4:松本零歌

第11話

 事情を聞いて駆け付けた零歌達の父が、出血して倒れ込む柏木を診察する。そして言った。

「……頭蓋骨が陥没している。一刻も早く病院に送らないと、命に係わるな」

 父は外科医だった。唯花は真っ赤な目をして「死んでない? 死んでないよな?」と泣き叫んでは、父に縋り付かんばかりだった。

 騒然としたドーム内で、零歌の心は意外な程冷静にものを考えられていた。

 自分の意思がホームラン・ボールの軌道を動かし、柏木に命中させたのは確かだった。何かしらの『力』が自分の中に芽生え、それを行使したという感触が確かにある。零歌はその能力について冷静に思考し、それがなんなのかをすぐ理解した。

 これは『中二病』の『症状』なのだ。

 思春期の子供が行う偏執的な妄想が実体を帯び、その子供に超能力染みた力を発現させるという病魔は、二十年前からこの世界を蔓延している。中二病にかかった子供はただちに身柄を拘束され、離島にある隔離施設へと送致されることになっていた。

 そんなのは嫌だった。零歌はボールの落下点を操作して柏木の頭部にぶつけたことを、隠し通すことに決めた。表情にも態度にも一切出さない。それはできる、と零歌は思った。自信があった。

 やがて担架がやって来て柏木が運ばれて行った。ドームにはこうした事態に備えてドクターが勤務していた為、父の役割もここまでだった。

「陥没は深いものではありません。出血が多いのは人間の頭部は皮膚が弱いからです。こういうところの事故は速く対応できますから、助かる希望はあるはずです」

 半狂乱になっている柏木の両親を、父はそう言って宥めようとする。

「唯花も。大丈夫だから。な? 落ち着いて」

 過呼吸寸前で泣き叫ぶ唯花の顔は見たこともない程ボロボロになっていた。目の前で友人が血をまき散らしながら倒れ運ばれて行ったのだから、中学一年生としては当然の反応だった。だがその様子を見ていると、零歌の心はどこまでも暗く冷たく沈み込んでいく。

 試合は続行されたが、零歌達は家に帰ることになった。野球観戦は退屈だったので嬉しかった。

 帰りの車で、唯花は何度となく「助かるよな? 助かるよな?」と父に確認し、その一つ一つに「ああ」「ああ」と父は優しく返事をしてやっていた。泣いている姉が可哀想だった。

 帰宅した姉妹は「もう寝なさい」と父から命じられた。「お風呂は?」と尋ねた零歌の冷静さを訝しむ様子を微かに見せつつも、すぐにそれをかき消して「シャワーで済ませなさい」と命じた。

「お姉ちゃん、一緒に入る?」

「ウチ……シャワーええ」

 唯花はそう言って零歌から背を向けた。

「このまま寝る」

「くさくなっちゃうよ?」

「ええけんそんなん」

 そう言って唯花は自室へ帰って行く。よっぽどショックだったんだな、大丈夫かなと零歌は姉を心配した。とは言え一晩くらいシャワーを省略したところで、それほど身体がくさくなることはなさそうだなと思い直した。

 一人でシャワーを浴びた後、リビングで沈痛な顔で話し合っている両親に向けて、零歌は「ごはんは?」と尋ねた。

「あ、ああ。お夕飯、まだだったわね」

 本来なら外食して帰って来る予定になっており、どちらかというと零歌はそれが楽しみだった。なので「ありもので良いかしら?」と言う母に若干の落胆を覚えたが、それを面に出さず「うん」と小さく頷いた。

「ねえ零歌。あなたは何ともないの?」

 恐る恐る尋ねる母に、零歌は軽く首を傾げながらそっけなく答えた。

「ないよ」

「そう……」

「うん。お姉ちゃん呼んで来るね」

「あの、零歌、お姉ちゃんは今は……」

 零歌は姉の部屋をノックして「ごはんだよー」と告げた。普段姉は部屋でゲームしたり漫画を呼んだりしていて、食事の時間になってもなかなか現れない。だから自分がこうして呼びに来るのだ。いつも通りだ。

 返事はなかったので「入るよー」と告げて勝手にドアを開けた。これをやっても怒られたことはなかった。

 唯花は布団の上で手足を丸めて団子になっていた。零歌が「お姉ちゃん、ごはん」というと、真っ赤になった目と顔をあげて零歌の方を見た。

「ごめんな。お姉ちゃん今食欲ないねん」

「そう、大丈夫?」

「うん。ごめんな。ちょっとそっとしといてな」

 やんわりとしていたがそれは拒絶であり零歌は少し悲しかった。そっとしといてくれと言うのではなく、慰めてくれと言って欲しかった。零歌に縋り付いて泣く唯花が見たかった。

 姉の部屋を去ると、母は「ダメそう?」と零歌に尋ねて来た。ちょんと頷く。

「そっか……。明日は学校を休ませた方が良いかもね?」

「え」

 それなら自分も休みたい、と言いだそうかと思わないでもなかった。単に土日明けの学校が嫌だったからなのだが、それをする為には柏木が死んでショックを受けている演技をしなければならなかった。それはまさに心にもない感情であり、故に演技も上手くいかないことは明らかだった。零歌は学校を休むことを諦める。

 冷凍の唐揚げと昨日の残りの味噌汁と買い置きの漬物、解凍したごはんという食事を両親と共に済ませる。ごちそうさまをして歯を磨いて自室に引っ込むと、零歌はスマートホンを起動した。

 動画投稿サイトを開く。目当ての動画はすぐに見付かった。

 ホームラン・ボールが少女を直撃し、担架で運ばれて行くというショッキングな出来事を撮影したテレビの映像は、既に投稿サイトに無数に投下されていた。その一つ一つを零歌は慎重に見聞し、コメント欄までも隅々まで読む。

 それらの中に、ボールが不自然な軌道をしているのが分かる映像や、ボールの軌道の不自然さを指摘するコメントがないことを確認し、零歌は安堵のため息を吐く。

 あまりに疑う者がいないので、零歌は一瞬、ボールの軌道を自分が捻じ曲げた事実はなかったのではないかと、錯覚を覚えた程だった。試しに零歌は、枕元に置いてあるぬいぐるみの一つ……ポケモンのニャオハ……を、部屋の隅に放った。

 部屋の隅に着弾するはずだろうぬいぐるみに、自分の手の平へ来いと念じてみる。

 するとどうだろう、ぬいぐるみの一点と自分の手の平の一点のそれぞれに、不可思議な力が作用したのを感じる。手の平の一点はぬいぐるみの一点をなめらかに引き寄せ、ぬいぐるみはあらかじめそこに向かうのが当然の物理法則であるかの如く、零歌の手の平に着地した。

 間違いない。零歌は中二病患者になっていた。




 試合を最後まで見ることなく早く帰って来られたことにより、就寝時間まで若干の余裕があった。それを利用して、零歌が自分の『症状』について実験を始めたのは当然の流れだった。

 実験の結果、零歌の症状を一言で表すと、『浮遊する物体の着地点を自由に決定できる』というものだった。対象となるのはあくまでも『浮遊する物体』であり、棚などに置かれていたり、どこかから吊り下げられている物体については、どれだけ高所にあっても『症状』の作用対象外だった。

 尚、物体と着地点の間に障害物がある場合、物体は障害物の方に着地する。障害物を避けたり、突き破ったりと言ったことは起こらない。

 そして便利なことに、この能力は対象となる物質がどの部分を下にして着地するのかも設定出来た。対象物の全体から一点を指定すると、引き寄せる力はその一点に対して作用する。すると自然、着地する向きはその一点を真下になるというものだった。サイコロ賭博で負け知らずだな、と零歌は思った。

 尚、設定できるのはあくまでも『着地点』であり、対象物よりも高い場所や同じ高さの場所には設定できない。あくまでも物体を『落下させる』力であるようだった。

 また、『着地点』に設定できるのは床や地面に接している物体、或いは床や地面そのものに限られた。逆に言えば床や地面に接し続けてさえいれば、その物体が移動中であっても何ら問題はない。途中で『着地点』が地面から離れ浮遊した場合、その瞬間に、『症状』の効果は消滅するようだった。

 一時間程かけてそれらのルールを零歌は理解した。すると、何度も何度も症状の発作を起こさせていた反動か訪れる。気力でも体力でもない、しかし零歌の中に備わっている何らかの資源が、底をついたような感覚があった。もうしばらく『症状』は使えそうもない。

 ようは使いすぎれば疲れてクールタイムを必要とするということだろう。テレビゲームでいうところのMP切れだ。

 だとすれば寝て休めば回復するに違いない。零歌は明かりを消して布団に潜り込む。

 目を閉じて寝る前の思索に耽る。自分の身に降り注いだ奇跡的な運命について考える。

 ホームラン・ボールが身体に当たる確率は宝くじに当たるようなものだという。いや、あのまま『中二病』にかからずボールの軌道が変わらなかったとして、ボールが自分に当たったかどうかはもちろん分からない。しかしあそこまで接近すること自体かなりの低確率に違いない。

 それに加え奇病中の奇病である『中二病』をあのタイミングで発症するなどと……とんでもない確率だ。『中二病』は身近な人間から伝染するというから、もしかしたら誰か卑近な人間に中二病患者がいるのかもしれない。

「まあだとしても。その人もきっと名乗り出ないだろうな」

 色々あって疲れていたのもあって、眠りはすぐに訪れた。

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