第6話

 一日の授業を終え、帰宅しようとしたところで、西宮に声をかけられた。

 「帰りどっかで話さない?」

 「いいぞ。喫茶店かどっか行くか」

 西宮は美人な方なので、一緒にいるのは気分が良くないでもなかった。クラスで誰か狙うとすればやはり椎名だが、アイツの性格は掴み所がなさすぎる。

 「どこの店にする?」

 「どこでも。時川くんの好きな場所で良いよ」

 「そうか。じゃあ付いて来てくれ」

 俺はアタマの中で街の地図を描いた。残り時間を考慮して、どこを目標にすれば良いのかを概算する。女の脚に合わせることを考えれば、少し近めの場所を選んだほうが良さそうだった。

 西宮と隣り合って、見慣れた街を二人で歩く。一歩進む度、西宮のセミロングの髪が微かに揺れる。微かにシャンプーの香りがした。

 てっきり俺の『才能』について話すのかと思ったが、実際には二人の会話はとりとめのないものとなった。日常生活の些細な発見や愚痴、庭に蛇が出て弟が噛まれたという笑い話、将来はアナウンサーになりたいということ、などなどの話を西宮は俺にした。

 西宮の笑顔は純粋なもので、真剣に俺との時間を楽しんでくれているのが分かった。そのことが俺にとっても嬉しく、自然と俺の顔からも笑顔がこぼれた。

 近所で有名な廃墟である三ツ木小学校跡の前などを通り、やがて二人は人気のない道に足を踏み入れた。車が一台通るのがぎりぎりの、無骨な白いコンクリートで塗装された道だ。右手側は水路を挟んで林になっていて、左手側にはコンクリートの壁を挟んで閉鎖中の工場の建物があった。

 まず人は通らない。

 「ねぇ時川くん。この近くに喫茶店なんかあったっけ?」

 「もう少しだよ」俺は笑顔で答える。「ところでさ、西宮。おまえ、俺の才能が気になるんだってな。それについて話そうと思う。これを見てくれ」

 俺はそう言って、鞄の中に入れておいた一本の瓶を取り出した。

 そこには切り取られた人の指が入っていた。

 西宮は絶句する。滴り落ちた血液は瓶の底に沈んでいた。六本の指は血まみれで瓶の中で絡み合い、あふれ出す瘴気が瓶の中をどす黒く満たすかのようだった。

 「な……何それ」西宮は顔を青くして震えあがった。「どういうこと? 冗談でしょ?」

 俺は懐から堂々とガムテープを取り出して、切れ端を作って西宮の唇に手を伸ばした。西宮は悲鳴を上げて逃げ出そうとするが、ただちに追い掛けて組み伏せ、口を封じてしまう。

 「声を上げても誰も来ないよ。おまえが死ぬ運命は決まっている」俺はせせら笑いながら、西宮の頭上の数値を指さした。「あと一分四十二秒、一秒、四十秒……」

 西宮は何やらもがもがと騒いでいる。俺はそれを一顧だにせずに話を続けた。

 「俺は『中二病』なんだ。人間の寿命が見える。おまえは後一分三十秒で死ぬ。そして俺にはおまえを殺す意思があるから、まず間違いなく俺に殺されるんだろう」

 西宮は相変わらずもごもご言いながら抵抗を試みるが、俺は組み伏せ続けるだけだ。

 「殺人鬼『指切り』の正体は俺だ。そしてそれこそが、おまえが俺に感じていた『オーラ』……『才能』の正体だ。『中二病』は才能じゃなくて病魔だと俺も思う。だが殺人鬼であることは実績だし才能だと俺は思っている。国を救った英雄も国を脅かした悪党も同じように歴史の教科書に載る。それと同じで、成したことの大きさに、善悪は関係ないんだ」

 西宮の目から大粒の涙が零れ落ちる。その表情から恐怖と絶望が滲んでいる。

 「言っとくけど、おまえが死んだ後俺が捕まって死刑になるってこともないぞ。俺は自分の寿命だって見えるんだが……八十二まで生きることになってるんでな」

 俺は今年の四月四日に十八歳になって、その二日後に殺人行為を開始した。

 もうすでに六人、殺しているから、もし捕まったら確実に死刑になる。しかし俺の寿命は後六十年以上残っている訳だから、少なくとも俺が警察に捕まることはないのだろう。

 「さて。寿命まであと一分切ったな。準備をしないとだ」

 俺は西宮の太ももにナイフを突き刺た。西宮は声にならない悲鳴を上げてもだえ苦しんだ。

 ナイフを刺しっぱなしのまま、俺は立ち上がって鞄の中からレインコートを取り出して着用し始めた。返り血を浴びない為の処置だった。ナイフを太ももに刺したのはこの間に逃げ出されないようにする為だ。ガムテープで縛るより、余程効率が良い。

 レインコートを着終えると、西宮の寿命は残り十秒足らずになっていた。片脚を引きずって逃げようとしている西宮にあっけなく追い付いて、俺は太ももからナイフを抜いた。飛び出る鮮血。

 「じゃあな西宮」

 俺はナイフを西宮の胸に突き下ろす。

 この時この瞬間、俺は確かに死神の気分を味わえる。

 死を予知し死を下す、死の運命を司る、俺は人を超えた究極の存在なのだ。




 俺がこの能力を『発症』したのは、中学二年生の時だった。

 発症した際に感じたのは喜びと落胆だった。『中二病』にかかってみたいという願望が叶ったのは嬉しかったが、しかしその能力は強力とは言い難いものだった。

 何せ寿命が数値化されて見られたところで何がどうなる訳でもない。何と言っても、俺の見る寿命はどうしたって書き換え不可能なものだった。

 一度、寿命が僅かな酔っ払いが道路をふらふらと歩いていた時、俺は車に轢かれると思って大きな声で注意を喚起したことがあった。実験の為だ。それで何が起きたかというと、そいつは俺の声に驚いてその場で立ち竦み、立ち竦んだことによって走って来た車に轢かれて死んだ。

 中学の時、寿命が僅かなクラスのいじめられっ子が自殺を仄めかしていたので、実験の為にそいつを庇ってやったこともあった。だがそいつが女だったことからあろうことか俺のストーカーと化し、はっきり突き放してやったところ気色の悪い遺書を残して首を吊って死んだ。

 どうやら、俺が予知した寿命を元に誰かを救おうと行動をしたところで、そいつの寿命は変わらないらしかった。どころか、俺が予知を元にして行動することすらも孕んだ上で、その数値は設定されているようなのだった。

 とどのつまり……俺は運命を知ることはできても、運命を変えることはできないのだ。

 そもそも運命なるものが存在すること自体、俺には衝撃的だった。ラプラスの悪魔という思考実験(現代の総括が未来なのだから、現代を観測すれば未来は完璧に予知できる。したがってあらゆる未来は既に決定されている)も知ってはいたが、本気にしたことは一度もなかった。

 それなのに。

 俺がどんな行動を取ろうと、心の中で何を思おうと、それはあらかじめ決定された運命に従っているに過ぎない。ならば俺に自由はあるのか? 意思はあるのか? 意思とはなんだ?

 分からない。

 が……そうした哲学的思考を通り過ぎるのはすぐだった。そんなことは考えても意味がないということに気が付いたのだ。いや最初からそんなことは分かっていたのだが、感情の部分で納得するのに少し時間がかかったのだ。

 俺は俺の知る運命を俺の利益に結び付ける方法を考えた。俺がそうすることすらも決定された運命の一部分だったが、そんなことは気にならなかった。

 様々な考えが俺のアタマに浮かんだ。優秀な経営者の寿命がいつかを把握して株で大儲けする。上手く身を隠しながら情報屋になる。自分がいつ死ぬか分かっていれば、それ以前の段階では多少の無茶ができる。などなど。

 そして気が付いた。

 この力を利用すれば、俺は死神になることが出来るのだと。

 誰がいつ死ぬかを分かっているということは、殺そうとして殺し切れる相手が誰なのかを分かっているということだった。寿命が後五十年ある奴を殺しにかかったところで失敗するのは目に見えているが、十秒後に死ぬ相手を殺しにかかれば、まずそいつを殺し切れるということを意味している。

 俺が殺しを失敗することは、絶対にない。

 それは殺人鬼になる上で絶対的なアドバンテージだった。

 さらに俺はあることに気付いて鏡を見詰めた。俺が死ぬのは八十二歳。つまり、死刑になる十八歳になってからとっとと二人殺してしまえば、俺は絶対に捕まらないことが保証されるという訳だった。この精神的安心感は、殺人鬼活動にとってかけがえのないものだ。

 俺は世界でもっとも偉大な殺人鬼になることを決意した。俺は来る十八歳に備え、何年も前からターゲットを選定し始めた。十八歳の誕生日から間を置かずに死ぬことになっている人間を洗い出し、その行動習慣を調べ、殺害方法をシミュレートする。

 運命のバースデイがやって来たのは、今からほんの一か月前のことだった。

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