前方後円墳
台形に丸の形、堀に囲まれたお墓と言えば、世界最大の面積を有する、仁徳天皇の古墳を思い浮かべる人が多いと思います。
日本国内でも最大なのは、これ以上大きな墓を作るのを禁ずる!!
これより大きい石棺を禁ずる!と仁徳天皇が命令したからだそうです。
当時出雲や備前を支配する豪族など、多くの豪族は侵略者の命令など聞く事は無かった、後に朝廷は討伐と言う形の侵略を始め吉備津彦による盂羅攻め(桃太郎の鬼退治)は、またの話にします。
と言う歴史を語ると読んでくれる人が居なくなるので、前方後円墳についてのお話です。
不思議な形ですよね、何故どうしてあの形なのか?
前方後円の形は、仁徳天皇の古墳より以前に出来た形です。
円墳は一般的なお墓として日本中に現存して居ます。
四角いお墓は出雲地方で見られる、その他多くの豪族の墓の特徴を合体させたのが、前方後円墳だと言う説が最も有力だと私は思います。
以前紹介した生まれ故郷の散歩で引き返した所を、引き返さずもう少し行けば『両宮古墳』が有ったのですが、見飽きているので行かなかった所です。
今は塞がっているようですが、子供の頃かは墓の中に潜り込める洞窟が有りました、潜って遊んだものです。
比較の為、しつこいですが仁徳天皇の古墳より古い時代の前方後円の古墳で、吉備の国の権力を誇示する古墳です。
石棺で無く巨大な焼き物の棺が埋葬されていて、中学校の二階に置いていてコッソリ棺の蓋を開けて遊びました。(現在は郷土史料館に有ります)
最初は埋葬された骨が入ってると思い、ドキドキしながら開けました。
ガッカリ!中は空でした。
見慣れて居たので、古墳の棺は焼き物だとずっと勘違いしてましたが、石棺が一般的な物で、焼き物の棺は非常に珍しい物だそうです。
『両宮古墳』普通は「両宮山古墳」と呼ばれますが、山でも丘でも無い平地にある古墳に何故「山」を付けるか?
高月古墳群の一部が両宮古墳で、西に少し歩けば国分寺跡が有ります。
歴史的にも考古学的にも非常に面白い故郷では有りますが、長くなるのでここまでにします。
コッソリ追記。
あるまんさん、ユーディさん、お二方限定で感謝の気持ち。
お勧め作品が有ればコメントに作品名記入して下さい。
暇な爺さんが読みに行きます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます