第14話

 唯花に連れて行かれたのは空先生の自宅だった。

「いらっしゃい」

 そう言って空先生は上品な笑みを浮かべた。初めて入る空先生の家は中の上くらいのマンションで、一人暮らしをするには十分と言った規模だった。

 「お邪魔します」と言ったが靴を揃えなかった唯花と、言わなかったが靴は揃えた零歌は、共にダイニングへ通される。その両方を歓迎するように席に座らせ、暖かい飲み物を出した後で、空先生は。

「ここに来てくれてありがとう。零歌さん」

 そう言うと、零歌は思わず「はあ」と返事をして俯いた。

「その『はあ』はやめなさいって言ったでしょ」

 早速釘を刺され、零歌はますます俯いた。自分はもうあなたの生徒じゃないんだから、それしきのことは放っておいてくれと言いたかった。どういう訳かこの人は、他の生徒には優しい癖して、テニス部の部員にだけは風当たりが強い。そういうところは好きじゃない。差別だ。

「お姉さんから話は聞きました。柏木さんという女の子のことは、不幸な事故という側面もあると、私も思います」

「はあ……はい」

 柏木のことについては、自分が良いとか悪いとかではなく、ただ柏木が消えたという事実だけで認識していた。そしてその事実だけを認識する限りにおいて、自分にとってそれは凄まじく好都合なことだった。柏木はいじめっ子で、唯花を奪おうとする。嫌いだった。

「あなたの症状に関する説明はいりません」

「……それもお姉ちゃんが話したからですか?」

「いいえ。見れば分かるからです。それが私の症状です」

 空先生は自分の瞳を指さした。

「私の目は『中二病患者』を見分けることができます。最初は誰が中二病なのかを見分けるだけの症状でしたが、今では随分と『進行』して、見るだけでその人の『症状』がどういうものなのかまで、詳しく知ることができるようになりました」

「はあ。……はい」

「今朝あなたとすれ違った際に、この『症状』によってあなたが中二病に罹患したことに気付きました。それで、お姉さんを通じてあなたとコンタクトを取ったのです」

「……私達、すれ違ったりしましたか?」

「しましたよ。気付きませんでしたか?」

 気付かなかった。日頃ぼんやりとしている零歌だが、昨日色んなことがあった所為で、今朝は特に上の空だったのだ。

「ウチが先生に声かけられたんも、零歌ちゃんと同じ様な経緯や」

 唯花が口を挟んだ。

「ウチのこの力、『自身または触れたものの重力の向きを自在にする』力な、実は小六の時には既に発症しとったんや。誰にも黙っとこうと思ったんやけど、空先生にはバレて。そんで声かけられてな……」

「……てよ」

「え?」

「話してよ、私には……」

 零歌はふてくされていた。隠し事などしないで欲しかった。何でも話し合える関係でありたかった。自分はそうしているのに唯花がそうしてくれないのは酷いと思った。

「ご、ごめん。でも、それは空先生から言われ取ったことでもあるんや」

「……そうなの?」

「そうです。『中二病』にかかったことを話して良いのは、同じ『中二病』にかかった相手だけです。いいえ……それさえも可能な限り控えた方が良いでしょう。何でか分かりますか?」

 空先生に尋ねられ、零歌は俯いたまま答えた。

「……誰かが捕まった時、芋づる式にならない為……」

「その通りです」

「じゃあ……こうやって空先生に話すのも、良いこととは思えないです。中二病患者同士が結託して組織を作るなんて、政府からしたら、一網打尽にしてくれと言っているようなものじゃないですか」

 つい本音が出た。零歌は最初から『組織』なるものについて胡乱な視線を向けていた。

「皆で力を合わせて何かする……革命でも起こすのなら別かもしれませんけど、でも静かに生きていくなら打ち明け合わない方が絶対に良い。先生の組織って、何を目的にしているんですか? 私は何に巻き込まれるんですか?」

 空先生は顧問としては怖い人だったが、何度も怒られている内に口答えの仕方も分かっている相手だった。どこまでが許されるラインなのかが薄っすら見えるのだ。それは生徒と円滑にコミュニケーションを取る為に、空先生自らが提示して来たラインでもあった。

「……元々、私達は異能結社『アヴニール』という過激派組織に属していました。……表向きには、今でも」

 空先生は言う。

「『アヴニール』は中二病患者の解放を求め、その手段として政府への武力行使を想定する、危険な組織です。政府とは長く小競り合いを続けていますが、最近では地下に潜り、秘密裏にその勢力を拡大しています。最近では中二病患者の隔離されている離島の施設にスパイを置き、収容されている患者を解放する計画を立て、今尚それは進行中です」

「先生は、その組織の立ち上げに関わってますよね。じゃあ幹部以上で……もしかしたらリーダーなのかも?」

 零歌がそう指摘すると、唯花は目を丸くして零歌の方を見た。空先生は動揺こそしなかったものの、やや鋭くした視線で零歌の方を見やった。

「……何故そう思ったのです?」

「はあ」

「『はあ』はやめなさい。質問に答えて」

「……だって。中二病の人同士が組織を作ろうと思ったら、まず仲間を集めないといけませんよね? でも中二病の人は普通それを隠そうとするし、自分から中二病だって言いだすような人はすぐ捕まっちゃうじゃないですか? 普通だったら政府にバレないようにコンタクトを取り合うなんて不可能なはずで、つまり立ち上げの段階で先生のその力が使われたっていうこと……だと思うんですけど」

「だから、空先生は組織の立ち上げメンバーで、幹部以上やっちゅうんか?」

 唯花が言う。気付いてなかったのか?

 否定しても疑惑は拭えないと思ったのか、微かに苦々しい表情になりながら空先生は言う。

「……そうですね。先生は『アヴニール』の立ち上げメンバーの一人です。しかし、リーダーではありません」

 嘘は吐いてなさそうだ。

「話を戻します。今、アヴニールが襲撃しようとしている離島の隔離施設は警備が厳重で、攻め入るのは困難です。そのことは、隔離施設に収容されている患者達が、その『症状』を持ってしても、滅多には脱獄を成功させられないことからも明らかです。それを強引に攻めようとなると……数多くの血が流れることは間違いありません。また成功したとしても、政府は私達を一掃危険視し、根絶やしにしようとするでしょう。全面戦争に突入してしまうのです」

「はあ」

「…………先生は、そんなことはやめようとリーダーを説得しました。穏健派の仲間を集めて、抗議を繰り返しました。しかしリーダーはそれを聞き入れることなく、強引に計画を進めているのです。そこで……我々穏健派は秘密裏に組織から分裂し、アヴニールに対するレジスタンス組織を立ち上げました」

「はあ」

「そのレジスタンス組織の名前を『サテライト』と言います」

「……良いんですか、その名前で」

 そう言うと、唯花が「どうしてあかんの?」と零歌の顔を覗き込んだ。

「だって、サテライトって、『空』じゃん」

「そうなん?」

「うん。先生がリーダーなのバレバレだよ」

 おめでたい名前だと思った。異能結社アヴニール共々、本質がただのおままごとなのは明白だ。イデオロギーは後付けで、結局はストレス解消に暴れたいだけ。そんなものに巻き込まれ矢面に立たされるなんて理不尽極まりない。

「……アヴニールのリーダーには、レジスタンス組織の存在自体バレていないので、問題ありません。この名前にしたのは、レジスタンス活動がバレたらまずは私が矢面に立ち、責任を取るという覚悟を示す意味合いもあります」

 先生は肩を若干震わせながら言った。

「先生は、私を『サテライト』の構成員にするつもりなんですか?」

「正構成員になって欲しいのではなく、一時的な助力を願いたいのです」

「どっちにしろ、怖いことには巻き込むんですよね?」

「悪いとは思っています。しかし、サテライトと関わらなかったとしても、この街の中二病患者というだけで、どの道『アヴニール』の陰謀とは無関係でいられないのです。この近辺の中二病患者のほとんどは『アヴニール』に把握されていて、いつでも声を掛けられるように準備がされているのですから」

「そうなんですか?」

「ええ。異能結社アヴニールはあくまでも中二病患者の為の組織です。患者達の平穏な生活を守る組織です。なので、高校生以下の子供に対しては、原則として声を掛けることはしません。大学生以上でもスカウトに値しなければ放置します。アヴニールの存在を知る中二病患者は、極僅かなのです」

「じゃあなんで私に……お姉ちゃんに声をかけたんですか?」

「あなた達の力が必要だから。あなた達のような強力な『症状』を持った中二病患者が、レジスタンスには必要なのです。それに、あなたは私の身近な知人……大切な生徒でもあります。話も分かってもらいやすいし、何より信頼できると思ったんです」

 勝手な話だ。ようするに、手駒として動かしやすいというだけのことではないか。

「異能結社『アヴニール』が政府に戦争を吹っかければ、きっと世界中が不幸になります。それは食い止められなければなりません。私達の組織はあくまでも迷える『中二病』の子供を陰ながら見守り、必要な時に必要なだけの力を貸し与える存在でなけれなならないと思います。それこそが、私達『サテライト』の理念なのです。……分かりますね?」

「……はあ」

「その崇高な理念を、あなたのお姉さんは理解してくれました。そしてある任務を請け負ってくれました。唯花さんの症状なら容易な任務のはずですが、今のところ遂行されていません」

「……すいません先生」

 唯花は俯いた。零歌はそれを、姉は無茶な任務を要求されて困っていると受け取った。それは許しがたいことだった。零歌は思わず空先生を睨む。

「先生。お姉ちゃんを巻き込むのはもうやめてください」

「『中二病』にかかった以上、あなた達は『アヴニール』とも『サテライト』とも無関係でいられません。これは仕方がないことです。私達でアヴニールを止めなければ、より過酷な戦争にあなた達は巻き込まれることになる。そっちの方が嫌でしょう?」

「先生は、私達の情報をアヴニールに伝えているんですか?」

「いいえ。自分の生徒の情報は伝えていません。でも、私程ではないけれど、近いことならできるという人はアヴニールにもいます。今はまだ大丈夫みたい抱けれど、いずれあなた達だってアヴニールに捕捉されてしまう。分かるかしら?」

「……それは分かってます」

 唯花が言った。

「でも先生、ウチ、やっぱり零歌ちゃんを巻き込むのは……」

「あなたが任務を完遂していたら、そう主張する権利もあったでしょう。でもね、あなた一人じゃ無理なんでしょう?」

「……そうですけど」

「じゃあ零歌さんに手伝って貰うしかないでしょう。……大丈夫。あなた達のような子供に、そういくつも重大な任務を任せるつもりはありません。この任務をこなしてくれたら、もうそれっきりよ。そっとしておいてあげるわ」

 嘘だと思った。と言うより、後からいくらでも反故にできる約束だった。

 突っぱねてどうにかなるかは分からなかったが、少なくとも姉は既にその任務を請け負ってしまっているらしい。唯花が関係しているのならば、零歌も無関係ではいられなかった。

「それで……その任務というのは?」

 空先生は、一枚の写真を取り出して、零歌の前に置いた。

「この子を殺してください」

 零歌は絶句した。

「そしてもちろん……警察にも捕まらないで。多少しくじったとしても、私達が上手く処理しますが、それでも絶対にしくじらないで」

 零歌はその写真をまじまじと見詰める。漆のような色をした二本の三つ編みの髪。赤い縁取りの眼鏡をかけた大きな瞳。白い肌、高い鼻、瑞々しい唇。

 その姿は零歌の年下の友人である、音無夕菜そのものだった。

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