第2話

 『中二病』、正式名称を『少年期異能力現出症候群』とする謎の病魔が世界に広がったのは、今からおよそ二十年前になります。

 ある時ある学校に通うある中学二年生の男子が、自分の手の平から火炎を生み出せることに気付きました。その力は当時子供達の間で流行っていたコミックスの主人公のそれを模したものであり、直に放てば、人間一人を焼き尽くすだけの威力がありました。

 その中学二年生の男子がその力を隠さなかった為、彼の両親はすぐに当局に相談しました。彼は政府の研究施設に送致されましたが、如何なる科学的アプローチを持ってしても、その力の正体を解き明かすことはできませんでした。それはまさに異能であり、超能力としか言いようのないものでした。

 間を置かず、同じような超能力を持った子供が、世界各地で発見されることになりました。人によって使える能力は様々で、彼らは空を飛び、風を操り、未来を予知し、心を読みました。

 彼らの人種、性別は様々でしたが、共通していることは皆子供であること。それも中学二年生を中心として、十歳から十八歳くらいまでに分布していることが、調査によって判明していました。

 『中二病』という通称の由来もそこにあります。つまり中学二年生の時に一番多く起こるから、そう呼ばれているという訳なのでした。

「中二病の『発症』には、思春期の多感な心が影響していると言われています」

 五時間目の保健体育、担任の空先生が、わたし達生徒の前で授業を行っていました。

「若い人の中には、自分が何か特殊な能力に目覚めるかもしれないということを、本気で信じている人は珍しくありません。どんな能力が欲しいとか、それをどんな風に使いたいとか、そんな空想を重ねている内に、どういう訳か現実にその力が使えるようになってしまう。それが『中二病』です」

 空先生は若くて綺麗な人でした。優しくていつも笑顔を絶やすことなく、小学生の生徒にも敬語で応じます。先生達の中ではあまり背は大きくなく、男子で一番背の高い増岡くんなどには、既に身長で抜かれていました。太っている訳ではないのに、どこかふんわりと柔らかい印象があり、胸がとても大きいことを一部の最低男子には気付かれてしまっていました。

「じゃあ先生。例えば『世界を滅ぼす力』なんてのを妄想してたら、それが本当になってしまうんですか?」

 生徒の一人が手をあげずに質問しました。先生によっては叱責の対象になるその行為にも、しかし空先生は笑顔を絶やしません。

「いいえ。想像するだけなら誰しも無敵の、何でもできてしまう力を想像しますが、実際に『発症』する力はそれよりスケールダウンしているそうです。力の強さには限界があるんですね」

「あまりにも強すぎる力は『発症』しないんですね」

「そう考えられています。とは言え『症状』は『進行』しますので、長く使い続けていると強化されることも分かっています」

「どうすれば中二病になれますか?」

 男子の一人が、手をあげるなり目を輝かせながら質問しました。クラスでもアホな男子です。

「『中二病』になりたいなどと、考えてはいけません。しかしどうすれば『なってしまうか』というと、自分が特殊な能力を得るという空想に浸りすぎた場合、さらには……」

「誰か身近に『中二病』の人間がいる場合……ですよね先生?」

 目立ちたがりの女子が、教科書を先読みして得た知識を持って先生に口を挟みました。

「そうですね。特に、精神的な結びつきが強い人間に、『中二病』の患者がいる場合、より『伝染』しやすくなることが分かっています」

「ウィルスみたいなものなんですか?」

「『中二病』は得意な精神状態に陥った子供に特殊能力が発現する精神病の一種です。菌やウィルスは関係ありません」

「じゃあなんで伝染するんですか?」

「皆さんにも、親しい友達や家族から、何か精神的な影響を受けるということはありますよね? いつも一緒にいると、物事の好き嫌いや、考え方が似て来ることはあると思います。それと同じだと思って下さい」

「中二病的な精神状態の人と一緒にいると、自分も同じような精神状態になって来るってことですか?」

「その通りです」

 それから空先生はわたし達生徒を見回して、真剣さを込めた声で言いました。

「ただ、どんなに気を付けていても、例えば周りに誰も中二病の人がいなかったり、特殊能力を得る空想をほんの少ししかしていなかったりする場合でも、中二病にかかってしまうケースは存在します。中二病はとても珍しい病気ではありますが、決して他人事とは考えずに、正しい知識を持って向き合うことが大切です。分かりましたね?」

「分かったのだ、お母さん」

 と。

 いう声が聞こえて来て、クラスの空気が一瞬固まりました。

「ところで質問なのだ。もし『中二病』になってしまったら、いったいどうすれば良いのだ?」

 独特の喋り口調で質問をしたのは、クラスでも特にぼんやりした性格の時川正午でした。それを聞いて、クラスの皆は腹を抱えて爆笑しました。

「な、なんなのだ? 何がおかしいのだ?」

「時川くん。先生はお母さんではありませんよ」

 空先生は慈しむように微笑します。時川くんは自分の失言に気付いて赤面しました。

「間違えることは誰にでもありますから、あまり笑わないであげてくださいね。さて、今の質問の答えですが……簡単です。決して中二病の『症状』を『発作』させないようにして、お父さんやお母さん、先生や周りの大人に相談しましょう」

「で、でもうそれをしたら隔離施設に送致されるのだ! それは嫌なのだ!」

 時川正午は赤面したまま言いました。

「お兄ちゃんやお姉ちゃんたちとも会えなくなるのだ。そこで『中二病』の症状がなくなるまで、何年も何年も隔離されてしまうのだ。そんなつらいことはないのだ」

 自分が中二病にかかった訳でもないのに騒いでいる正午は、クラスで一番幼い性格をした奴だとみなされていました。喋り方も何か子供っぽいですし、先生に敬語も使えません。

 外見は結構な美少年なのです。上背はそこまででもありませんが、端正でくっきりとした目鼻立ちをしています。まるでハリウッド映画に出て来る外国の子役みたいな雰囲気がありました。実際、幾ばくか外国人の血が入っているという話も聞きます。坊ちゃん狩りの髪は滑らかで、澄んだ瞳共々、わたし達よりほんの少し淡い色をしていました。

「落ち着いて、時川くん。『中二病』はとても珍しい病気だから、滅多にかかるものではありません。注意していれば、きっと大丈夫ですよ」

 空先生が落ち着かせるような声で言うと、時川も「のだ……」と俯いて喋らなくなりました。

「ですが、万が一中二病にかかっても、治らない訳じゃないから安心してください」

「どうやって治すんですか?」

 これはわたしです。普段あまり授業中に発言する方ではないですが、今日はなんだか皆が積極的に授業に参加する為、ついつられてしまったといったところです。

「医薬品などによる治療法が確立された訳ではありませんが、カウンセリングが有効だと言われています」

「カウンセリング……ですか」

「ええ。中二病はそもそも精神病で、特別な力を持ちたいという子供の心が引き起こすものです。なので、根気強くカウンセリングして、そんな特別ななんてなくても、あなたは価値のある素晴らしい人間なんだと理解させてあげることができれば、必ず中二病は完治します」

「……でも二十年前に発症した最初の中二病患者は、未だ離島の隔離施設から出られてないんだよね」

 そう言ったのは音無でした。

 挙手もせず敬語も使わず発言した音無を、しかし空先生は叱ったりしません。しかしいつもの柔らかな微笑みがそこにある訳ではなく、若干の緊張感を持って音無を見ているようにも、それは思えました。

「治療にかかる時間には個人差があります。何年もかかる人もいれば、数か月で出て来られる場合もあって……」

「『症状』を悪用して他人を殺したり、迷惑をかけた人もいれば、そうじゃない人もいるんでしょ? 普通に生きてただけなのに、ただその病気にかかっちゃったってだけで、家族と離れ離れにされて何年も監禁されるなんて、酷い話だと思うなあ」

「ですがそれは……」

「音無。空先生が困ってますよ」

 わたしがそう言って音無をいさめました。

「あなたの言うことはもっともだと思います。でも、それは空先生の所為じゃないでしょう」

「……確かにそうだね」

 音無はそう言ってあっさり引き下がりました。

「……そうね。でも今音無さんが言ってくれたような問題を、ずっと議論している人達だっています。これから世の中がどう中二病とどう向き合っていくのかは、現代社会における大切な課題の一つと言えるでしょう」

 そう言って、先生は中二病についての話をまとめました。

「さあ。中二病についてのお話はここまでです。次のページを……」

 わたし達は先生の指示に従って、『中二病』の単元が書かれたページを見送り、紙をめくりました。

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