第4話
その後、わたしと音無は二人でこれまでの情報を元に議論を行いました。
しかし当然ながら、その議論が有益な閃きを生み出すことはなく、「やっぱり難しいなあ」という結論を共有するにとどまりました。
やがて話も尽きた頃、音無はファイルを閉じてからあっけらかんとこう言いました。
「ねえ。一緒にアニメ見ない?」
内心話にも飽きていたわたしは賛成しました。
ここ最近、音無と一緒に見ているのは、十五年程昔に放送を終了した推理アニメです。洞察力に長けつつもどこか無気力な少年が、刑事の娘で好奇心旺盛な幼馴染に振り回されながら、様々な事件の謎を解くというものでした。
三年間放送されたそうですが内容は正直パッとせず、特にキャラクターの魅力には乏しいものが感じられてしまいます。十五年前の作品ということで、映像なんかの技術が今と比べると相当劣っていることも、そのパッとしなさに拍車をかけているようでした。
おまけに。
「ここっ、ここっ。この『着ている水着で本人を判別した』っていうのが大切な伏線なんだよねっ! 顔のない死体は疑えって言って、つまりこの死んだことになってる競泳選手が事件の犯人……」
「だーっ。ネタバレしないでくださいよ!」
わたしは憤怒して音無に抗議しました。
「このアニメ、推理部分の脚本の良さだけが取り柄なのに、そこネタバレしたら何も面白くないじゃないですか?」
「ごめんごめん。でも普通にキャラも良いじゃん。主人公とか格好いいしさー」
「どこがですか! こんな斜に構えた無気力野郎のどこが良いんですか? ヒロインだって、如何にも男子が喜びそうな媚び諂った萌えキャラじゃないですか!」
「そうかなー。あたしは良いと思うんだけど」
「面白いと思うんなら黙って見ててくださいよ!」
「だってあたしこれ三周してるんだよ? ストーリー全部覚えてたらネタバレしたくなって当然じゃん」
「するな! ああもうっ、これじゃもうおもしろくないじゃないですか!」
「じゃあ見るのやめる?」
「見ます!」
そう言ってむっつり黙り込んだわたしの横から、「北原も結局これ好きなんじゃん」と面白がるような声が聞こえます。わたしは無視しました。
画面の中では、さっき音無がネタバレした通りの推理を、主人公が面倒くさそうに披露しています。人の命が奪われた後でもこの主人公はいつだって面倒臭そうにしていて、そうした不謹慎さと自分本位さがどうにも鼻に付くのでした。
しかし、そんな彼だからこそ、この物語は面白いのだと思う瞬間もあります。
彼は自身の高い推理力に関心を持ちません。平穏に生きられればそれで良いというポーズを取っていますが、そんな彼を周囲はいつだって持て囃しています。そんな彼をライバル視する相手は何人かいますが、それらを一顧だにする様子もなく、しかしいざ対決となればけだるげな態度でいともたやすく退けてしまうのです。
動画を視聴する内に、そんな嫌な奴であるはずの彼に、自己投影して楽しんでしまっている自分に気付くのです。まるで自分が超推理を披露し、周囲から持て囃され、ライバルを悔しがらせているような、そんな錯覚に陥る瞬間があるのです。それはとても甘美な体験なのでした。
「ううむ……」
これは案外、計算されたキャラクター造形なんだろうと思います。活発で明るいタイプではなく、無気力で冷淡なタイプであることも、これを視聴するであろう年齢層には合致しているのかも……?
「見入ってるじゃん」
音無のからかう声がします。
「うるさいですね」
言いつつも、わたしは妄想の世界に旅立っていました。もしもわたしに、どんな難解な事件も解き明かしてしまう力が備わったら……という妄想です。
もちろんわたしにはこの主人公のような超推理はできません。ですが例えばそう、一目見るだけで殺人犯が誰か分かってしまう、なんて能力が備わったらどうでしょうか? そうなったらわたしはきっと色んな犯行現場に引っ張りだこで、色んな人から持て囃されて……。
「いやいや」
わたしは首を横に振ります。くだらないことを考えていました。
冷静になったわたしは、画面の方へと向き直ります。
その時。
ふと目に入った音無の頭上に、『1』と書かれた数字が漂っているのを目の当たりにしました。
「……は?」
わたしは目を擦り、音無の顔をまじまじと見ます。
どんなに目を擦っても、その『1』という数字は消えてくれません。空中を漂うそれに思わず手を伸ばしますが、それはまるで蜃気楼か何かのように手指を突き抜け、掴むことができないのでした。
「何やってるの北原」
「あ、いや、すいません」
「あたしの頭上になんかあったの?」
「いやその……ものすごいアホ毛がですね」
そう言うと、アホな音無は「え? 本当?」と言いながら、自分のアホ毛を探して髪の毛をわちゃくちゃとやり始めました。
わたしは早鐘のように心臓が鳴っているのに気が付きます。気が動転して、とても自然体に振舞うことなどできそうにありません。このまま音無とい続けるのは危険でした。
「そろそろ帰ろうと思います。お菓子おいしかったです」
「まだちょっと早くない? もう一話くらい見えると思うんだけど」
「それがその……ちょっと画面を見過ぎてる所為か、気分が悪くなっちゃって」
「そっか。じゃあ家に帰って休んだ方が良いかもね」
そう言ってわたしを玄関まで見送る音無に背を向けて、わたしはアパートを飛び出しました。
全身からはたっぷりと汗が吹き出します。まだ完全に温まり切っていない四月の風は、そんな汗ばんだ身体に冷たく吹きました。相変わらず心臓は高くなり続けていて、お腹の中までもがきりきりと痛み始めます。
視界では、すれ違う人々の頭上に、『0』という数字がずらりと並んでいるのが見えました。それは錯覚ではなく確かな視覚情報で、そしてわたし一人にしか見えていないようなのでした。
そんなはずはない、と思いました。
何かの間違いだ、と思いました。
わたしはただアニメを見ながら、ちょっとした妄想を楽しんでいただけだ。それがどうして、『中二病』なんかに発症しなければならないのか!
わたしは空先生の言葉を思い出しました。
『どんなに気を付けていても、例えば特殊能力を得る空想をほんの少ししかしていなくても、中二病にかかってしまうケースはあります』
理不尽に思えて仕方ありませんでした。わたしよりももっと、この病気にかかるのに相応しい人がいるはずなのです。なのに!
当てもなく闇雲に走り回り、ほとんどが『0』と表示される人々とすれ違う内、夕闇が傍まで迫っていることに気が付きました。
わたしはとぼとぼと、自宅である一軒家と帰ります。そして一つの仮説を立ててリビングのテレビの前に座り込み、ニュース番組にチャンネルを合わせました。
ニュースキャスターの頭上には、しっかりと『0』が表示されています。画面越しの人にも効果は適応されるようです。
ニュースを見ていると、強盗殺人を起こして逮捕された男についての報道が始まりました。
その頭上には……『1』という数字がありました。
わたしはそのままニュースを見続けました。遠くの国で行われている戦争についての報道では、何人かの兵士の頭上に1や2、3と言った数字が浮かんでいました。大昔に殺人罪で死刑宣告をされたものの、冤罪の疑いから再審が行われ釈放されたという男の頭上には、その事件の被害者と同じ『3』という数が浮かんでいました。
「霧子ちゃん」
背後から声を掛けられて振り返ると、心配そうに顔を覗き込む母がいました。
「どうしたのニュースばっかり見て。顔も青いわよ?」
「な、何でもない」
わたしは答えて、動揺を悟られないように、二階の自室へと引っ込みました。
ベッドにもぐりこみ、布団を顔に被ります。そして考えます。
この力は……過去にその人が殺した人数を明らかにするもののようです。
わたしの身体から何か出るとか、何かしらの超常現象を引き起こすとか、そういった類ではありません。つまり、わたしの方から誰かにこの力のことを打ち明けない限り、バレる心配はないということです。
……誰かに話すか黙っているか。結論は明らかでした。
「……黙っていよう」
誰かに話せば中二病なことがバレて、離島の隔離施設へ送致されてしまいます。戻って来られるのに何年かかるか分かりません。そんなことは嫌でした。
わたしは布団から顔を出して天井を仰ぎ見ます。
結論を出してみると、全身を包み込んでいた動揺が霧散し始めました。そう、バレるようなことはないのです。音無には多少不自然な態度を見せてしまいましたが、よしんばそれで何かしらの訝しさを感じたとしても、わたしが中二病だという証拠は何もないのでした。
「霧子ー。もうごはんよーっ。降りて来なさい!」
母親の声がしました。「はーい」と返事をしておいて、わたしは先ほどよりは落ち着いた気持ちで階段を降ります。
食卓に着くまでの道中、わたしはふと音無の顔を思い出し、考えます。
何故、彼女の頭上に、『1』という数字が浮かんでいたのかということを。
彼女に対し、今後どのような態度を取るべきか、ということを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます