6:北原霧子
第18話
ゴールデンウィーク二日目のその日。わたしは一人、部屋で膝を抱えていました。
身近な人間が亡くなるというのは初めての体験でした。空先生とは、一か月弱の時間を教室で共に過ごしたというだけの関係でしたが、にも拘らずわたしの心はずっと曇天で、今にも消え入りそうになってしまうのでした。
もう小学五年生。人の死というものにもしっかり向き合える賢しさとしなやかさは、とっくに手に入れているつもりでした。実際、去年の冬にわたしを可愛がってくれたお祖母ちゃんが亡くなった時も、わたしは二晩泣いただけでどうにか立ち直ることが出来ていました。
なのに今のわたしはベッドの傍で膝を抱えて、沈み込んでいく自分の気持ちを、どうすることもできずに俯いているしかないのでした。胸が張り裂けそうで、アタマが割れそうで、気が狂いそうでした。
そしてこの気持ちは単に、大切な人を失くした哀しみだけではありません。
大切な人を死なせてしまったことに対する、罪悪感です。
空先生の死の責任の一端は、わたしにもあるのですから。
チャイムの音がしました。わたしが緩慢に応対すると、友人である音無が立っています。
「や」
つい先ほどまで、空先生のお葬式に共に参加していた学友でした。その頭上には変わらず『1』という数字が漂っていて、そのこともわたしの気分をかき乱します。
わたし達は焼香だけ挙げて午前中で帰ったので、今は正午過ぎでした。わたしは音無を自室へ案内しました。
「先生……死んじゃったね」
「はい」
「『指切り』に殺された」
わたし達の担任の先生である空桜を殺したのは、近所に度々出没しているシリアルキラー・『指切り』でした。
『指切り』は他の被害者にしたように空先生をナイフで殺害し、空先生の指を数本切り取って、その遺体をネットにアップロードしました。ネットの人達は他の人の時と同じようにその写真を見て狂喜し、はしゃいだように議論に明け暮れています。
これまでわたしは、『指切り』とそのサポーター達のそんな様子を見る度、まるでドラマや漫画の世界のようだと思っていました。お遊戯のようだし、おままごとのようだと。しかしそこには実際に殺された人がいて、その死を悲しむ人がいるという当たり前の事実を、わたしはこの時初めて実感していました。
「信じられないよね、こんなことになるなんてさ」
「…………」
「でも考えてみれば、別に変なことじゃないんだよね。これまでも人が殺されて来たってことは、これからも人が殺されるってことだし、その殺されるのがあたしやあたしの知り合いであることもあり得たんだもんね。信じられないなんて思ったのなら、それはそう思うあたしの方が傲慢だったってことかも知れないね」
「…………」
「人って死ぬんだね。いや、それは知ってたんだけどさ、身近な人もちゃんと死ぬんだね。あたし、それ知らなかったよ。知ってたけど、でも知らなかったんだ。子供だったね」
「…………」
「北原?」
「はい?」
「落ち込んでる?」
「落ち込んでます」
わたしは膝に自分の顔をうずめて言いました。
それを見た音無は数秒思案するように小首を傾げた後、ろくでもない類の笑みを浮かべて部屋を出てきます。
そして十数秒後に戻って来てわたしの背後に立つと……わたしの背中、服の中に氷の欠片を放り込みました。
「きゃんっ」
それはわたしの家の冷凍庫で冷やされていた氷でした。その冷たさは刺すような衝撃を持ってわたしに変な声を出させました。思わず立ち上がり、憤怒の表情で振り向いたわたしに、音無はさらに禄でもない所業を行いました。
「えいっ」
音無は手を伸ばしてスカートの上から指を突っ込み、あまつさえパンツと腹部の隙間に差し入れます。そして大きく指を引いて間にスペースを作ると、そこに氷の破片を放り込みます。
「いぎゃああああっ!」
本気の悲鳴をあげました。けたけたと笑い転げる音無の顔面に……わたしはどうにか取り出した氷の破片を投げ返しました。
「何するんですか! 音無!」
「あははははっ。おかしい! きゃんっ、だって! いぎゃああああ、だって! あはははっ」
こいつは本当に……わたしは怒りにかられて黙り込みます。
「ねえ見てこれ北原のパンツに入ってた氷だよ? 北原のつるつるおまたの上に引っ付いてた氷だよ? どんな味がするかな? ねえねえ」
わたしは音無に背を向けて、腕を組んで座り込んで口を利いてやりません。
「ごめんごめん北原。怒っちゃった?」
「……怒ってますよ」
「何に怒った?」
「知りませんよ。自分で考えてみてください」
「わたしが北原の家の冷蔵庫勝手に開けたこと?」
「違いますよ」
「勝手に取って来た氷を北原の背中に放り込んだこと?」
「違いますよ」
「それで驚いて立ち上がった北原に対し、あまつさえ今度はパンツの中に氷を放り込んだこと?」
「それも本当に遺憾ですが、違います」
「じゃあその後北原が投げつけて来た氷を手に取って、『これ北原のつるつるおまたに引っ付いてた氷だよ? どんな味がするかな?』ってからかったこと?」
「そうですよ! それですよわたしが怒ったのは!」
わたしは力一杯振り上げた手の平で音無の頭を引っ叩きます。
「こいつはっ! 本当にこいつはっ! もうっ! もうっ!」
「あはははははっ。ごめんって北原、ごめんっ、ごめんって。これ仲直りの印にジュース持って来たから許してよ」
そう言って音無は懐からオレンジジュースの缶を取り出します。
「それわたしの家の冷蔵庫にある奴じゃないですか! お母さんがなんかで持って帰った奴!」
「そうなの? でも、飲むでしょ?」
「飲みます!」
そう言ってわたしはプルタブを引いてオレンジジュースを飲み始めました。
お葬式の間もずっと何か飲むのを忘れていたことを思い出しました。落ち込んでいた身体に甘い味が通り過ぎていきます。
わたしは途端、自分のアタマが冴え渡り、気持ちが少し落ち着いていたことに気付きました。音無をしばいたことで、比較的いつも通りのテンションに戻ったというか、落ち込んでいたことを忘れていたというか……。
「元気になった?」
音無が笑顔を浮かべてそう言いました。
「……はい。お礼は言いませんよ」
「あははは良いよ別に元気になったんなら。……じゃ。行こうか」
「行こうかってどこに?」
「空先生を殺した『指切り』に近付きに」
言いながら、音無は懐から一枚の紙を取り出しました。
「あたしね。分かっちゃったんだ。『指切り』が残していた暗号の答えが。その暗号が、どの場所を指し示していたのかが」
わたしは目を大きくして、まじまじと音無を見詰めます。
「そこにはきっと、『指切り』の手がかりが残されているはずだよ。必ず『指切り』を突き止めて、警察に捕まえてもらうんだ。……行くよね」
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