第7話

 その後塾に寄って家に帰りハウスキーパーの作った夕飯を食った後、俺は自室へ引っ込んで、鞄の中から西宮の指入りの瓶を取り出した。

 西宮のイニシャルは『N』なので、左手の小指以外の四本と、右手の小指と薬指の二本、合計六本を切ることになった。

 女の指は細くて綺麗だ。俺にはある程度以上の容姿の女を殺した時は、その指を咥えて血を啜るという習慣があった。出来ることなら、校内でも特出した美少女と西宮の第六感が認めた椎名の指をしゃぶり倒したかったし、何ならレイプ殺人をしたいところだったが、奴は105歳まで生きることになっているので諦めていた。

 瓶から出した西宮の人差し指を口に咥えながら、西宮の遺体の写真をインターネットにアップする。専用のソフトを使って海外のプロバイダを複数経由しているので、警察に探知される心配はない。

 最初の頃は、殺人鬼『指切り』という言葉もなかったので、猟奇殺人とはまったく無関係な何でもない掲示板に画像を投下していた。しかし今では『指切り』には『指切り』の専門のスレッドが無数に存在していた為、その内の一つに画像を投下するようにしていた。

 当然、反響は凄まじいものがある。

 俺はこの時間が何よりも好きだった。ネットの奴らは俺の偉業に悲鳴を上げ、或いは称え、俺の残したメッセージについて死に物狂いで知りたがる。写真の隅々まで見渡して些細なことまであーだこーだと議論を交わす。そんな様子を見ていると、全身が震えあがるような快感に支配される。

 最高の気分。

 正直俺の生活は結構キツかった。親や周囲の期待が重圧になるタイプではなかったが、しかし俺自身の中に強いエリート意識みたいなものがあって、何でも人より上手くできないと納得いかなかった。しんどいと思いながらも努力はしたが、どんな分野でも秀才止まりで、トップには立てなかった。だから何か心の底からスカっとするような、強烈な勝利感を常に求めていた。

 そこへ来て俺が志したのが『殺人鬼』だ。『指切り』は令和最大にして最凶の猟奇殺人鬼となるのだ。そして誰にも捕まることなく事件は迷宮入りし、俺は社会や警察に対する強烈な勝利感を胸に抱きながら、兄姉を退け親父の病院を継いで裕福な人生を送る。俺は優秀だし、寿命が見えるという力は医者にとってチート級のアドバンテージだから、きっとそっちの方でも成功することだろう。

 順風満帆。

 一通り気分が良くなったところで、俺は東大受験の為の勉強を始めた。まだ三年生の四月だし、模試ではずっとA判定が出ていて余裕もあったが、しかし俺の見える運命は寿命だけだ。合格通知を受け取る自分の姿を見た訳じゃない。コツコツと努力をすることが大切なのだ。

 その後十一時半くらいまで勉強を続けていると、俺は腹が減って来た。

 自然と、俺は三階にある部屋を出て一階の方へと脚を向けていた。もうひと頑張りするにしろ寝るにしろ、今はなんか食いたい。

 そんな思惑を胸にダイニングへ向かうと、そこでは兄貴と妹がラーメンを食べていた。

 「何食ってんだよ」と俺。

 「みそラーメンだよ。目ぇ付いてんのか」これは兄の深夜。

 「未明お兄ちゃんも食べる?」これは妹の朝日。「ネギは台所に出てるよ。買い置きの焼き豚も」

 確かにキッチンには袋ラーメンを作ったらしき残骸が置かれている。ネギや焼き豚を切った包丁に加え、鍋が二つも出ているのは片方で卵でもゆでたのだろうか? きっとそうだ。二人のラーメンに半熟の茹で卵が乗ってることからして、間違いはない。

 ダイニングには味噌ラーメンの強烈な匂いが充満している。向かい会って席に着く深夜と朝日がラーメンを啜る度、非常に美味そうな音が耳朶に響いた。俺も食いたい。

 「食うに決まってんだろ」

 そう言って俺は買い置きの袋麺を取りに棚へと歩き出す。すると妹の朝日が「じゃあ、正午も呼んで来るね」と言って席を立った。

 「なんでだよ?」

 「未明お兄ちゃんも食べるんなら、あいつだけ仲間外れは可哀想でしょ?」

 「寝てんじゃねぇの?」

 「『なんで起こしてくれなかったのだ!』くらい言うでしょ」

 「食わねぇのは姉ちゃんも同じなんだから、仲間外れにはしてないだろ」

 「夕日お姉ちゃんは今日家いないんだから当たり前でしょ」

 そう言って腰に手を当てて唇を尖らせる朝日は四つ年下の十四歳。今年から中学二年生になったばかりだ。背は百六十センチに少し届かないくらいで、テニスをやっていることからやや日に焼けている。兄妹共通の色素薄めの髪を寝る時以外はポニーテールにしていて、顔がかなり可愛いので俺はこいつを男兄弟より贔屓している。態度はやや生意気なところがあるが、性格自体はかなり優しく、そう言う意味ではツンデレ気質とも言えた。

 それから朝日は末っ子の正午を呼びに階段を上って行く。俺は弟妹が戻って来るのを待つことにして、何となく兄の深夜の隣に座った。

 「やっぱ夜中に食うラーメンは最高だよな」深夜はそう言ってスープを啜る。

 深夜は俺の四つ上の二十二歳で、百八十センチを超える大柄で顔立ちも精悍そのものだった。身分は四浪目を迎える浪人生ということになっていたが、実態はただのニートであり、予備校にも通わず遊び惚けている。昔は寛大な性格で憧れの兄だったのだが、最近では随分とやさぐれて性格も横柄になっていた。取り柄が残っているとすれば、天気予報が上手いくらいだろう。

 「なんかこのラーメン味濃いからメシも食いたくなって来たな。おい未明、おまえ冷凍庫に米あるか見て来いよ。あったら解凍して持ってこい」

 自分でやれよ、と言いたいところだが、口論すんのも面倒臭い。

 「分かった。俺も食いたいから良いよ」

 こう言っておくのが平和だ。俺はレンジで米を解凍し始めた。

 そうしていると、やがて朝日が正午を連れて、階段を降りて戻って来た。

 「お姉ちゃんに皆でラーメンを食べると聞いて起きて来たのだ」十一歳で小学五年生の正午はどこか舌ったらずな喋り方をする。「あれ? 深夜お兄ちゃんはもう食べてるのだ?」

 「ムッチャうめぇぞ」深夜はラーメンの器を十一歳下の弟に見せびらかす。「つか未明、米まだかよ。ラーメン伸びるだろうが早くしろよ」

 「無茶言うなよ」俺は息を一つ吐く。電子レンジを急かしてもしょうがない。

 「あれ? お兄ちゃん達ごはんまで食べるの? 太るよ?」とこれは朝日。

 「じゃあおまえは食わねぇんだな?」とこれは深夜。

 「そんなの……」朝日は葛藤する。「食べるに決まってんじゃないの!」

 「太るんじゃないのかよ?」と半笑いの俺。

 「わたしは運動部だから多少は大丈夫なの!」朝日は言い張る

 「そうかよ。じゃあ正午、おまえの分は俺が作るから待ってろ」

 「ありがとうなのだ。ぼく、ネギはいらないのだ。それから焼き豚は多めに欲しいのだ」

 と正午。末っ子め、わがまま言いやがる。つうかネギなしか。いつも麺と一緒に茹でてるから別けるのは面倒臭いことになるな。どうすっか。

 考えた挙句、俺が自分の分のネギも諦めることにして二人分の袋麺を鍋に出すと、深夜から「おい未明俺のおかわりの分も作れ」という命令が下った。言う通りにする。棚には袋麺の買い置きは無数にある。ないと深夜がハウスキーパーにキレるので、俺と朝日とで小まめに補充していた。

 すぐにラーメンは完成し、米は解凍され、兄妹全員に行き渡る。「わぁいなのだっ」と言って食い始める正午に続いて、俺はみそラーメンを啜り込んだ。美味い。

 「お母さ……夕日お姉ちゃんは呼ばなくて良いのだ?」

 今更気付いた様子で正午は言う。『お母さん』と言い間違えたのは、母親を早くに失くした正午の母親代わりを、長子の夕日がしばらくの間務めていたからだ。

 「うん正午。お姉ちゃんはお仕事で今日いないの。だから大丈夫だよ」と弟にはかなり優しい口調の朝日。

 「あいつが仕事なんかしてるもんかよ。ずっと遊んでんだよ姉貴はよ」と深夜。

 「は? それ言うんだったらお兄ちゃんだって毛ほども勉強してないじゃん。今のお兄ちゃんに出来る尊いことなんて天気予報くらいなんだからね」と兄にはまあまあきつい口調の朝日。

 「ああ? るっせ黙れ。ぶん殴るぞ朝日」

 深夜は腕を振り上げる。本気で殴られるとは思っていないだろうが、それでも怯えた顔で竦んだ様子を見せる朝日。

 「やめろよ兄ちゃん」

 俺は窘める。深夜は「けっ」と吐き捨てて拳を降ろす。

 夕日というのは俺達五人兄弟の長子にあたり、二十七歳の精神科医だった。精神科医としては『中二病』についての研究を行っており、離島にあるという中二病患者の隔離施設にも度々出入りし、カウンセリングなども行っているそうだ。……のだが。

 「そんな言うほど仕事してねぇのか? 姉ちゃん」と俺。「今精神科医を休業してるのは知ってるけど、別の仕事が忙しいって言ってたぞ? 事業主をしているとかなんとか」

 「ありゃあとても仕事と呼べるようなもんじゃねぇ。おめぇは知らねぇだけだよ」と深夜。

 「引き籠ってゲームばっかしてる深夜お兄ちゃんに何が分かるのー?」と白い眼の朝日。

 「うるせぇなバカガキが!」

 「バカじゃないもん。わたし今のガッコだとちゃんと成績良いもんっ」

 「俺だって未明と同じ高校にいた頃は学年十傑に入ってたんだぞ? 俺が受からねぇのはただの浪人差別だ! 不法だ! いつか訴えてやる!」

 そう言うと深夜はラーメンを食い終えると、容器を流しに運ぶこともせずに席を立った。

 「あ、お兄ちゃん待ってよ。片付けしなさいよ。お兄ちゃんが片付けするっていうから、わたしお兄ちゃんの分もラーメン作ったんだからねっ」

 「うるせぇ。しーらねっ。どうせ置いといても明日家政婦の誰かがやるだろ」

 時川家の母親は既に他界しており、家事一切はハウスキーパーを数人雇っている。この時間はもう業務を終了して帰ってしまっていたが、明日の朝になったら来るはずだ。

 「さあ腹も膨れたしゲームすっかな。やっぱボイチャでガキ煽り散らかしながらするFPSは楽しいわぁ」

 そうして深夜は本当に部屋に帰ってしまう。「信じらんない!」と憤る朝日を、俺はどうにか宥めようとする。

 「洗い物は俺がするからよ。兄ちゃんは受験に挫折して傷心中なんだ。大目に見てやってくれないか」

 「皆甘やかしすぎだっての。あーあ。深夜お兄ちゃんも昔はあんなに優しくて格好良かったのに」朝日は唇を尖らせる。「良いよ未明お兄ちゃん。わたしも洗い物手伝うから。正午もお皿拭くのはできるよね? やってくれる?」

 「のだ。一緒にやるのだ」

 そしてラーメンを食い終えた俺達三人は、食器の後片付けをしてから、それぞれの自室へと帰って行った。




 「さて……」

 部屋に戻った俺は、夜食後の眠気をこらえて再び机に向かっていた。

 正直言って、食った後は満腹感に包まれながら布団にダイブしようと思ってなくもなかった。しかし、かつての憧れの兄のあの体たらくを見ていると、ああはなるまいという気持ちが湧いて来る。受験勉強において寝不足は禁物だったが、やる気がある時にしっかりやっておくと言う考え方も、この時期なら決して間違いではないだろう。

 が、そんな俺のやる気に水を差すものがあって、それはシャー芯切れだった。普段なら買い置きを切らすような俺ではないが、どういう訳かその時の引き出しの中は空だった。

 さては朝日の野郎、また勝手に持って行きやがったな。文句を言って可能なら取り返すつもりで二階にある朝日の部屋を訪れたが、奴はクイーンサイズのベッドで涎を垂らしながらピンク色の布団にくるまっていた。しゃあねえ、明日泣かそう。

 兄弟とは言え女が寝てる部屋を漁るのは気が引けるし、正午はまだ鉛筆を使っている上多分寝ている。一応浪人生ということになっている深夜の部屋を訪ねたが、「んなもんねぇよ!」と言いながら画面の中で銃をぶっ放すのに夢中であり救いようがない。

 しょうがなく、俺はコンビニに出掛けることにする。

 夜中のコンビニには独特の雰囲気があり、俺は好きだった。スナック菓子コーナーに惹かれるものを感じたが、これ以上なんか食ったら流石に太るので自粛。おとなしく文房具コーナーに脚を運んだ。

 そこに、見るからに双子と分かる、同じ顔と服装の少女が二人いた。

 年齢は正午と朝日の間くらいだ。共に桃色のパジャマを着用していて、同じ長さのセミロングの黒髪をしている。上背は百五十センチくらいあるが全身は骨ばったやせっぱちで、これは体格の成長に肉付きが追い付いていない成長期特有のものだ。

 「こんな夜中に外歩いてて本当にいいの?」「びびることないで。どーせ今日ママもパパも帰ってけぇへんねん」「危なくないかなあ」「心配症やなあ。いけるいけるいける」

 顔をくっ付け合う程近付けながら、会話に夢中と言ったその様子は、見ていると微笑ましくなって来る。幼さを大きく残したその顔立ちも、かなり可愛らしい部類のものだった。

 しかし悲しいかな……二人の寿命には大きな差があった。一人は後六十年生きることになっていたが、もう一人の寿命は十日先だ。姉と妹、先に死ぬのがどちらなのかは分からないし、そもそもどちらがどちらなのかも分からなかったが、俺は心の中で哀れみを送った。

 もう少し寿命が短かったら、俺のターゲットにされていたかもしれない。たまにであれば、妹より年下のロリの指を舐めるのも悪くはないではないか。

 実はというと、数年かけて用意していたターゲットは、既に全員殺し終えてしまっていた。計画では八人殺すところを、余裕を持って九人用意していたのだが、あろうことか一人は行方不明になり一人は俺の目の前で車に跳ね飛ばされていた。

 やがて双子姉妹は店を出て行った。俺は勉強の息抜きにとジャンプを軽く立ち読みした後、シャープペンの芯を持ってレジへと向かった。

 そこには既に並んでいる女がいた。

 大人にしちゃ背の低い、どこかふんわりした印象のある若い女である。二十七の姉ちゃんと同じ歳くらい。太っている訳ではないのにふんわりした印象があるのは乳が張っているからで、さらにその横顔はかなりの美人だった。

 女はこんな真夜中に何かの手続きをしていて、やる気なさげな店員の差し出す用紙に名前を書き込んでいた。思わず覗き見る。名前は『空桜』。そらさくら? 空が名字で名前が桜か?

 そういや正午が言ってたっけな。担任の先生に『空』という珍しい苗字の人がいるって。それがこの人なのか?

 「ありがとうござっしたー」

 店員の声がして、弟の担任教師かもしれない空桜は背を向けてその場を立ち去って行く。背後に俺がいるのに驚いた様子を見せた空先生の頭上に漂う数値を、俺は見た。

 四日と二十時間と三十二分数十秒。

 空桜が立ち去って行くその背中を見送り、レジ台にシャー芯を置いて清算を済ませる。

 ポケットに手を入れて帰宅しながら、俺は決意した。

 次なるターゲットは、空桜だ。

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