2:時川未明

第5話

 登校中、いつもの土手を歩いていると、近所の小学校の制服を着た少女が向かいから歩いて来た。

 頭上の『数字』を確認する。五十五年十か月二十四日十五分四十秒。

 三十九秒、三十八秒……と数字は下降していく。何ともなしにすれ違おうと思ったのだが、少女はどういう訳か俺の顔……正確には頭上を見て立ち竦み、息を飲んだ。

 「ひっ……」

 顔面を蒼白にさせて硬直しているのは、肩程までで綺麗に揃えられたおかっぱ頭の、小学校の高学年くらいの少女だった。眉がやや太く、目鼻立ちは端正な部類で、どこか日本人形のような雰囲気があった。

 俺は少女の胸元の名札を見る。『北原』とあった。

 ついまじまじと見詰めていると、少女ははっとした様子で視線を反らし、脇を通り抜けて怯えたように立ち去って行った。

 ……まさかな。と思う。

 とは言え、警戒しておいた方が良いことも事実だった。

 今の出来事と、北原という少女の特徴をアタマに刻み込んだ上で、俺は通学している私立海星高校へと歩みを進めた。

 ちなみに『海星』は『かいせい』と読む。『ひとで』ではない。




 「時川くん」声をかけられる。「おはよう」

 クラスメイトの西宮だった。薄く脱色したセミロングの髪にボリュームを出し、やや釣り上がり気味の利発そうな目を持つ少女である。メリハリの付いた体付きをしたなかなかの美人で、クラスでも特に目立つ中心人物だった。

 「おう西宮。おはよう」俺は笑顔で応じる

 「あのさ時川くん。わたし、他とは違う特別な人を見分ける力があるの」

 なんだよ唐突に。「『力』って……それ『中二病』か」

 「違うよ。それだったら隔離施設に入れられちゃうじゃない」西宮は苦笑する。「そうじゃなくってね、本当にただ、その人の持つオーラというか、他とは違う何かを漠然と感じ取れちゃうの」

 「それが中二病なんじゃないのか?」

 「だから違うって。単なる第六感みたいなもの」

 「そうなのか。それはすごいな」俺は乗っておいてやる。「で、その第六感とやらはどんな風に働くんだ?」

 「第六感が働くとね、その人だけが、何だか周囲の凡人よりも、くっきりとした輪郭を持っているように感じられるの。同じようにそこに立っているだけなのに、その人の存在だけが明瞭で、周りの人をぼやけさせちゃう、みたいな」

 「そういう奴って、いるよな」俺は腕を組んで何度か頷いてやる。「何もしなくても目立つ奴っていうのかな? 存在感の濃い薄いっていうのはある。中には特別なオーラみたいなのを放ってる奴も時にはいるよな? なんとなく、言わんとしていることは分かるよ」

 俺は話を合わせておいた。不思議少女ぶっているだけなのか、本気で自分にそんな第六感が備わっていると信じているのか、どちらなのかは分からない。ただどちらの場合であっても対処の方法は明らかだった。テキトウに聞き流す。

 「それでね、この学年の生徒で、そうした第六感が働いた、特別なオーラの持ち主は五人」

 「それは誰なんだ?」俺は相手の求めていそうな合いの手を返す。

 「一人は隣のクラスの渡辺くん。あのぽっちゃりした男の子ね。彼からオーラを感じた理由は簡単だと思う。何せ学年で一番の成績なんだからね」

 「ああ。あいつの学力は別格だよな」

 俺は頷く。我が私立海星高校は日本屈指の名門校で、東大はもちろん海外の名門大学にも数多くの生徒を輩出するが、渡辺はその中でも特出した学力を持った生徒だった。何せ全国模試でトップを何度も経験しているというのだからすごい。

 「もう一人は内のクラスの椎名さん。彼女も分かりやすいよね? 何せあの容姿なんだもの。あれだけ綺麗なだけじゃなくて、理事長の娘のお嬢様で、性格は優しくておしとやか」

 そう言った西宮と共に椎名の方に視線を向ける。おっとりとした大きな垂れ目の、とんでもない美少女が席に着いている。彼女は俺達の視線に気づくと、瀟洒な笑みを浮かべて会釈をした。男なら誰しもが心臓を射抜かれる微笑みと仕草だった。

 「そうした特出した能力の持ち主から、特別なオーラを感じるってことか?」と俺。

 「そうね。それで隠れた才能を発掘したことだってあるのよ。例えばそう……三組の木曽川さんとかね」

 「あいつ、なんか特技あるのか?」

 一年の時同じクラスだったが、やせっぱちの目立たないチビという印象が強い。声を掛けてもたいていはもごもごとした返事を返すだけで、昼休みになるとトイレにこもる。そういうタイプの女子だった。まあ陰キャだな。

 「あの人、油絵の才能があるのよ。コンクールで一番良い賞を何度も取ったこともある。東京芸大を目指してるそうよ」

 「へえ。そんな特技があるんだな」

 「四人目は……これも意外だと思うけど、六組の佐々岡くん」

 「佐々岡って言ったら……あの貫禄のある」

 俺は自分の額に手をやった。

 「そう。あのハゲね」

 佐々岡は薄毛の男子で、高校三年生にして既に前髪の後退が始まっていた。並びの悪いボロボロの歯をしていて、いつだって放置した虫歯が痛いと喚いていた。成績はいつも赤点ギリギリだったがテスト対策はせず、試験期間中でも放課後はいつもゲームセンターに吸い込まれ、他校の柄の悪い仲間達とはしゃいでいた。

 「アイツになんか取り柄とかあんのかよ?」

 「そうね。わたしも不思議だった。だから徹底的に調べてみたんだけど……どうも彼、中学の頃カードゲームの大会で日本一になったことがあるそうなの」

 「マジで?」俺は目を丸くする。

 「ええ。本人は今すぐ高校を中退してでもアメリカに行って、そのカードゲームのプロになりたいそうなんだけど、ご両親には反対されてるらしいわ」

 「ふーん」

 得意げに語る西宮。俺はテキトウに聞き流しつつも、彼女の言い分にある一つの仮説を立てていた。そしてそれを口にする。

 「聞いてみて思ったんだけどさ。西宮のその第六感って……もしかしたらスピリチュアルなものじゃないんじゃないのか?」

 「どういうこと?」

 「つまりだよ。何か特別な才能を持った人間って、特有の振る舞い方があると思うんだよ。自分の能力に対する自信や自負が、自然と態度に現れるっていうことはあるじゃん? 西宮はさ、そうした態度や物腰から滲み出すものを感じる力が、人より強いってことじゃないのか?」

 「それ、単なる自惚れくんも探知しちゃわない?」

 「本当の自信と虚仮の自惚れは違う。それは本人の振る舞いにも表れる」

 「なるほどね。確かに、そうした仮説も立つかもしれない」西宮はうんうんと頷いた。「この力は別に『中二病』の症状とかじゃないしね。それで、ここからが本題なんだけど……わたしの第六感が働いた五人目の人って、誰だと思う?」

 「さあな。分からん。溝口とかか?」

 「晩年学年二位の? 違う違う。あの程度じゃダメなんだよ」

 「じゃあ生徒会長の辻本とか? ユーチューバーやってる岸田は? 数オリ出た海老澤も候補かな? 真壁とかも実はダークホースかもしれないな。FPSが得意でさ、世界ランキングの常連で将来はプロゲーマーを……」

 「全部違う」

 「じゃあ誰なんだよ」

 「それはね……」西宮は俺の頭上に指先を突きつける。「あなたよ、時川くん」

 「俺かあ」

 つい満更でもない笑顔がこぼれた。こいつの『第六感』とやらを信用する気は毛頭ないが、それでも評価されるのは割と嬉しい。

 「ええ。その『第六感』っていうのは初対面でいきなり働くものじゃなくって、接している内にじわじわとオーラを感じ取れるようになる具合なのね? 時川くんの持つオーラも、三年になって同じクラスになってから、初めて感じ取れるようになった」

 「ふーん。で、俺にはいったいどんな才能があるんだ?」

 「それが分からないのよ」西宮は小首を傾げる。「あなたの放つオーラっていうのは、今紹介した四人の誰よりも強いくらいなのね。質が違うとすら言っても良い。なのに、あなたをずっと観察していても、ちっともその秘密が分からないのよ」

 「俺の取り柄が分からないってことか」失礼な奴だな。

 「ええ。時川くん、何か心当たりはない?」

 「俺、成績は良いぜ? 理三志望だし」理三とは東大の医学部のことである。

 「時川くんって、時川病院の御曹司だもんね。医者になるんだ」

 「ああな」俺は頷く。「将来のスーパードクターかも知れんぞ」

 「でも時川くん。成績は良いって言っても学年で五番とか十番とかだよね? そりゃあ海星で十傑に入っていたら理三にも受かるだろうけど、でもそれだけじゃあなたの放つオーラの根拠には弱いのよ」

 「俺、結構動ける方だぞ? 実は中学の頃はテニスで全国行ったんだ」

 「それはすごいわね。どこまで行ったの?」

 「初戦敗退」

 「じゃあダメよ」

 「勉強でも運動でもないなら……顔か?」俺は自分のツラを指で示す。

 「それ、自分で言ってて恥ずかしくない?」

 「うるせバーカ」失礼だなこいつマジで。

 「ごめんごめん。でもイケてると思うよ? 背も高いしスタイルも良いしね。そうね、総合力っていう意味なら、時川くんはちょっとしたものだと思う。モテるしね」西宮は頷いて見せる。「でもね、それじゃ説明が付かないのよ。何か隠し持ってなあい?」

 「ないな。おまえの知ってる俺が、俺の全て……とは言わないまでも、まあだいたいだよ」

 俺は答えた。

 西宮訝しむような視線をじっと俺に向け続ける。俺が飄々とそれを受け流していると、西宮はぷいと視線を反らしてから。

 「絶対、解明するんだからね」

 と言って自分の席に帰って行った。

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