狂気と友愛の指切り
粘膜王女三世
1:北原霧子
第1話
土手に腰かけると土と緑の匂いを感じます。伸ばした足元を揺れるコセンダングサは今はまだ黄色い花を覗かせていて、引っ付き虫の心配はなさそうでした。
小学校が終わったある水曜日の放課後、青い空に浮かぶくっきりとした白い雲を仰ぎながら、わたしは来るかどうかも分からない喧嘩中の友達を待っていました。
「ねぇ北原」
背後から声がして、わたしは剣呑な顔を作って振り返ります。
「さっきは酷いことしてごめん。許してよ」
クラスメイトの音無(おとなし)がそこに立っています。大きな目に赤い淵の眼鏡をかけて、絹のような長い髪を二本のゆるい三つ編みにして左右に垂らしている少女です。眼鏡も三つ編みも正直ダサいのですが、しかしその鼻は高く、肌は白く、唇は瑞々しいのでした。
どこかおろおろとした様子の彼女の右手に、自販機で買ったらしきミルクセーキとブラックコーヒーが握られているのを見て、わたしは話をする気になりました。
「あのねぇ音無。わたしは何も、あなたがわたしのケツにカンチョーをしたから怒ってるんじゃないんですよ?」
そう言うと、音無は小首を傾げて「違うの?」と言いました。
「違いますよ」
「普段のお子様なカンチョーと違って、マジの強烈なカンチョーをしたから怒ってるんじゃないの?」
「違いますよ」
「人差し指の第二関節まで深々と突き刺したから怒ってるんじゃないの?」
「違いますよ」
「怒る北原に向かって、『指とパンツがこんなに深く食い込んだんだから、北原のパンツ、多分ウンコで茶色くなってるね』って言ったのに怒ったの?」
「それも大いに遺憾です。でも違いますよ」
「その後であたしが自分の指先を嗅いで、『でもこれ臭いよー』って笑ったことに怒ってるの?」
「思わず顔を引っ叩いてしましましたね。でも違いますよ」
「じゃあじゃあ、その後保健室から教室に戻った北原に、『あ、やっぱりパンツ交換して来たんだ』って言ったことに、怒ってるの?」
「そうですよ! それなんですよ! 一番腹が立ったのは!」
わたしは音無に人差し指を突きつけて、顔を赤くして喚きました。
「クラスの皆の前ででかい声で言いやがりましたよね! それまでのパンツにウンコ云々はまだ戯言で済みましたけど、その発言の所為で皆に事実として認識されちゃったじゃないですか!」
「男子にムッチャ『けつあな確定』って言われてたもんね」
「わたしはそういうくっだらないネットスラングが何より嫌いなんです!」
「で、本当に確定だったの?」
「違います! 確定してません! 単にケツが痛かったから保健室に行ってただけなんです!」
「切れ痔だったんだ……。大変だねまだ小五なのに」
「誰の所為ですか! まあそれはクスリですぐ治るそうだから良いですけど……でもバカな男子からからかわれるのは我慢なりません」
「まあまあ。男子なんてバカだから、明日になれば北原が確定されたことなんて、すぐに忘れるよ」
笑顔でそう言いながら、音無はわたしの肩を掴んで、ミルクセーキを差し出しました。
「お詫びの印に買って来たからさ。一緒に飲もうよ」
「飲みます」
許してやることにして、わたしは土手に座り込みました。決してミルクセーキに釣られた訳ではありません。
音無は時折こうしたバカをやらかしてわたしに迷惑と実害を与えます。互いにからかい合ったりどつき合ったりすることが、親しい友達同士の健全なノリだと思っている節が、音無にはありました。
わたしは友達とはもっと穏やかな関係性を構築したいと思っているのですが、このバカはそんなこと気にしちゃくれません。わたしが怒ればちゃんと謝りに来るので、今のところ、親友だと思ってやっています。
土手に並んで腰かけて二人で缶を傾けていると、背後を通りかかった同級生たちに、「おっ、仲直りしたんだ」などと声を掛けられます。それらに笑顔で応じる音無を見ていると、自分で始めた喧嘩がすんなりと幕を下ろしたことへの安堵のようなものが、胸に広がりました。
「ねぇ北原。殺人鬼『指切り』って知ってる?」
ふと、音無がそう口にします。
「知ってますよ。昨日もその話をしたじゃないですか」
この友人は、何かの話をしたいとき、『知ってる?』という切り出し方しか知りません。
「また被害者が出たんだってね。六人目だって。怖いよね」
『指切り』とは、わたし達の住まうこの地域に度々出没する殺人鬼の通称です。
その犯行手口は極めて猟奇的です。凶器は鋭利な刃物のようなもの。最初は滅多刺しという殺し方でしたが、ここ最近は心臓を一突きするという鮮やかさも見せるようになっていました。
『指切り』と呼ばれる所以は、殺害後被害者の指をいくつか切り取って持ち帰ることに由来しています。さらに『指切り』のおぞましいところは、自分で作った遺体を撮影し、インターネットの巨大掲示板にアップロードするところにありました。ある種の恣意行為と言う訳でしょう。
「今日の朝、六人目の被害者の遺体が見付かったってニュースがあったんならさ、今頃はもうネットに画像上がってる頃だよね。北原、一緒に家に見に来ない?」
こいつは小学生の分際で個人用のパソコンを持っていました。スマホも所持していますが、そっちはあくまでも連絡用だそうで、ネットを見るのにはあまり使いたがりません。
「嫌ですよ。なんで死体なんてわざわざ見たがるんですか?」
「グロいの嫌い?」
「嫌いですよ。なんか最近、そういうグロいの見るのが恰好良くて大人みたいな風潮ありますけど、わたしは付いて行けませんよ。一周回ってガキって奴です、そんなのは」
「アハハハ合ってるよ北原。でもさ、あたしは何も、グロいもの見たさで死体見ようって言ってるんじゃないんだよ」
「じゃあ何でですか?」
「犯人の謎を解く為」
さらりと言った音無に、わたしは絶句しました。
「『指切り』は死体の画像をアップロードすることで、世間の人に何か訴えかけてるんだって、あたしは思ってるんだ。どう思う?」
「……殺人鬼の訴えなんて知ったこっちゃありませんよ。無視してやらないからつけ上がるんです。警察が粛々と捜査して捕まえるのを、黙って待ってりゃ良いんですよ」
わたしのこの主張に、音無は「合ってるね」としつつも、構わず話を続けました。
「『指切り』はね、被害者一人一人、切り取る指が違うんだよ。そこには何かしら法則があって、それを持って『指切り』はあたし達に何か伝えようとしてるんじゃないのかなって言うのが、あたしの考えてる説なんだけど……どうかな?」
「何かしらの法則って何ですか?」
「分かんない。一緒に考えてよ、北原」
「……明日にしませんか。今日はもう遅いので、あんまり遊べないじゃないですか」
水曜日は授業が六時間目まである日です。おまけに、喧嘩の仲直りに少々の時間を費やした為、時刻は既に四時の後半でした。門限の六時に家に帰りつく為には、今から行ってもほとんど遊べません。
「分かった。じゃあ明日、約束ね」
「良いですよ。……それにしても、こんなに同じ地域で立て続けに犯行を犯して、『指切り』はどうして捕まらないんですかね? 日本の警察は優秀ですから、連続殺人なんてそうそう成立しないように思うんですが」
「そこはこう、天才的な頭脳の持ち主だとか? それか、もしかしたら……」
音無は空を仰ぎ見ました。
「『中二病』なのかもしれないね」
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