
左手:親指、薬指、小指
右手:小指、中指、人差し指、親指
4月7日 吉本幸助 26歳男性
左手:人差し指、薬指
右手:中指、人差し指、小指
4月13日 工藤昭雄 53歳男性
左手、親指、人差し指、中指、薬指、小指
右手:中指、人差し指、小指
4月17日 中津川敦子 18歳女性
左手:親指、人差し指、薬指
右手:小指、薬指、親指
4月20日 伊藤隆 18歳男性
左手:中指、薬指、小指
右手:薬指、中指、小指
4月23日 久方達郎 33歳男性
左手:親指、中指、人差し指
右手:中指、薬指、小指
4月26日 西宮涼子 18歳女性
左手:親指、人差し指、中指、薬指
右手:小指、薬指
4月30日 空桜 27歳女性
左手:人差し指、小指
右手:小指、薬指、中指、親指
「『指切り』はこれまで、遺体の写真だけをネットにアップロードして来た。画像だけを張り付けて、他の書き込みは一切行わなかったんだね。でも、空先生の時だけが例外だった」
『INITIAL』『THE END』の二つの言葉がネットに書き込まれていたことは、わたしも知っています。そしてそれくらいの単語の意味なら小学五年生のわたしにも分かります。『頭文字』そして『おしまい』。
「犯人は空先生で犯行はおしまいだと言っている。暗号は完成したってことだ。さらに犯人はヒントを提示して来た。『イニシャル』つまり被害者たちの頭文字に注目しろってね」
「……なるほど。それで、そこからどう推理するんですか?」
「ねぇ北原。知ってる? この世の全てのものは、ゼロとユイだけで全部キジュツできるんだ」
そう言って、音無は得意げに人差し指を立て、したり顔を浮かべます。
その言葉の意味が分からなくて、わたしは「は?」と素っ頓狂な声を発した。
「二進数ってのがあるんだよ。算数の教科書の隅っこにコラムとして乗ってたよね? 1と0しか使わないで数字を現す方法」
「ああ……あの非効率そうな」
1の次に2が来るところを、ここで既に繰り上げて10とし、それに十進数の『2』と同じ意味を持たせるという数記法です。11が3で、100が4、101が5という風に続いて行きます。これを使えば片手の指だけを使って31まで数えられるというところまで、そのコラムは乗っていました。
「零と唯ってのは0と1のこと。この二つの数字があれば……正確には何かしらの二種類の記号があれば、あらゆる数は表すことが出来る。で、数を表せるってことは、文字も表せると思わない?」
「数で文字を表す? ……ああ。ありますねそういう暗号。1がAで2がBで……みたいな奴。友達に出されたり出したりしますよね」
北原霧子ならKITAHARAKIRIKOで、『11』『9』『20』『1』『8』『1』『18』『1』『11』『9』『18』『9』『11』『15』となります。子供同士で交わされる暗号遊びの一環として、もっともありふれたパターンの一つと言えます。とは言え初めて出された時はそれなりに解くのに苦戦しました。
「そうそう。で、ここからが重要。『指切り』は死体の指を切り取ってネットに画像をあげている。当然、この死体の指が重要な意味を持つと考えられるよね?」
「そうでない方がおかしいでしょうね」
「賢いあたしはここで閃いた。犯人は、被害者の指を切り取ることによって、二進数で表した数字や文字をあたし達に見せていたのではないか、とね」
そう言われ、わたしは微かに目を大きくしました。
「……あり得る、かと思います。そうですか。二進数ですか」
二進数を使い、片手の指を使って31まで数えられるという、教科書のコラムを思い出します。右手親指だけを立てて『1』、人差し指だけを立てて『10(2)』、親指と人差し指を立てて『11(3)』……という訳です。
「片手が表せる数字の限界は31。0入れて32種類だよね? これなら五十音は無理でも、アルファベットなら記述できるよね? つまり、『指切り』が切り取った被害者の片手が、一つのアルファベットを現している。それを繋ぎ合わせることで、文章が作れると思ったの」
「なるほど良い推理だと思います。でも、人間の手は見る向きによって、親指が右側になったり左側になったりしますよね。あと、右手は自分から見て右だけど相手から見たら左だったりもします。そこはどうするんですか?」
「ふふふ大丈夫なのだよ北原くん。何故なら、整理すればそんなにパターンは多くないからね。自分の見る手の平、相手の見る手の平、自分の見る手の甲、相手の見る手の甲、の四通りだけだし、全部試して意味の通る文章を探せば良いだけだから」
「まあそうですか。で、どんな文章になったんですか?」
「普通にやっても何の文章にもならなかった」
音無は言う。わたしは「は?」と言って、つい胡乱な目をしました。
「全パターン試したけど意味のある文章作れなかった。あたし困った。自分の推理の方向が大外れなんじゃないかとすごく不安になった」
「……でも、最終的には分かったんですよね?」
「そう。犯人の残したヒントによってね」
犯人の残りしたヒント……。わたしはアタマの中でその言葉の意味を探ります。そして、すぐに思い付きました。
「……『INITIAL』ですか」
空先生の死体をアップロードすると共に、『指切り』が残したメッセージでした。これが何らかのヒントであることは疑いようもありません。
「そう。つまりこれは、被害者のイニシャル、頭文字を利用しろってことだと思ったの。そうすると最初に思い付くのは……」
「『ずらし』ですね。暗号の基本です」
これも小学生の間で交わされる暗号の1パターンです。北原霧子なら『くてひりくるさ』というように、文字を一つずつずらして表記する手法。ずらす文字数を大きくするなどすれば、初見ではそうそう読めなくなります。
「そう! 最初の安西さんならイニシャルが『A』だから、指を三本切られた左手が表す数値は『01100』つまり『12』。だから、Aから12ずらして『M』と読み取れる。この要領で解読していくと、出た答えが……」
音無は紙を裏向けました
MI TU KI SY OU GA KK OU
三ツ木小学校
それは近所の有名な廃墟の名前でした。アホな男子がたまに冒険遊びをしているのを目にします。とは言えヤンキーもたまに出入りしてますので、君子たるわたしは危うきに近寄りません。行くと怒られる場所でもあります。
「全パターン試したけど、自分向きの手の平を左手から右手に呼んでいくのが正解! まあ、それが一番分かりやすい、考えやすいパターンだから、ある意味親切だったんじゃないかな? ちなみに『INITIAL』の意味は名前じゃなくて名字みたいだね」
「しかし本気で調べようと思ったら8パターン全部調べなきゃいけない訳でしょう……? なんというか、お疲れ様でした。正解おめでとうございます」
誰にともなくそう言った後で……いや音無に言ったんですけど……わたしは重大な欠陥に気付いてそれを指摘します。
「ここまでの推理は当たっているとわたしも確信しています。でも音無、それだと出て来ていない要素がありますよね?」
「うん。あるね。最初の被害者の歯の写真だよね?」
最初の被害者である安西さんは、八本ある小臼歯をすべて引き抜かれて持ち去られていました。犯人が小臼歯フェチだという推理を採用しない限りにおいて、これにも何か意味があるに決まっているのです。
「あれは何か分かってるんですか?」
「考え方は同じで良いと思うけど、まだ分からない。でも、多分それは」
音無は真剣な顔で言った。
「これから明らかになるんだよ。三ツ木小学校の廃墟でね」
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