第17話
明日から五連休となる今日という火曜日を、『明日からゴールデンウィーク』と取るか、『もうゴールデンウィークに入っていて、その途中で登校しなければならない面倒くさい日』と取るかは、その人個人の感性に委ねられるところではある。
だがそんな感覚もニー浪人生である深夜には関係がない。朝までゲームをやっていた深夜は、「寝る前におまえらの朝飯食うわ」と告げて朝食の席に着いた。
「良い身分よねぇ」と嫌味ったらしく朝日。
「黙れバカガキが。あーうめぇぜ。働かずに食うメシはうめぇ。うんめぇええ!」言いながらガツガツと朝飯を頬張る深夜。
「良い食べっぷりなのだ」と正午が言った。「ところで深夜お兄ちゃん、お願いがあるのだ」
「あんだよガキんちょ? 俺はもう寝るぞ」
「時間は取らせないのだ。寝る前に、明日の天気予報をして欲しいのだ」
明日、久し振りに父親に休みが取れるということで、家族でテーマパークに遊びに行くことになっていた。夕日は仕事で来られないらしく、そのことを深夜を除く兄弟三人が残念がった。
「あー? そういや明日はガキ臭いところに連れて行かれることになってたなあ」面倒臭そうな深夜。
「嫌なら来なくて良いんですけどー」白い目をした朝日。
「久々の一家団欒なんだから来いって親父がゴリ押して来るんだよ。うぜぇことにな。雨でも降ってくれりゃいいんだがなあ」
深夜は横柄なニート気質だが、それは主に俺達下の兄弟とハウスキーパー達に発揮されており、親父や夕日にバシっと言われれば聞き分けざるを得ないことも多い。そういうところも実にダサくて情けないと言える。
「雨は嫌なのだ」と正午。「一応、天気予報は調べて晴れだったけど、お兄ちゃんの天気予報があれば尚のこと安心なのだ」
深夜の天気予報は百発百中で知られていた。とは言え、深夜に気象予報士の素質があるという訳ではない。その方法は占術的かつ原始的だった。
「でも正午。おめぇ楽しみにしてるんだろ? もし雨って予報が出たらどうするんだ?」
「そしたら事前にちゃんと覚悟できるのだ。やって欲しいのだ」
「じゃあ雨降っても泣かねぇな?」
「のだ。ぼくももうそこまで子供じゃないのだ」
正午がそう言うので、深夜は食事の途中だったが「わーったよ」とけだるげに口にして、近くのスリッパを脚に引っ掛けた。そしてそれを蹴り飛ばしながら、言う。
「あーした天気になーれ」
宙を舞い、何度か回転して着地するスリッパ。それは裏側を向いていた。雨の予報だ。
「の、のだ!」正午は動揺した様子を見せた。「ま、まずいのだ。雨が降ってしまうのだ。これじゃテーマパークに行けないのだ」
「だ、大丈夫だって」朝日は慰めるように弟の肩に手をやる。「天気予報でも、晴れの確率は百パーセント、降水確率ゼロパーセントって言ってたじゃない」
「ゼロパーセントとレイパーセントはちげぇぞ」深夜はけらけらと笑う。「残念だったな正午。俺の天気占いは百発百中だ。あー済々した。行かなくて済む」
言いながら早々と食事を終え、当然食器を流しに運ぶことなどせず、深夜は寝る為に部屋に戻って行った。
「元気出して正午。まだ雨と決まった訳じゃ……」
「良いのだ。覚悟するのだ。深夜お兄ちゃんの占いは外れないのだ」
その通りだった。深夜はたまに機嫌が良い時などに、スリッパなどを使って天気占いを披露する。それが外れたことは一度もない。
事前に天気予報を見てそれに合わせた結果になるようスリッパを蹴っている、なんて、姑息な手を使っている訳ではないのだ。証拠として、今回のように天気予報とは真逆のことを予知することも多い。だというのに、奴は予報を絶対に外さないのだ。
項垂れる正午と慰める朝日の二人を見ながら、俺はかなりの喜びを感じている。
俺にとっても、家族で遊園地というのはダルめの予定だったのだ。
通学し、一日の授業を終える。今日は塾もない。帰りにゲームセンターに寄らないかという仲間の誘いに乗り、リズムゲームや麻雀ゲームを学生らしくおおいに楽しむ。
その後テーブル付きのベンチに腰掛け、自販機で買ったアイスを食いながら、駄弁に耽る。志望校についての話題、今年は何人が東大に行くのかの予想、その中に自分は入れるのかという不安、GW前日の今日くらい羽目を外したのは正解だという言い訳、などなど。
そうしていると、学年一の美少女で理事長のお嬢様である椎名が、何故か一人ゲーセンにやって来る。ずっと狙っているが取れていないクレーンゲームの景品があるという。アホな男子共は皆口々に『代わりに取ってあげる』と言って椎名に群がる。俺も参加する。俺が千五百円を無駄にする中で、見事に景品と椎名の笑顔を射止めたのは若ハゲの佐々岡だった。糞が。
「皆さん、本当にありがとうございます。皆さんとの思い出として、このぬいぐるみはずっと大切にしますね。ごきげんよう」
貰うだけ景品を貰ってニコニコと帰って行く椎名。とても良い匂いだけがそこには残った。
景品を取って得意げな佐々岡に、「僕は彼女を良いとは思わない」と自説を述べたのは、学年一位の天才である渡辺だった。彼はその優れた頭脳で椎名の本質を高度に分析し、明瞭かつ簡潔に以下のような持論を述べた。
「だって彼女、立体だろ」
その後ゲーセンの併設されているモールを皆でふら着くと、この前美術コンクールで大賞を取り表彰されていた木曽川が、何故か男子トイレから出て来るのが見える。おいおいあいつ女子だよな、そうだよだってスカート穿いてるじゃん、何してたんだ? 的会話の後に。
「ちょっとトイレ見に行こうぜ」
という結論が出る。すると、男子トイレの個室の壁一杯に、嫌に写実的に描かれた木曽川本人の裸の鉛筆画が描かれていた。両腕を首の後ろに回して毛の生えてない股を突き出すポーズ。芸術家ってアタマがおかしいんだね。美化してるんじゃないだろうが改めて見ると結構可愛い顔してる。鑑賞後、木曽川が停学になるといけないので、皆で消しておいてやる。
そんなこんなで遊んでいる内に午後七時を回る。まだまだ遊ぶぜと息巻く仲間達に断って、俺は遊びを抜けた。
鞄の中に手を入れ、中に入っているナイフの感触を確かめる。
もうそろそろ、空桜を殺しに行く時間が迫っていた。
あれから調べたところ、俺がコンビニで見た巨乳のお姉さん空桜は、弟の担任である『空先生』で間違いないようだった。既に住所も突き止めており、行動パターンも調査済みだ。
小学校の教師は忙しいらしく、自宅へ帰るといつも八時を回っていた。通勤及び帰宅手段は電車及び徒歩。そして空先生は自宅アパートに帰る前、アパートの背後にある細い、人気のない路地を利用する。不用心だね。そこに待ち伏せてじっとしていれば、いずれ現れる空先生を殺せるはずだった。
『症状』が予知した空先生の死亡時刻は今日の八時四十五分と数十秒。その数分前には彼女はここにやって来る。あまり長時間の待ち伏せは目撃される危険があるので、八時三十五分に俺はその場所に向かった。
時間通りに、俺はその場所にたどり着いた。そして待機する。殺人の興奮と達成感がもうすぐそこにあるということで、俺の心臓は期待に強く高まって行った。
やがて三分が過ぎ、五分が過ぎる。もし椎名とホテルに行く約束をしていても、こんなに胸が高鳴りはしないだろう。今か今かと、空先生の到着を待ち受ける。
やがて八分が過ぎた頃に俺は不安を抱きはじめる。九分が過ぎる。十分、十一分。
「……嘘だろ?」
スマートホンの時計は八時四十五分を回っていた。本来なら、空先生は既に死んでいるはずの時間だった。
俺は困惑したが、すぐに事態を飲み込んで冷静さを取り戻す。
簡単なことだ。空先生は俺に殺される運命になかった。事故に合うとか、何か他の方法で死亡したのだ。それだけのことだ。
俺は大きな落胆を全身に感じた。ぶら下げられた大きなケーキを目の前で引っ込められた気分。行き場のない哀しみと怒り。俺は舌打ちをしたが、気持ちはなかなか収まらなかった。
……まあ良い。ターゲットは新たに選び直すだけだ。
そう思い直し、帰途についていた……その道中だった。
別の狭い路地を通る時、月明かりに照らされた空先生の遺体を発見した。
俺は驚いた。それは死体そのものに驚いた訳ではなかった。俺の予知は絶対に外れないのだから、空先生が死んでいるのは当たり前のことだった。
しかし問題だったのは、俯せられた死体から背中には深々とナイフが突き刺さっていて、それが他殺であることを明確に示していたこと。そして……。
その死体の指の数本が、まるで俺がしたように切り取られていたことだった。
死体の指は切り取られたまま無造作にあたりに転がっていた。きちんと根本から切っている俺とは違い、切り口の位置はまちまちだった。
俺は一応指紋は残さないようにしつつも、その内の一本を思わず手に取る。控えめなネイルを塗った若い女の指。これを肉体から切り離すのは、俺にしか許されない神聖な儀式のはずだった。なのに。
どういう訳か現場には血まみれの一万円札が転がっていた。それを拾い上げることはせず、俺は切り取られた指の方をまず確認する。左手の人差し指、小指、そして右手の人差し指以外の四本だった。それはまさに、俺が空先生から切り取ろうとしていた指と全く同じだった。
「……嘘だろ」
俺はその場で跪きそうになった。
空先生が殺された。それは良い。
俺の模倣犯が空先生を殺した。それもまあ、良い。
だが模倣犯は俺の紡ごうとしていたのと同じ暗号をここに紡いだ。俺に代わって、俺の芸術を完成させたのだ。それは俺が仕掛けた謎を完璧に解き、次に俺がどうするかを先読みしていなければできないことだった。
俺はとにかく、その場を離れることにした。とっとと家に帰り、夕飯も食わずにパソコンを開く。そしてネットを見ると、恐れていたことがそこに起きていた。
空先生の死体の画像が、そこにはアップロードされていた。当然、多くの反響が寄せられている。それも普段を大きく上回る大反響だ。その理由は明らかだった。
『INITIAL』
『THE END』
俺も書くつもりもなかった二つの言葉が、アップロードした何者かによって書き込まれている。それらの意図は俺には明らかだった。『THE END』はもちろん、もう一つの単語の意図も。
「糞っ! 糞! 糞がぁっ!」
俺は部屋の壁を蹴る。隣の部屋の深夜のキレ出す声が聞こえたが、そんなのはどうだって良かった。
全身が屈辱に震える。これは敗北感だ。これまでに紡いで来た絵の最後の最後、画竜点睛の一筆を見ず知らずの誰かに奪われた。こんなに人を虚仮にしたことが、他にあるものか!
俺は爆発しそうなアタマで誓っている。
空先生を殺した犯人を絶対に見つけ出し、地獄を見せてから殺してやると。
俺は微かな手掛かりを探して穴が開く程その死体の写真を見詰めている。被害者の遺体の様子はそれなりに記憶していたが、それでも今すぐに直接見に行きたい衝動にかられた。
どうにかそれを我慢しながら写真を見詰めていると、あることに気付く。それは被害者の手の平にこびり付く血潮に刻まれた、一本の肌色の線だった。
「……糸か?」
被害者の手の平に釣り糸のようなものを張り付けて、その上から血を掛け、後から糸を回収したらこうなるだろう。乾きかけた血の中に、血の付着していない部分が線状に伸びて下地にある肌色を晒している。どうしてこんなものが?
現場に落ちていた血濡れの一万円札共々、これは手がかりになり得るだろう。俺は模倣犯への執念にかられながら、昔落ちた数学オリンピックの予選問題に挑んだ時のように、空桜の写真を見詰め続けていた。
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