第104話 思い出

 全和女子プロレスリング、通称ZWWの長岡での興行を観戦したのは、ミナミが小学5年生のとき。

 アラタは当時28才。トップレスラーへの階段を登っている最中だった。

 ミナミは、このときのアラタに魅了され、プロレスを目指す決意を固めた。


 中学3年生の修学旅行で上京した時にこっそりZWWを訪問。面接官のはからいでミナミは憧れのアラタに会うことができた。これが、これまでのミナミとアラタの唯一の接点だった。


 その後、東大合格し上京してすぐにZWWを再訪し、当時の企画部長の大沢と面談はできたもののアラタには会えなかった。


 その半年後にZWWは選手大量離脱を経て廃業。

 そのときトップレスラーのピークを越え始めていたアラタは、新団体に移籍することなく、惜しまれながら引退を選んだ。当時36才。それから7年が経つ。その間、表舞台には現れていない。


「ほ、ほんとに……アラタさん?初めまして、いえ、えっと、実はその……」

「覚えているわ。中学生で入団テストに来た娘でしょ?」

 アラタはにっこり笑う。

「お、覚えてくれてるんですか?」


 この話はゼミ仲間にしか言ったことはないはずだ。

 なのにアラタが覚えているといったということは、本当に覚えていてくれたということ。

 ミナミは緊張と感激で汗が止まらない。


「だって、中学生で親にも内緒で入団試験受けに来るなんて前代未聞だったもん」

「あ……その節は……」

「そんな娘が『やらせなんて言わせない、技の魅力がきちんと評価されるようなプロレスをやりたい』って力説してたんだから、忘れられないわ」

「な、生意気なことをいいまして……」


 ミナミの汗が冷汗に変わり始めた。


(そ、そういう意味で覚えられていたのね……なんだか、これって黒歴史?)

 急に恥ずかしくなり赤面する。


「ま、それにしても、あの娘が本当にここまで来たんだと思うと感慨深いわ。だから、今回コーチを引き受けたのよ」

「あ、ありがとうございます」

「私のアドバイス通り、足腰鍛えてきたんでしょ?」


 それを聞いて、ミナミの表情はパッと輝く。


「はい。それだけは自信があります」

「ふふふ。じゃあ、思い出話は練習後にするとして、早速トレーニングに入りましょう」


 そういうと、アラタは羽織っていたパーカーを脱ぎ捨ててリングに向かう。

 その後姿は、引退して7年経つとは思えない、引き締まった肉体美だった。

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